天才外科医、渡海征司郎はとにかくカッコいい。
ピンチになると、猫背でゆらりとオペ室にやって来て、凄まじい技術で窮地を救う。
「修復するよー」
などと普段は脱力感をただよわせるほど穏やかだが、時に声を荒げて現場をピリッとさせる。
そして過去に負った心の傷が陰となり、彼をより魅力的にしている。
まさに「オペ室の悪魔」と呼ぶにふさわしい。
そういえばかつて私の周りにも、彼と全く同じ特徴を備えた外科医がいた。
同じように猫背でゆったり手術室にやって来て、手術中は穏やかだが突然後輩に声を荒げて怒鳴る。
おかげで彼の前では若手が萎縮し、なかなか上手く手術ができない。
普段はやや根暗で、患者さんへの説明はあまり上手くない。
決して真面目なタイプではなく、空いた時間にはよく居眠りをしている。
渡海と全く同じである。
ところが残念なことに、彼は「陰気」「短気」などと陰口を叩かれ、オペ室ナースには「オペ室の悪玉菌」と言われていた。
実に不思議である。
渡海がカッコいい最大の要因は、彼を演じる二宮和也さんの卓越した演技力や、人間的な魅力であろうと推測するしかない。
というわけで第2話。
今回は、私が外科医として考え方が近い高階(小泉孝太郎)の魅力や、新治療に対して否定的な佐伯(内野聖陽)と渡海の考え方が描かれ、原作を彷彿とさせるストーリーだった。
高階、佐伯、渡海の三者の外科治療に対する考え方はいずれも正論。
これは原作解説記事「ブラックペアン 感想&解説|高階権太のスナイプは実在するのか?」で書いた通りだ。
そして何と言っても、良い医者に成長しそうな世良(竹内涼真)がポジティブなイメージに描かれるのも安心感がある。
緊張した様子で手術室に向かう患者さんの手を握る世良を見て、私も慣れない頃に手術に入るのが毎回怖かったことを思い出した。
「一番怖いのは患者さんだ」
と思い直して手術室に向かっていたことが、懐かしく思い出される。
さて、例によって私は心臓外科医ではないため術式に関する詳しい解説は差し控えるが、今回も周辺知識を紹介するとともに、感想を書いてみたいと思う。
特に治験コーディネーターの描写は、関係する医療者や患者さんたちに大変失礼に当たるレベルであり、そのトンデモ度は今回強調しておいた方が良いだろう。
不安になる東城大の当直体制
研修医の世良(竹内涼真)が当直中に、腹部大動脈瘤の切迫破裂の患者が他院から搬送されてくる。
救急搬送された患者はそのままオペ室へ。
渡海に電話するも繋がらず、世良は研修医でありながら、
「俺がやるしかない」
「いや、俺には到底無理だ・・・」
と頭を抱えながらオペ室に入ると、そこにはいつのまにか渡海が。
渡海は途中から世良に執刀させるが、慣れない世良は大出血を起こしてしまう。
「人一人殺したな。あ、二人目か」
と渡海に傷をえぐられ、立ち直れないまでに落ち込んでしまった世良は外科医を諦めようと「研修先変更希望届」を書き始める-。
このストーリーを見て、視聴者はどのくらい現実感があると感じているだろうか?
「現実の誇張で、これに近いことはあるのかな?」
と思うだろうか?
これを読んでいるみなさんもいつかは夜中に病院に運ばれるかもしれないので、念のため「実際はどういう対応をしているか」を書いておこうと思う。
今回のように他院からの転送でも、通常の救急搬送でも、まずは受け入れ前に当直医が電話で対応する。
しかし大半の手術は当直医一人ではできないため、外科系は当直、副直の二人体制になっているのが一般的だ。
今回なら、世良と渡海である。
副直は自宅待機し、手術になりそうな患者が搬送される予定があれば連絡を受け、病院に向かう(渡海は病院に住んでいるので仮眠室在中)。
あるいは、二人とも自宅待機や、二人で当直、という病院もある。
いずれにしても、私たち外科医は「今日は呼ばれるかもしれない日」が決まっている。
救急車が突然やって来た時に、「外科医が全員お酒を飲んでいました」では困るからだ。
そして、もちろん自宅待機の外科医には患者さんが病院に搬送される前に連絡があり、余裕をもって病院に着いておく。
救急車が着いた時点で「もう一人はまだ家にいるんですが」でも困るからである。
よって流れとしては、
受け入れ要請の電話があった時点で、当直医(今回なら世良)はオペ室の夜勤看護師と麻酔科当直医に、オペ室が受け入れ可能かどうかを確認、
ここで「整形と脳外がオペ中で無理です」などと言われたらお断り。
次に、副直である医師(今回なら渡海)に連絡し、手術対応できるかを確認、
対応できるなら受け入れ、できなければお断り(副直は「できない」はありえないが)。
となる。
万一みなさんが病院に搬送されても、
「今は研修医しかいません!でもとりあえずやるしかないのでやります!」
という事態は決して起こり得ないので、ご心配なきよう強調しておきたいと思う。
また手術では、今回のドラマのように、
「この部分は君がやってみなさい」
と、若手に指示するシーンは必ずある。
当然若手の教育を行わない限り未来の患者さんは救えないので、徐々に実践でチャンスをもらいながら若手外科医は上達していく。
この際、もちろん指導医は、
「何があっても俺がリカバリーする」
という一心で、目の前で後輩の一挙手一投足に注意を払う。
準備不足や技術不足、リカバリー不能なミスが起こりそうなら、その時点で試合終了、お取り上げとなる。
一方、若手外科医は、いつなんどき「やってみなさい」と言われても対応できるように、万全の準備をした上で助手をする。
もらったチャンスがモノにできないと、チャンスは次いつ巡ってくるか分からないからだ。
人の体にメスを入れる、という行為は、そのくらい厳しく指導されて当然である。
後輩の手術中に患者から離れてのんびり壁にもたれた渡海の姿は、「何かあってもリカバリーできる」という余裕の現れであり、高い技術の証明ということになるわけだ。
ちなみに余談だが、私は当直として1日中病院に拘束されるより、「呼ばれるかもしれない」と思いながら自宅待機する方が嫌いである。
出かけていても落ち着かないし、食事中も「途中で中断しないといけなくなったらどうしよう」と気が気でない。
子供と遊んでいる最中に呼ばれ、「お父さん・・・」と泣かれながら家を出るのも辛い。
二人以上いないと診療が成り立たない外科系医師の宿命である。
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治験コーディネーターは実際どんな仕事か
ブラックペアンでは、治験コーディネーターが妙な存在感を放っている。
第1話では渡海とフレンチ、第2話では冒頭で佐伯と二人カウンターで高級天ぷら、最後はミシュラン3つ星の寿司屋に行く。
普段はなぜかスーツ姿で患者と接し、同意書もとらずに治験に参加を決めた患者にはその場で謝礼として300万円もの大金を手渡す。
「謝礼金で借金が返せる」
「もろたお金で焼肉でもいこか」
というセリフで、金の力で治験に参加させられたかのように患者を描く。
私がドラマでリアルでないポイントを指摘すると、ごくまれに、
「そんな現実と比較されても・・・」
「リアルでないことくらいみんな分かってますよ」
と、私の大人げない指摘に不快感を示す人がいる。
今回もドラマを見て、
「あんな治験コーディネーターありえないよ」
「あんなの誇張しすぎでしょ、分かってますよ」
と思っている人は多いだろう。
だが私たちにとっては、
「野球選手がドラマに登場すると聞いて見てみたらパティシエだった」
というくらい現実と乖離していることまで予想できているだろうか?
医療ドラマにおいて「誇張ですらない」描写は、現実にその医療行為に関わる人を困惑させるし、病気で悩む患者さんには誤解を与えかねない。
実際に不安な思いで治験への参加を迷っている患者さんや、それと真摯に向き合う治験コーディネーターの方たちはどんな思いでこれを見ているか、と思うと私も辛い。
ちなみに私のツイートに、実際に治験コーディネーターをされている方からこういうリプライをいただいた。
治験コーディネーターです。あの字幕付き解説、フランス料理、あれじゃ世間の方々に私達の仕事誤解されますよね…涙
— honyapiyo (@honyapiyo) 2018年4月23日
ツィッターで「治験コーディネーター」と検索するとわかるが、
「治験コーディネーターってこんな仕事じゃないだろ!」
と怒りの声が数え切れないくらいある一方で、
「治験コーディネーターって実際あんなもんなんだろうなあ。製薬メーカーだって兎に角薬を使って貰うことが第一だもんなあ。(原文ママ)」
のようなツイートを見ると、何とも言えない歯がゆい気分になる。
治験コーディネーターの仕事は多岐に渡るため、病院によっても位置づけは様々だと思うが、一般論として実際の姿を説明しておきたい。
まず患者さんが、治験に参加できる条件を満たしているかどうか、年齢、性別、既往歴、検査値、治療経過などの条件を照らし合わせて判断し、医師と相談する。
参加の条件を満たせば、試験治療の予想されるメリットとデメリットを十分に患者さんに説明し、理解してもらって初めて試験に参加となる。
実際に治療が始まったら、治療効果や副作用の出方など、検査値や画像検査結果を確認し、医師と連携を取りながら細かくデータを追いかけ、記録する。
そして何より、治験に参加した患者さんは、現時点で効果が確実に証明されていない治療を受けることになる。
当然、患者さんやその家族の方々の治療中の不安は常に大きい。
その不安を聞き、相談相手になり、医師と患者さんの間をつなぐ役割を果たすのも治験コーディネーターの大事な仕事だ。
治験というのはとにかく、
患者さんにとっては「効果や安全性が許容できるかどうか」
医療者にとっては「新たな医療行為が新治療として未来を担うかどうか」
を試されるという、それぞれに非常にデリケートな側面を持つ。
患者さんには、治験コーディネーターとともに慎重に慎重を重ねて説明を尽くして理解を得るとともに、試験結果はデータとして間違いないよう丁寧に扱われなくてはならない。
これだけの作業を医師が全て行うことは不可能で、そこに治験コーディーネーターの力が生きてくる。
むろん患者さんが治験に参加することでコーディネーターが得をすることはなく、医師とコーディネーターの間に接待が行われる理由がない。
治験に参加することで、研究費が科に入るのは事実である。
当然、その治験で得られた貴重な情報は、海外の国際学会や論文で報告することでしか世界中の医師たちと共有できない。
この作業にはかなりのお金がかかるため、それが研究費として補助される仕組みは、新治療の発展においてはなくてならない存在だ。
また治験は、効果や副作用を慎重に検討するため、患者さんに通常より多くの検査を行ったり、通院頻度が増えたりする。
患者さんは治験に参加することで、新たな治療を受けるチャンスと引き換えに、余分な交通費がかかったり、仕事を休んだりする必要がある。
この患者さんに強いる経済的負担を軽減するため、「負担軽減費」が支払われる。
病院によってルールは違うが、たとえば「1回の通院につき7000円お支払い」といった形である。
もちろん施設によって金額の多寡はあるし、番組ホームページにも「多額のお金が動く」のはフィクションと但し書きはある。
ただ、問題は金額だけではない。
「早急にご入用と伺いましたので・・・」
と言って治験前に封筒で謝礼を手渡すのとはニュアンスが全く違うため、これが誤解を招くのではないか、と医療者側は懸念するだけである。
新しい抗がん剤は次々と開発されているし、今後AIの目覚ましい進歩などで医工連携が進み、ますます治験コーディネーターの仕事は大切になる。
今後、多くの治験コーディネーターが医療現場で必要とされるだろう。
「治験コーディネーターとして医療現場で働きたい」
と思うような展開に、今後期待したいと強く思う。
※治験コーディネーターの描写が大きな問題に発展しています。こちらで改めてまとめました。
というわけで第2話の解説はこれにて終了。
今回も数々のツッコミを入れているが、ドラマとしては面白いし、それぞれ個性派俳優の演技力を堪能することができて見応えもある。
来週も楽しみである。
第3話の解説はこちら!
原作の解説はこちら!(治験コーディネーターという職業がなかった時代が舞台です)