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医師の感想&ネタバレ解説|「がん消滅の罠 完全寛解の謎」のトリックはリアル?

「がん消滅の罠〜完全寛解の謎〜」は、2017年の「このミステリーがすごい!」で大賞を受賞した本格医療小説です。

 

4月2日に、唐沢寿明さん主演でドラマ化されます(唐沢寿明さんは白い巨塔以来12年ぶりの医師役)。

原作とはかなり変わってしまったドラマの解説はこちら!

ドラマ「がん消滅の罠 完全寛解の謎」感想|小説から失われたリアリティ

とある病院で治療を受けた患者たちの末期肺がんが次々に消滅

中には、癌発覚の直前に生命保険に加入し、余命が半年以内の診断を受ければ保険金が受け取れるリビングニーズ特約で多額の保険金を手にしている症例もあることが発覚し、保険金詐欺が疑われます。

治療不能なはずの末期がんを、いかにして寛解(完全に治癒すること)に導いたのか?

この謎に、唐沢寿明さん演じる呼吸器内科医の夏目と、同期の羽島(渡部篤郎)、生命保険会社の森川(及川光博)が挑みます。

 

作者の岩木一麻さんは、国立がんセンターで癌研究の経験を持つ異色のライターです。

今回私はこの小説を読み、極めてリアルでよくできたプロットに衝撃を受けました。

まさに、癌の基礎研究をかなり本格的に行った専門家でないと決して書けない内容だと思います。

おそらく、癌の研究をしたことのない人なら、医師でもこの発想は不可能です。

作中での癌の性質や治療、実験に関する説明や、医療現場を取り巻く情勢の描写は驚くほど的確です。

臨床現場での用語の使い方にいくつか誤りはありますが、あまり気にならない程度です。

 

私自身も、マウスを使った癌の基礎研究と、外科医としての癌治療の両方の経験があります。

その私から見て「末期がん消滅」のトリックはかなりリアリティが高く、医療ミステリーとしては異論の余地はありません。

二転三転するストーリー衝撃的なラストなど、ミステリー小説としてかなり完成度が高く、最後の1行まで読者は翻弄されます。

むろん人物描写にはやや甘さもありますが、今後の作品に大いに期待できると思います。

 

さて、この小説を読んだ人なら誰もが、

「本当にこんな犯罪が医学的に可能なのか?」

と恐怖におののいたはずです。

小説としての完成度の高さはまず申し分ないことを評価した上で、癌の専門家としての立場から、

「この小説の癌消滅トリックにどのくらいのリアリティがあるか」

について解説してみたいと思います。

ここからは完全な「ネタバレあり」あらすじを書いています。

小説を未読の方は、必ず小説を読んでからこの記事をお読みになることをおすすめします

 

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免疫抑制剤で他人の癌移植は可能?

まず一つ目の、免疫抑制剤を投与して他人の癌を移植する、というトリックから解説しましょう。

小暮さんという女性患者が、湾岸医療センターで末期の肺癌と診断され、その後国立がんセンターを受診。

がんセンター呼吸器内科医の夏目の診断では、余命はせいぜい半年程度でした。

ところが抗癌剤治療により、夏目の目の前で癌が全て消滅します。

小暮さんは、余命が短いという医師の診断があれば生前に保険金を受け取れるタイプの生命保険に入っていました。

今回の経緯で小暮さんは、余命宣告により多額の保険金を手にした上で癌が完全に治ってしまう、という異例の経験をすることになります。

 

このトリックは、小暮さんが湾岸医療センターにアレルギー疾患でかかっていた際に投与された免疫抑制剤がキーになっていました。

トリックの流れはこうです。

小暮さんとは別の、他人の肺癌を培養して増やした癌細胞を、湾岸医療センターで呼吸器外科医の宇垣が小暮さんに注射。

本来癌でも何でもなかった小暮さんは、これにより肺癌にかかり、癌は多発転移します

通常、他人の癌細胞を移植しても免疫反応(拒絶反応)によって排除されるはず。

しかしこれを、アレルギー治療という名目で投与された免疫抑制剤でクリアした、というわけです。

免疫抑制剤を投与している間は免疫が抑えられて癌は増え続けるが、投与をやめると免疫反応によって自然に癌が死滅する。

小暮さんは、そもそも何も治療をしなくても、免疫抑制剤をやめるだけで癌が治る状態になっていたわけです。

これを見抜いたのは、夏目の学生時代からの親友、羽島でした。

 

プロットとしては非常に興味深く、「ありえなくはない」ストーリーではあります。

ただ実際には、アレルギーの治療と偽って投与できるほど少ない量の免疫抑制剤では、他人の癌細胞の移植はまず不可能です。

 

癌細胞を注射したり、癌を皮下に埋め込んで移植したりする実験は、マウスやラットに対してよく行います。

作中でも説明されるように、この実験に使われるマウスは重度の免疫不全状態にされています。

よって私たちがこういうマウスで実験する際は、かなり厳重な注意が必要です。

マウスは特別な実験施設で管理され、ガウンに帽子、手袋、マスクに全身を覆わないと入れません。

ハムスターなどの「げっ歯類」のペットを自宅で飼うのも禁止です。

ウイルスや細菌を持ち込むと、あっという間にマウスが死んでしまうからです。

 

同じように、人間に確実に癌細胞を移植するためには、このくらいの免疫抑制状態にする必要があるでしょう。

アレルギーの治療のような軽いものでは不可能で、入院して病院の無菌室に隔離し、臓器移植時と同じような強い免疫抑制治療が必要となるはずです。

そうでないと、他人の癌細胞が体の中で簡単に増える状態を作り出すことはまず不可能

あっという間に免疫反応によって癌は死滅してしまいます。

 

また、万が一免疫抑制によって癌の移植に成功したとしても、さらにもう一つの障壁があります。

免疫抑制剤をやめるだけで、すなわち自分の免疫力だけで癌を消滅させられるか、という問題です。

おそらく、ひとたび体に癌が生着し多発転移を起こすくらい急速に増殖すると、まず免疫力を回復させるだけではコントロールできないはずです。

つまり癌が生着するのは難しい生着したとしてそれを意のままに消し去ることも難しい、という二重の障壁があり、実現性は低いというのが実際のところです。

 

癌細胞の自殺の誘導は可能?

一方、厚労省官僚である柳沢さんは、湾岸医療センターの「がんドック」で見つかった早期の癌を手術で摘出

早期癌のため再発率は非常に低いと説明されましたが、肺全体に多発転移を起こして再発します

ところがその後、湾岸医療センターでの治療により癌は急速に縮小しました。

湾岸医療センターではこのように、多発転移が完全寛解する例が多発していることが判明します

なぜ寛解は不可能と考えらえた癌をこのようにコントロールできたのか?

 

このトリックの仕組みはこうです。

患者の癌を摘出して培養し、増やした癌細胞をその患者に注射

多発転移を起こさせます。

しかしこの癌細胞には、遺伝子組み換え技術により、特定の薬剤を投与すれば細胞死が導かれる装置が組み込まれています

薬剤の投与がスイッチとなって、意のままに癌を死滅させられるように遺伝情報が書き換えられているわけです。

湾岸医療センターの「先生」こと西條と呼吸器外科医の宇垣は、この寛解と引き換えに我が国の有力者を脅迫していました。

柳沢さんは、新薬の承認に関わるPMDAという組織の役人。

彼を懐柔すれば、新薬の承認のスピードアップにより多くの癌患者を救うことができる。

彼らが描く理想の社会を作ることが目的でした。

 

さて、こちらのトリックについては、一つ目のトリックよりは実現性は高いと考えます。

癌細胞を培養し、遺伝子操作によって細胞の自殺(「アポトーシス」と呼びます)を誘導する装置を組み込むことは容易に可能です。

この細胞死のスイッチとなる薬剤も、それほど特別なものは不要で、容易に手に入るような薬が使えます。

そして癌細胞の移植についても、自己の細胞なので移植できる可能性は十分あります

 

ただこの方法にも大きな問題があります。

癌細胞が移植され、全身に転移を起こす過程でおびただしい回数の細胞分裂が起こります

この際、必ず癌細胞の遺伝情報は変化するため、自殺装置を失った癌細胞が現れます

これはもう、100%起こると言って良いと思います。

したがって、薬を投与すると一時的に癌は縮小して消えたように見えますが、生き残ったわずかな癌細胞が必ず増えてきます。

この癌細胞は自殺装置を持たないため、治療の手立てがなくなり、全くコントロールできなくなります

 

もともと夏目や羽島が疑ったのは、摘出した癌細胞を培養し、それに効く抗がん剤を選定し、癌細胞を移植したのち選んだ抗がん剤を投与したのではないか、ということでした。

これによって確実に効果のある抗がん剤が見極められるため、移植後の癌を消滅されられた、というわけです。

しかしこの方法にも同じ問題があります。

やはり最初は癌は縮小するかもしれませんが、抗がん剤に耐性を持った生き残った癌細胞が必ず増えてきます

(ちなみに培養した癌細胞に実験レベルで効いた抗がん剤が、必ずしも人間に効くとは限らない、という問題もあり、これがこの技術の実用化が難しい理由です)

 

まさにこの「癌の不均一性」が、現在の癌治療の難しさを生んでいます。

全ての癌は最初は一つの細胞で、そこから分裂してできたはずですが、無秩序に細胞分裂を繰り返すうちに違った顔つきの細胞が必ず現れます

抗がん剤を投与して癌が一気に縮小しても、その後多くのケースで抗がん剤が効かなくなって癌が大きくなるのは、その抗がん剤が効かない性質をもつ癌細胞が必ず一定数生き残っているからです。

癌細胞をゼロにしない限り、癌は再び目に見える形で現れてきます。

 

よって二つ目のトリックも、一部には成功例が現れてもおかしくはありませんが、ほとんどのケースで失敗するだろう、というのが現実なのです。

 

(ここから先はドラマにはなかったストーリーです)

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胞状奇胎とはどんな病気?

最後に、西條が「癌細胞の移植と救済」という犯罪行為に手を染めるきっかけとなった娘の病気、「胞状奇胎」について解説しておきます。

西條は、娘を若い頃に癌で亡くしています。

胞状奇胎が癌化した「絨毛(じゅうもう)癌」が原因でした。

胞状奇胎は受精をきっかけに子宮の中で発生します。

これを作ったのが、西條の娘とかつて交際していた羽島でした。

 

受精卵からは、成長とともに将来胎盤になる成分「絨毛組織」ができます。

絨毯(じゅうたん)の毛のように、長い毛のような構造が多数あり、母体と胎児の間の栄養のやりとりをサポートする構造物です。

ところが、受精卵の染色体の異常により、絨毛に泡(嚢胞)のような成分だけが多発することがあります。

胎児は全くできないため、流産になります。

これが胞状奇胎と呼ばれる病気です。

絨毛組織はもともと増殖がさかんなため、このような異常な絨毛が急速に増殖します。

場合によっては細胞が癌化し、絨毛癌に変化してしまいます。

他の臓器に転移を起こし、時に致命的になります。

 

受精をきっかけに癌が起こる、という点が今回のストーリーでは大きなポイントとなっていました。

羽島との性交渉がきっかけで起きた癌が娘の命を奪った、という悲劇的な展開が、西條を極端な思想の持ち主に変えてしまったのです。

(注:受精しなくても絨毛癌が生じることはあります)


今回は「がん消滅の罠〜完全寛解の謎〜」の徹底解説を行いました。

ドラマではこのストーリーがどんな風に描かれるのか、楽しみですね。