センター試験に英検、TOEIC導入は妥当なのか

センター試験が30年ぶりに大改革される。

国語と数学は、マークシート式に加えて記述式の問題を課し、思考力や表現力を問うものに変える。
また英語は、英検やTOEICなど民間試験への移行が遅くとも24年度までには行われるようだ。

グローバル社会で求められるコミュニケーション能力を重視するとの観点から、これまでのセンター英語には足りなかった、「話す」「書く」能力を問うためだそうである。

そもそも、英語を流暢に話す能力や、英語の文章を正しく執筆する能力が必要とされる職業がどれほどあるのか、私には甚だ疑問であるが、その点については今回はおいておく。

今回は、大学入試に民間試験が導入される、という点については、私は大いに賛成である、ということについて述べたい。

なぜなら、英検の実施は年に3回、TOEICはspeaking & writingが年に24回、 listening & reading が年10回と、共通試験の歴史上初めて、受験生に複数回のチャンスを与える仕組みになったからである。

(あらかじめ、どの回を成績として使用するかを決めるのかもしれないが、それでも事前に全く同じシステムで試験を受けられる、という点では大きな変化である)

 

あまり誰も指摘しないが、我が国の大学受験制度の問題点の一つに、純粋に学力や思考力を問うべき試験において、「一発勝負でどれだけ実力を発揮できるか」という「勝負強さ」が意図せず問われていることに、私はかねてから疑問を感じている。

 

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大学受験に勝負強さを問う必要はない

我が国では、大学入試での結果が人生を左右すると言っても過言ではないほど、学歴が重視されている。

出身大学によって就職活動は有利にも不利にも働くし、医師や薬剤師など国家資格のある職業を目指すのであれば、多くは大学入学時に特定の学部に合格しなければならない

大学入試とは、この人生をかけた一発勝負に、将来の青写真を描くのも難しいような弱冠18歳の高校生らが挑むという、そもそも特殊な仕組みになっている。

従って、入試というその一瞬に最大のパフォーマンスを発揮することのできるメンタリティの強い人は有利だが、本番に弱く、心理的負担に押しつぶされて半分の力しか発揮できないような人は志望校に合格できない。

入試当日体調を崩して、十分に実力を発揮できなかったという人も同じである。

こうした学生たちを救済する制度はなく、多額の授業料を払って予備校に通い、同じシステムの試験を1年後にもう一度受ける以外に方法はない。

 

学力や思考力だけでなく、「勝負強さ」も大学入試で問うべき能力だ、という人がいるかもしれない。

 

だが私はそうは思わない。

 

スポーツ選手など一部の特殊な職業を除き、社会に出てからは、そういう「瞬間最大風速的能力」がそれほど評価されないからである。

社会人になると、一発勝負で最高のパフォーマンスを発揮するホームランバッターより、毎回一定以上のクオリティで仕事をするアベレージヒッターであることを求められる。

社会に出て組織に属したとき、たった一回の素晴らしい成果によって、その人が高い能力を持つ人材であるとか、信頼できる人材であると評価してくれる人はいない

長い時間をかけて、どのような局面でも、誰を相手にしても、一定したパフォーマンスを発揮することができると証明することによって初めて、高い評価が得られるのである。

 

毎年受験生らは、凄まじい緊張感の中で、それまで努力した成果をたった1回の試験で発揮しなければならないという強烈な心理的負担を背負わされている。

大学受験制度を見直す際は、その点を十分考慮してほしいものである。

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