『すばらしい医学』シリーズ累計23万部

医師はなぜ残業代を請求しないのか?

日本医療労働組合連合会が、医師や看護師1万1189人にアンケート調査をしたところ、

「看護師や医師の2割が残業代を職場に請求していない」

ということが分かった、とのニュースがありました。

残業代を「すべて請求している」としたのは36%、「一部している」は36%、「していない」は20%でした。

理由として、「請求できない雰囲気」「請求できると思わなかった」「上司に言われている」などが挙がったとのことです。

 

医師と看護師では勤務形態が全く異なるため、これらを一緒に集計することは妥当とは言い難いのですが、確かに医師は基本的に残業代を全て請求しません

私自身もこのアンケート調査を見て、むしろ「全て請求している人が36%もいるのか」と驚いたくらいです。

 

ではなぜ医師は残業代を全て請求しないのでしょうか?

実は、回答者が挙げた理由だけではなく、医師の労働に関わるもっと本質的で解決の難しい問題があるからです。

 

私が思う、医師の労働に関わる問題点は2つです。

「労働と善意の区別の難しさ」「労働と学習の区別の難しさ」です。

 

労働と善意の区別が難しい

医師は患者さんを相手にしているので、規定の労働に「プラスアルファ」の時間が必ず存在します。

たとえば私なら、金曜に手術をすれば、当然土曜も日曜も病院に行きます。

翌日が祝日の時も同じです。

患者さんの状態を自分の目で確認しておきたいと思うからです。

患者さん側としても、手術翌日の辛い時に担当の外科医が全く見に来てくれないのは不安なはずです。

私自身も全身麻酔手術を受けた経験がありますが、手術後数日は不安で、主治医が見に来てくれた時の安心感は忘れません

したがって私にとっては、どんなに小さな手術でも、手術後その患者さんが退院するまで1日たりとも病院に行かないという選択肢はありません。(年に1回の夏期休暇以外は)

外科医に限らず内科医も、入院している以上は患者さんの状態は自分の目で毎日確認したいという人は多くいます。

 

しかし病院にもよりますが、この時間は時間外労働には含めないのが一般的です。

私の以前勤務した病院では、規則として「土日や祝日は病院に来ても超過勤務に計上してはいけない」と指示されていました。

病院に来て治療を行なっているのに、なぜ労働ではないのでしょうか?

 

理由は簡単で、「必須とは言えないから」です。

休日や祝日は当直医が必ずいます(常勤医でローテーションするか非常勤医を雇っているかのどちらか)。

患者さんに何らかの変化があれば、すぐに当直医が対応できる体制になっています

当直医がすぐに適切な指示を出し、主治医の判断が必要だと思えばそこで主治医に電話をすれば良いだけです。

主治医はその時点で、口頭指示で済むのか、直接自分が病院に行くべきなのかを判断すれば患者さんに不利益はありません

実際前述の病院では、この呼び出しによって病院に行った際に発生した労働時間は「勤務として計上可」となっていました。

 

よって「休みの日は病院には全く行かない」と割り切っている医師も普通にいます。

彼らにとっては、土日や祝日に病院に行くのは「余分な善意」であり、医師個人の希望で行なっているボランティアだという認識です。

確かにその通りだと思いますし、異論はありません。

 

ただ私は、毎日担当の医師が見に来て、患者さんからその医師への信頼感が増すことが治療効果に影響する、という考えです。

辛い症状の患者さんにとっては、土日の主治医のいない時間は地獄のように長いと思います。

この間、見ず知らずの当直医が見に来るより、信頼できる主治医が見にくる方が治療意欲は高まるはずです。

「頑張ってリハビリしよう」とか、「辛い検査も頑張って受けよう」と思えることが良い効果につながるでしょう。

もしかすると、このおかげで退院が早まっているかもしれません。

 

これは休みの日に限らず、平日の夜もそうです。

手術後に状態があまり安定しない患者さんがいる状況では、そそくさと家には帰れません。

しかしこれについても同様に、「17時以降は当直帯なので当直医に任せれば良い」という発想の医師もいます。

一方で私は、状態が不安定な時こそ自分が対応することで患者さんとの信頼関係を築くことが大切、という考えです。

私と同じ考えの医師は多くいます。

 

したがってそういう医師は、休日も平日の夜も、残業代は請求しないものの患者さんを診察することは医師の「労働」だと思っているので、アンケート調査があれば、

「時間外労働として請求しない労働時間がある」

と答えます。

 

ちなみに、こうした労働時間を削減するには、チーム制を導入し、患者さんが「休みの日は主治医がいなくても心配しない」と思えるための根本的な意識改革が必要です。

これについては以下の記事で言及しています。

女性医師の人数を制限したい人の真意は何なのか?

 

労働と学習の区別の難しさ

医師は、常に自己学習が必要な職業です。

医療は日進月歩です。

新しい本や論文を読んで知識を常にアップデートしなくてはなりません。

また、自分の患者さんの病状が難しいものであれば、夜遅くまで論文を検索し、治療法を模索するのはよくあることです。

 

学会発表の準備や論文作成を病院で行うこともよくあります。

医師によってその量は違いますが、例えば私の直近の1年では、全国学会、国際学会で合計10回発表し、英文論文を3本書いています。

こうした学術活動は、自分の知識や技術のアップデートに必須です。

医師は一年中、こういう活動にそれなりの時間を割く必要があります

 

さらに、専門医の資格を取るための勉強も必要です。

多くの専門医資格は、参考書を使って試験勉強し、筆記試験に合格しなければ得られません。

種類にもよりますが、たとえば私が持っている専門医資格はいずれも合格率は6割〜7割程度なので、十分に勉強していないとあっさり落ちます

日常診療の合間や終わった後に、この勉強時間をとることになります。

 

自己学習に熱心に励む医師は、患者さんに対して良い医療を提供できる確率は高いはずです。

患者さんの治療クオリティを上げるために論文検索をしたなら、それも治療の一貫と考えても良い気はします。

そしてこれは属している病院の利益にもなっているはずで、「労働」と認識しても悪いことではありません

 

しかし、この時間を全て時間外労働として請求すると膨大な量になってしまうため、普通は請求しません

病院によっては、「自己学習に使った時間は超過勤務に入れてはいけない」ときっちりルール作りしているところもあります。

超過勤務の時間に目標とすべき上限を規定している病院もあり、それをあえて超えて請求する気にはなりません。

 

また、もっぱら家で学会準備や論文作成をする人もいます。

こういう人と、病院で夜遅くまでするスタイルの人で給与が変わってしまうのも問題です。

土日も病院で学会の準備をする人は多いですが、家でやるタイプの人もいます。

土日も病院で過ごした人が超過勤務をつけて給与に差が開くと、不公平感を感じる人はいるでしょう。

 

私は小さな子供が二人いるので、普段はなるべく早く家に帰り、子供が寝てから家で学会の準備をしたり論文を書いたりしています。

夜遅くにもう一度病院に行って続きをやる、ということもよくあります。

こうした行為は医師がやるべき「労働」だと私は認識していますが、当然「残業」ではないので残業代の請求はしません

そして同じ考えの医師は多いと思います。

 

したがってこういう医師たちはアンケート調査に対しては、やはり、

「時間外労働として請求しない労働時間がある」

と答えるでしょう。

 

医師の労働時間について調査する時は、こうした回答者側の特殊な事情を考慮する必要があります。

ざっくりとした質問から得られた結果の数字だけを見て、時間外労働の多寡を論じることはできません

まして「請求できない雰囲気がある」=「ブラックだ」として、組織の管理体制に原因を求めるだけでは、調査結果の有益な活用とは言えないでしょう。