組体操は本当に必要なのか?教育現場の事故リスクを考える

運動会の組体操で、事故の多発が近年問題になっている。

事故は毎年8千件程度発生しており、2015年には大阪の中学校で10段ピラミッドが崩れて生徒が骨折する事故もあった。

スポーツ庁は16年3月に「確実に安全な状態」でなければ実施しないよう自治体に通知している。

組体操は禁止すべきとの意見もあり、組体操を実施する小中学校は15年度から16年度までで20-30%減少しているという(14日の朝日新聞朝刊)。

 

果たして「確実に安全な状態」とは、一体何を意味するのだろうか

 

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安全性と伝統主義

教育現場において100%の安全はありえない

特に学校で運動を教育する以上、必ず一定の割合で事故のリスクがある。

よって、重要なのは確実な安全性を求めることではなく、必要性とリスクを天秤にかけて、必要性が上回るのならやるべき、リスクが上回るのならやめるべき、と理性的に判断することである。

では組体操においてはどうか。

組体操は、事故の発生件数から考えて、リスクの高い競技であるのは間違いない。

ではそれを上回る必要性、利益はあるのか

組体操は、表現力や団結力を育成する上で、組体操よりリスクの低い他のいかなる競技をもっても代替できないのか

組体操は学習指導要領には掲載されていないが、それでも必要だと主張して良いのか。

また、組体操は学年の全生徒が取り組む特殊な競技である。

体の弱い生徒や、運動の苦手な生徒に、「適性に応じて他の競技を選ぶ」という選択肢は用意されていない

こうした生徒たちにとっても、リスクより必要性や利益が上回るのか。

 

こういったことを冷めた頭で考える必要がある。

我が国には、感情抜きにこういった理屈で物事を考えるのが苦手な人が多い。

たとえば組体操の必要性を考えるとき、

「子供たちがやり切った達成感に目を輝かせ、親がその勇姿を見て涙を流して感動する姿を今まで何度となく見てきた」

として、思考停止に陥る人が必ずいる。

「伝統」や「慣習」は確かに大切だが、リスクの高い行為を続ける正当性を裏付ける根拠は、あくまで「そのリスクを上回る利益や必要性」でなくてはならない

それが「健康上のリスク」であればなおさらそうだ。

 

医療現場でも全く同じことが言える。

医療行為においても、確実な安全などありえない。

そのため、その行為のリスクと利益を天秤にかけて、利益が上回る場合にのみ行う、というのが常識だ。

そして、このリスクや利益は、データや知見が蓄積することで時代とともに刻一刻と変化する。

たとえば、一昔前は、転んで擦りむいたら傷にイソジンやマキロンのような消毒液を付けるのが当たり前だった。

だが現在、傷の消毒は、殺菌することにより得られるメリットより、皮膚を損傷するデメリットの方が大きいことが分かったため、行ってはいけないことになっている。

うがい薬によるうがいも同じである。

イソジンなどのうがい薬でうがいをすることは、のどの粘膜の損傷によりかえって風邪をひきやすくなるため、推奨されなくなった。

傷の消毒やうがい薬は、これまで伝統的に正しいと信じられ、大きな問題なく継続されてきたことだ。

だが「昔から今まで継続できた」ということが、その行為の今後の継続を正当化する論拠にはならない

 

経済史学者の大塚久雄は、「社会科学における人間」で以下のように述べている。

伝統主義というのは、(中略)過去にあったことを、ただそれが過去にあったという理由で、それを将来にわたって自分たちの行動の基準にするという、そういう思考と行動の様式です。

私は伝統を否定したいのではない。

伝統主義に陥ってはいけない、と言いたいだけである。

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