前回は、「ブラックペアン」原作の感想や、未読者でも読めるネタバレなし解説を書きました。
前回記事を先にお読みください!
今回は、読了した方向けのネタバレ解説を書きたいと思います。
おそらくブラックペアンを読んだ方は、ストーリーの根幹に関わる「あの部分」が本当にリアルなのか?気になっているはずです。
佐伯はなぜ、あのような行為に及んだのか?
なぜ「ブラックペアン」が使われたのか?
あのような手術は本当にリアルなのか?
今回は、この点について徹底解説してみましょう。
これ以降は、ネタバレしても良いという方のみお読みください。
(原作を未読の方は、ぜひ原作を読んでから読み進めていただければと思います)
あらすじを復習(ネタバレあり)
渡海と、教授の佐伯には昔からの因縁がありました。
20年前、渡海の父と佐伯は同僚でした。
佐伯が直腸切除術を行った患者さんの、術後の腹部レントゲン写真にペアンが写っているのを、渡海の父が偶然発見します。
佐伯が手術時に腹腔内にペアンを置き忘れたと知った渡海の父は、手術を行って摘出すべきと当時の教授に主張しました。
ちょうどその頃、佐伯はスペインに学会出張中でした。
ところが教授は、実はお腹の中にペアンを置き忘れたことを知った上で隠蔽していたことが判明。
手術は行われず、患者にも事実は隠蔽されたままとなります。
事実を知った渡海の父は左遷されてしまいます。
息子である渡海は、いつか佐伯に復讐したいと思っていました。
佐伯が学会出張中、腹痛で受診したその患者のレントゲン写真を高階に見せ、さもその時ペアンの置き忘れを知ったかのように装います。
当然、正義感の強い高階は手術を断行。
そのことを知った佐伯は招待講演をキャンセルしてまで慌てて病院に戻り、電光石火の速さで手術室に現れ手術を阻止しようとしました。
佐伯はなぜ、こうまでして手術を阻止したかったのか。
そのわけは、腹腔内に置き忘れたと思われたペアンを高階が取り出した時に分かります。
かつての手術時に、仙骨前面静脈叢からの大出血を自力で止血できなかった佐伯が、ペアンを使って止血していたのでした。
ペアンを外すことができずにそのまま閉腹し、患者にそのことを黙っていたのです。
案の定、高階がペアンを外した瞬間に大出血が起こります。
そうとは知らなかった高階と渡海は慌てて止血しようとしますが、とても止血できません。
そこで佐伯はブラックペアンを使い、
「あの日のような出来事は二度と繰り返してはならないと思っていた。あのような時のために用意したペアンだ」
と言います。
ブラックペアンは、カーボン製のためレントゲンには映らず、死亡時に火葬されると焼けてなくなってしまう特注の製品。
佐伯は来たる時のため、腹腔内に残しても支障がないペアンを開発していたのでした。
ペアンを残すことはあるのか?
おそらく原作を読んだ人は、
仙骨前面静脈叢って何?
ペアンをお腹の中に残すことなんてあるの?
ブラックペアンは実在するの?
といった疑問をお持ちでしょう。
分かりやすく解説しましょう。
まず、これが「ペアン鉗子」という手術器具です。
「鉗子(かんし)」は、何かをつかんでおくための金属製の道具の総称です。
ペアンは、もともと「止血鉗子」としてフランス人外科医のペアン先生によって開発されました(手術道具はほとんどが人名です)。
100年以上も前のことです。
この道具で血管を挟んで止血するわけですね。
佐伯は仙骨前面静脈叢からの出血が止められず、ペアンで止血したまま閉腹しました。
仙骨前面は、直腸手術ではまさに「鬼門」ともいうべき場所です。
静脈が入り組み、一度出血するとなかなか止められません。
この仙骨前面とは、どこのことなのでしょうか?
以下のイラストをご覧ください。
直腸と膀胱、仙骨の関係を見てみてください。
「仙骨(せんこつ)」とは、背骨の一番お尻に近い、下端の部分を指します。
直腸癌など直腸を切除する手術では、以下の図のように骨盤の奥底で直腸を切り離すことがよくあります。
この図で見てわかる通り、肛門に最も近い数センチの部分(下部直腸)は、骨盤奥底で脂肪組織の中に埋まっています。
下部で直腸を切ろうと思うと、周囲を深く掘りすすめ、直腸をまずブラブラの状態にする必要があるわけです。
ちょうど太い木を抜く時に、根っこのある深さまで周囲の地面を掘るのと全く同じ理屈です。
このとき、上図のように仙骨近くを掘ることになります。
佐伯はこの手術の時に、掘り進めるラインが仙骨に近づきすぎたため、出血したのですね。
実はこういう事例は、直腸の大きな手術では時々あります。
現在では、仙骨前面で出血しても、電気的に凝固できる装置を使ったり、止血剤が含まれたシートを貼り付けたりなど、様々な止血の手段があります。
しかし、小説の舞台となった1980年代なら、ガーゼでひたすら押さえ込んで下火にし、糸と針で縫い込むほかなかったのでしょう。
以前の記事でも書いたように、動脈からの出血なら根元を遮断してしまえば止血できます。
ところが静脈が集まった部分は、血液の流れが一方向でないため、どこを押さえても出血がなかなか止まらない、という事態にしばしば遭遇します。
昔の論文には、仙骨前面の出血を止められず、結局ガーゼを大量に詰め込んでお腹を閉じ、時間を置いて再開腹した、という報告もあります。
まさに、コードブルー3rd SEASONで藍沢が行った「ダメージコントロール手術」のようなものです。
さて、ではこういう状況でペアンを使えば止血できるのか?というと、かなり難しいでしょう。
仙骨前面は組織が薄く、ペアンで噛み込むのはやはり困難です(組織が傷ついて余計に出血するリスクもあります)。
逆に、もしペアンでクランプ(遮断)して止血できる程度の出血なら、その部分を糸と針で丁寧に縫えばペアンを外すことは可能です。
いずれにしても、ペアンをお腹の中に残して止血する、という状況が現実に起こる、ということはなかなかなさそうです。
(もちろん小説の世界ですので、リアルでなくて当然ですが)
広告
ブラックペアンは実在する?
ブラックペアンのようにカーボンでできた鉗子は、必要がないので存在しません。
なぜなら、そもそもお腹の中に残すことのできる金属器具が他にちゃんとあるからです。
たとえば止血のためなら、金属製のクリップがあります。
お腹の中に残しても大丈夫なクリップです。
お腹の手術をしたことがある人のレントゲンを撮ると、クリップがたくさん写ります。
こういった道具で止血できる以上、「お腹の中に残せる鉗子」は必要がないのですね。
また、「20年間出血部位を噛み込んでいたペアンを外すと再び大出血する」という展開も少し気になりました。
通常、鉗子を使って止血した状態で数日も経つと、組織が癒着して固まり、自然に止血してしまいます。
今回は年単位で時間をおいているので、ペアンを外しても出血することはまずないでしょう。
鼻血が出ても長時間押さえていれば必ず止まるのと同じ理屈です。
もちろん太い動脈や静脈なら出血する可能性もなくはないですが、少なくとも仙骨前面にあるような細い静脈なら、20年越しに再出血する可能性は低いと思います。
もし、大出血をペアンを使って止血し、かつ縫合することが困難、という状況が起こったなら、そのまま閉腹して患者さんに状況を説明し、数日後再手術、とするのが現実的です。
再手術の時には止まっているか、かなり出血は下火になっているはずで、ペアンを取り出すことは可能でしょう。
これも前述の「ダメージコントロール」と同じ理屈です。
もちろん、この程度のフィクションは、小説やドラマなら全くもって「アリ」だと思います。
私も読んでいてありえないと分かっていても、佐伯の仕込んだ「パンドラの箱」が20年ぶりに開けられる、という展開は非常にエキサイティングでした。
私がこの作品を気に入っているのは、前回記事に書いた通りです。
ドラマのタイトルが「ブラックペアン」である以上、ドラマでもブラックペアンが登場するでしょう。
この道具がどんな風に扱われるのか、非常に楽しみなところですね。
ドラマ第1話の解説はこちら!
手術器具についてはこちらの記事もどうぞ!