ドラマ第4話の解説はこちら!
※本記事は原作「ブラックペアン1988」の解説です。
小説「ブラックペアン 1988」は、1980年代当時の外科教室の空気感や、新技術の登場に揺れる外科医たちの息遣いが伝わってくるような、魅力的な作品です(当時のことはもちろん直接は知りませんが)。
作者の海堂尊さんが、入局1年目から2年目の実体験を元に書いているため、手術シーンは他作品とは比にならないほどリアルです。
また、実際にいそうなキャラの外科医たちを登場させ、外科技術に対する重要なメッセージを語らせる作品になっています。
ところがドラマの予告編を見るに、ドラマは原作のストーリーにかなり手を加えている可能性が高いと思われます。
おそらくこの原作の持つ重要なテーマはドラマでは継承されず、現代風にアレンジしている可能性が高いでしょう。
なぜ私がそう考えるか?
今回は、原作を読んでいない方でもネタバレにならないよう、少しだけ原作の感想や解説を書いてみたいと思います。
こちらもどうぞ!
原作のあらすじ(ネタバレなし)
舞台は1988年。
天才外科医、佐伯教授率いる東城大学外科教室に、主人公である研修医の世良が入局します。
佐伯は、次期院長候補と目されるほどに、院内でも絶対的な権力を掌握しています。
教室内では、教授の命令には絶対服従が原則ですが、事あるごとに教授に反駁し、教授回診にも参加せず昼寝ばかりしている異端児がいます。
渡海征士郎(とかいせいしろう)です。
渡海は「オペ室の悪魔」と言われるほど天才的な技術を持つため、どれほど日頃の行いに「難あり」でも、誰も攻め立てることができません。
そんな東城大外科教室に、佐伯のライバルである帝華大学外科教授の西崎が刺客を送り込みます。
帝華大では「阿修羅」と呼ばれていた有能な外科医、高階権太(たかしなごんた)でした。
チーム・バチスタシリーズで、のちに東城大学病院の院長となる人物です。
高階は、どんな外科医でも安全な手術を可能にする最新手術機器「スナイプAZ1988」を持ち込みます。
このスナイプを巡って、佐伯、渡海、高階が繰り広げる戦いと、それに翻弄されながら成長していく研修医の世良が描かれます。
ドラマ「ブラックペアン」では、小説とは異なり、主人公は世良(竹内涼真)ではなく渡海(二宮和也)です。
個性豊かな外科医たちや矛盾を抱えた医局体制を、まだナイーブな研修医の視点で描き出したのが小説の魅力でしたが、ドラマの主人公が渡海なら、かなり色合いが変わりそうです。
また1980年代は、消化器、心臓、呼吸器などの外科が全て「総合外科」という一つの科である病院が多かった時代ですが、原作の外科医たちは、中でも消化器外科領域の名手として描かれます。
実際原作で描かれた手術も、食道、直腸といった消化器手術でした。
ところがドラマでは、教授の佐伯(内野聖陽)や渡海は心臓外科医とされています。
何より、原作では大きな存在感を持つ高階(小泉孝太郎)は、かなりの脇役のようです。
高階の持ち込んだ「スナイプ」の存在は原作では非常に重要ですが、ドラマではその意味合いをかなり変えているだろうと予想します。
この「スナイプ」という最新機器が、原作ではどんな意味を持っていたのか?
原作の、非常に興味深いテーマを解説しておきます。
(核心的なことはネタバレしませんが、ストーリーには一部触れています。原作を読む予定で全くの予備知識を入れたくない、という人は以下は読まない方が無難です)
原作はこちら↓
広告
外科技術に革新をもたらした手術機器
原作の舞台となった1980年代から現在に至る約30年の間で、外科手術は革命的と言っていいほど進歩しました。
原作の舞台となる1980年代には、その後の消化器手術の歴史を変えることになる、ある革新的な手術機器が普及し始めています。
それは、自動吻合器(縫合器)です。
食道や胃、大腸のような消化管は、口から肛門まで一本道です。
癌などでどこかを切除すると、かならず上流と下流を縫い合わせて再び繋がなくてはなりません。
当然、当時は外科医が糸と針で細かく縫っていたわけですが、これを金属製のホチキスの針のようなもので、ワンタッチで縫いこんでしまえる器械が自動吻合器(縫合器)です。
ちょうど裁縫での、手縫いとミシンの関係のようなものです。
ただ、自動といっても電動ではありません(現在は電動のものもありますが)。
外科医が引き金を引いて針を打ち込めば縫い合わせることができる、という機器です。
高階が東城大に持ち込んだ「スナイプ」は、まさにこの自動吻合器(縫合器)でした。
「スナイプ」は、銃のような形からイメージされた造語ですが、正式名称は「サーキュラーステープラー」です。
現在、私たち消化器外科医が毎日のように使っている手術機器です。
原作で出てくる、食道と小腸をスナイプを使って縫い合わせるシーンのイメージ図を描いてみました。
私は当時を直接知りませんが、「外科医が手縫いしなくてもいい」というのは革命的である一方、賛否両論がありました。
なぜこれほど便利な機器なのに、賛否両論があるのでしょうか?
その理屈を小説では、佐伯、渡海、高階の三者三様の考え方で書かれています。
あの時代を現場で体験した医師だからこそ書ける、といえるほどいずれも正論なのが見事です。
最新手術機器を巡る普遍的な問い
高階は、自動吻合器によって「手術を誰でもできる簡単なものにする」ということを目標にしていました。
佐伯の門下生100人のうち、これまで10年で食道手術の術者を経験したのがたった5人だけであることを公然と批判します。
限られた技能を持つ外科医にしかできない手術方法では多くの患者を救うことはできない、というわけです。
まさにその通りです。
食道癌については症例数が少ないため、高階の意見が必ずしも正しいわけではありませんが、消化器手術は概ね高階の考え方が正解です。
癌の罹患数で言えば、胃癌、大腸癌など消化器癌の数はあまりに多いため、孤高の天才外科医を育てるより、広く技術の均てん化を図る方が患者の利益に繋がるからです。
また、高階のいた時代から手術は革新的な変化を遂げ、驚くべきほど安全性が高まりました。
当時は手術適応外だった高齢の方でも、今では手術が受けられます。
その上診断能も上がっているため、癌が手術可能な進行度で見つかりやすくなっています。
手術件数が増える中で、手術の難度を下げて、多くの外科医が同じクオリティで手術できる状態を目指すことがますます大切になっています。
当時から、高階はそれを考えていたということです。
そして実際、同じ考えの外科医は少なからずいたと思われます。
一方の渡海は、この新しい考えに嫌悪感を示します。
渡海は生まれ持った天才的な技能を誇り、外科医としてこつこつ技術を高める努力はしないタイプです。
才能があれば鍛錬など不要。
才能のない外科医はいずれ前線から離脱するので、教育する必要はない。
一部の才能のある外科医だけが育てば良い。
という考え方です。
才能のない外科医を懸命に育てても技術の伸びが悪く、コストパフォーマンスも悪い。
そういう人に術者になってもらっては、患者にとってプラスにもならない、というわけです。
そして、技能が高ければ便利な機器など必要なく、自らの腕だけで安全な手術は可能だと主張します。
私はその考えを肯定はしませんが、実際にこういう考え方の外科医もいるでしょう。
そして教授の佐伯はまた、異なる考えを持っています。
手術を簡単なものにすべきだという高階の考えを尊重してはいますが、新技術の導入には慎重です。
小説では、私たち外科医にも教訓的な、非常に重要なセリフを佐伯が高階に言い放ちます。
「お前にはまだわからないだろうが、お前の考えを推し進めていくと未来のどこかで必ず、未熟者が自分の技量も顧みず、見よう見まねで新技術に挑戦するようになる。その時医療は大勢の人を殺す。」
まさに外科領域では、新たな技術の導入がなされるたびに、現場でこうした問題が度々起こってきた歴史があります。
腹腔鏡を難度の高い手術に適用して起きた連続死亡事例や、ダヴィンチを使ったロボット手術での死亡事例は、多くの人がご存知でしょう。
新技術を導入する時は、過剰なほど慎重になること、不測の事態が起こった時にリカバリーできる能力のあるチームで行うことが極めて大切なのです。
実際この試練を乗り越える力を持った高階は、「この器械で日本の外科が変わる」と言います。
そして今まさに彼の言葉通り、「スナイプ」は当たり前のように使われています。
腹腔鏡手術は今や消化器外科手術の主流となり、ダヴィンチはついに2018年4月、消化器癌手術をはじめとして12種類の手術で一気に保険適用となりました。
新しい技術は様々なあつれきを生みますが、本当に患者さんにとってプラスになる技術は、必ず時間をかけて普及していきます。
まさに技術革新の黎明期と言える時代をうまく描いたブラックペアンは、その点で非常に強いテーマ性を持った小説です。
1980年代が舞台だったからこそ描けた、原作の強いメッセージをドラマで継承しないとしたらもったいない、と個人的には思います。
もちろん面白いドラマになるのなら、原作に固執する必要はないとは思いますが・・・
いずれにしても、放送開始を楽しみに待ちたい思います。
こちらもどうぞ!
原作はこちら↓