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ブラックペアン第1話|医学雑誌の編集長は本当に権力者なのか?

ブラックペアン関連の記事を連日非常に多くの方が読んで下さり、このドラマへの関心の高さを感じます。

今回は、第1話解説記事に対していただいた2つの質問にお答えしたいと思います。

手術室の様子をあんな大会議室でみんなで見守ることはありえないとしても、大学病院のような大病院の場合、医局や院長室などで見ることができる設備は実際に一般的なのでしょうか

リアルタイムで見る人がいないとしても、記録(学習用?検証用?)として映像に残すのは一般的なのでしょうか

日本の雑誌が世界的権威ということはないとしても、医学雑誌の編集長が権力を持っている、医師たちにとって頭の上がらない存在、というのは現実でもそうなのですか?

 

これらはいずれも医師にとっては非常に大事な質問です。

前回記事「外科医は腕が全てなのか?ブラックペアンとドクターXの共通点」でも少し触れていますが、もう少し詳しく解説してみたいと思います。

 

手術映像を遠隔で見ることはある?

手術室の様子はカメラで撮影されるのが一般的です。

カメラには2タイプあります。

一つは天井に固定され、手術室の様子を遠隔で観察できるものです。

術野そのものは遠くて見えないので、手術自体の進捗まではわかりません(たとえば「今お腹の中で○○を縫っている」といった状況まではわからない)。

通常は、オペ室看護師や麻酔科医が、手術の状況をナースステーションや麻酔科医室で見るのが目的です。

つまり、手術が始まったか、まだ終わっていないか、清掃は終わったか、といった大まかな状況を観察するためのものです。

 

「ブラックペアン」で出てきたのは、渡海が手術室に入ってくる映像や、手術する医師の横顔など、手術室に一人カメラマンがいないと成立しない動画でしたね。

実際には定点カメラしかないので、こんなことはできません。

(ドラマではライブ手術だったので、本当にカメラマンがいたという設定だと思いますが)

 

もう一つは、術野を写すカメラです。

開腹、開胸手術であれば天吊りタイプで、天井からぶら下がったカメラが私たちの手元の上にある状態です。

無影灯(むえいとう:手術中に術野を照らす電灯)の中央部分にカメラが取り付けられているところもあります。

狭い空間で作業する心臓外科医や移植外科医は、ヘッドライトのようなカメラをつけていることも多いです。

カメラがおでこにあるので、術者が見たままに近い映像を他の人も見られるのが利点ですが、頭の揺れが直接映像の揺れに反映されるため、見続けると酔うこともあります。

こちらの目的は、ご質問にあるように手術の学習や検証です。

後から検証したり、外科医が技術の向上のためにあとで見直したりすることができます。

これは前回記事で書いた通りです。

医局や部長室などから遠隔で見ることのできる仕組みがある病院も実際にあります。

 

また、手術室に見学に行っても、外科医の手に隠れて肝心な部分が外から見えないことがあるため、術野の映像は手術室のモニターに表示されるところも多いです。

ある意味、コンサート会場で客席から見たら米粒大のアーティストを、モニターに大きく映し出される映像で見る状況に似ています。

現場にいるけれど見るのはモニター、という意味ですね。

ただし今回の第1話のように、カメラに映っていないシーンで何かが起こっていても後から検証はできませんし、学習するにも限界はあります。

映像だけで偵察が済むなら、帝華大のメンバーもわざわざ東城大に足を運ばず、都合のいい日に映像を見させてもらえばいいことになります(もちろん個人情報なので簡単なことではありませんが)。

第1話の解説で述べたように、手術の見学はやはり手術室に足を運ばなくては意味がないでしょう。

 

一方腹腔鏡や胸腔鏡手術は、モニターの映像を見ながら行われるため、記録された映像は手術中に外科医が見た映像そのものです。

よって高い技術を持った外科医の手術を何度も見ることができるため、若手外科医がトレーニングを積みやすく、技術の発展に大きく貢献しています

もちろん自分が行った手術をもう一度見直して、次の手術にフィードバックすることもできます。

外科医である限り、技術を高める作業を一生涯怠ってはならないと思っているからですね。

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医学雑誌と編集長の扱い

ブラックペアンでは、編集長の池永(加藤浩次)が論文の採択権を持っているため、外科医が業績を上げるためには頭の上がらない存在ということになっています。

個人的には、あの何ともいえない風格と「うさんくささ」が面白くて今後が楽しみなのですが、これはどのくらいリアルなのでしょうか?

 

医学雑誌に採用された論文の本数は、確かに医師の業績を決める一つの大きな要素です。

しかし編集長がそれほど大きな力を持つということはなく、病院にあのようにやってきて拍手で迎えられることはもちろんありません。

そもそも医学雑誌の編集長(エディター)はどこかの病院の医師(大学教授など)が務めるので、あまりそういうことをする時間も動機もないでしょう

 

通常、提出された論文はまず、編集長が査読者に回すかどうかを決めます。

査読者とは、論文を読んで却下するか、採用を前提に修正指示を出すかを決める、審査員のような存在です。

編集長が「査読者に回す価値なし」と判断すれば、その時点で却下となります。

その点で編集長は力を持ちますが、論文を採用するかを決めるのに大きな役割を果たすのは、実際に論文を細かく読んで審査する査読者です。

では査読者は誰がやっているのでしょうか?

 

実はその論文のテーマを専門領域とした、一介の医師でボランティアです。

編集長が誰に査読者を任せるかを決めるので、誰に回ってくるかはわかりません。

私にも査読が回ってくることがあります。

権威ある雑誌ではもちろんなく、多くはインパクトファクターが2〜4点台程度の、自分がこれまで論文を採択されたことのあるいくつかの英文誌です。

(「インパクトファクター」はブラックペアン第1話で図解入りで出てきたので、私も解説記事で説明しました)

論文が採用されるかどうかは、この査読者の裁量によるところが大きいです。

査読者が厳しい人だとあっさり却下だし、似た内容でも「査読者運」が良いと、修正指示(リバイズ)としてくれることもあります。

 

そして複数の査読者の評価を編集長が加味してバランスをとり、結果を最終決定します

私は自分の論文が却下(リジェクト)された時の辛い気持ちがわき起こるので、丁寧かつやや甘めの採点が好みです。

 

自分が論文を投稿するときは、その論文がどの査読者に回るか分かりませんので、裏工作はできません。

誰が査読したかは最後まで伏せられることが多く、投稿者は一切知ることはできません(あとで開示される雑誌も一部ありますが)。

論文不正や忖度(そんたく)を防ぐための当然の仕組みですね。

またボランティアですので、一生懸命査読しても、査読者には一銭も給料は出ません

医学の発展に貢献したい思いと、自分の論文を無償で査読してくれた見知らぬ誰かへの恩返し、というつもりでみんな参加しています(医学に限らず全ての論文はそうです)。

 

論文という業績が医療ドラマで描かれることはよくありますが、この辺りを正確に理解されていないことが非常に多いので、簡単に解説してみました。

 

こういう、手術映像や論文に関する話題は知っておいて損はないと思いますが、「ドラマの解説記事」として紹介しないと読む人は半減します

私がドラマ解説をやるのは、ドラマで扱われたことで医療に関心を持つ人が一時的に急増するこのチャンスを生かさない手はないと思っているからです。

 

引き続き、ドラマ放送に合わせて医療の周辺知識を解説していきたいと思います。