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ドラマ「がん消滅の罠 完全寛解の謎」感想|小説から失われたリアリティ

皆さんは、スペシャルドラマ「がん消滅の罠 完全寛解の謎」をご覧になりましたか?

私は1ヶ月ほど前にこの原作を読み、このブログで解説記事を書きました。

原作を読んだ方は気づいたと思いますが、ドラマでは原作がかなり改変され、純粋な医学ミステリーからサスペンスタッチのストーリーに変わっていました。

それだけでなく、残念ながら原作のトリックをきっちり理解しないまま改変が加えられているため、医学的に矛盾が生じていました

 

繰り返し書いておきますが、原作は医学ミステリーとしては非常にリアル(許容範囲)で、完成度はかなり高いものです

しかしドラマでは、トリックを構成する上で、医学的に非常に重要な部分を改変したせいで、リアリティが完全に失われています

残念ですが、あの方法では、夏目の妻、紗季の肺癌は完全寛解しません

元科学者である原作者は、さぞ歯がゆい思いで改変を受け入れたのではないでしょうか?

できればこのブログを読んだ皆さんには、原作を読んで、本当の面白さを堪能してほしいと思います。

 

さて、ではドラマのどの部分に矛盾が生じているのか?

全体を振り返って解説してみましょう。

 

免疫抑制剤を使った癌移植

日本がん研究センターの呼吸器内科医、夏目(唐沢寿明)の二人の患者の末期肺癌が、完全に消滅してしまいます。

余命半年で、本来治るはずのない肺癌が夏目の目の前で完全寛解する

何が起こっているのか、夏目は理解できません。

しかもこの患者二人は、余命が半年以内と診断されると保険金が受け取れる、生命保険のリビングニーズ特約を契約していました。

彼らは、末期癌の診断のおかげで大金を得て、その上で癌が完治してしまったのでした。

おかげで夏目は、保険金詐欺に加担し虚偽の余命診断をしたのではないかと疑われることになります。

 

夏目と、同期である羽島(渡部篤郎)が共に調査した結果、この患者二人は、

以前に湾岸医療センターという病院を受診していたこと

アレルギー疾患を患っていたこと

という二つの共通点が明らかになりました。

この時湾岸医療センターが使っていたトリックは、原作の解説記事で説明したとおりです。

免疫抑制剤の投与により、拒絶反応を抑制した状態で他人の癌細胞を注射

移植された癌は増え続けるが、免疫抑制剤の投与をやめると拒絶反応により癌が自然に消える

免疫抑制剤の投与は、アレルギー疾患の治療が名目だった。

という流れでした。

この部分は原作の通りです。

アレルギー性鼻炎に強力な免疫抑制剤を使うことはありえませんし、そもそも通院で行う免疫抑制剤の投与だけでは、他人の癌の移植が難しいことは前回記事で解説した通りですね。

 

また、実は私たちは日常診療で、抗癌剤治療中にCTの画像上で癌が見えなくなるまでよく効く、ということは、普通に経験します

当然これは、CTで検出できない程度に小さくなっただけである可能性が高く、これを「完全寛解」と騒ぐ医師はいません

抗癌剤投与をやめると、高い確率で再び癌は現れてくるからです。

画像では確認できなくなった癌に対してどこまで抗癌剤を続けるべきか、私たちは臨床の現場でいつも頭を悩ませています。

 

よって今回のように、CTで癌が消えた(見えなくなった)瞬間から、医師みんなが「完全寛解だ!」と驚き、直後に保険金詐欺の疑いで警察が動く、というのは何とも陳腐なストーリーです。

原作では、作者がこの癌治療の現状をしっかり理解されているため、このような違和感はないストーリーになっています

この臨床の現状を十分理解していない人がストーリーを改変してしまったのですね。

ステージ4の癌で治療を受け、癌が画像上見えなくなっても抗癌剤治療を粘り強く続け、全く安心できない日々を過ごしている患者さんが現にたくさんいます

厳しいようですが、ここは私が強く批判的に書きたいポイントです。

原作者は癌に詳しい方で、この部分までしっかり分かっているので、小説ではリアリティを損なわないよう慎重に書かれている、ということは強調しておきます。

 

さて、もっと大きな問題があるのは、もう一つのトリックの方です。

 

紗季の肺がんは完全寛解しない

夏目の元には、別の肺癌患者もいました。

初期の癌と思われた厚労省の柳沢と、暴力団の組長、榊原です。

彼らは、初期の癌でありながら多発転移を起こし、しかも湾岸医療センターで治療したら癌が消滅してしまいます

 

癌が消滅するこの二つ目のトリックの仕組みはこうです。

患者の癌を摘出して培養し、遺伝子組み換えによって自殺装置を組み込んで同じ患者に移植

多発転移を起こさせます。

自殺装置は特定の薬剤投与によって発動するため、後から自由に癌を消滅させることができます。

また、自分の癌を移植するため、拒絶反応は起こらず簡単に多発転移を起こすことができる、というわけです。

 

前者のトリックは、癌でない人を、他人の癌を使って末期がんにさせ、これを自身の拒絶反応によって消滅させる

一方で後者のトリックは、もともと初期の癌である人を、これを摘出して細胞を培養し、自殺装置を組み込んだ上で再度移植、自殺装置の発動で消滅させる

というものです。

後者のトリックは、もともと癌である人にしか使えないということですね。

 

ここまでは原作と同じです。

このリアリティについては、前回記事で解説した通りです。

 

ところがドラマでは、夏目が警察に追われ、湾岸医療センターの諸悪の根源である西條から脅迫される、というサスペンスタッチのストーリーにどうしてもしたかったようです。

そのために「夏目の妻が肺癌になる」という原作にはない筋書きを追加しました

そのせいで、妊娠中にもかかわらずCTを何度も受けさせられたり、最終的には謎の薬を点滴させられるなど、かなりリアリティが失われています

ただ、大きな問題はそこではありません。

 

夏目の妻、紗季は、湾岸医療センターで半年前に受けた人間ドックで、初期の肺がんが見つかっていました。

このことを紗季に伝えずに、同センターの外科医、宇垣は紗季の癌細胞を採取して培養します

そして半年後、夏目を脅迫するため、培養された癌細胞を紗季に注射、多発転移を起こしました

これは自殺装置が組み込まれた癌細胞であるため、二つ目のトリックが使える、

つまり特定の薬剤投与で癌を全て消滅することができるので、夏目を脅迫する道具になる、というわけです。

 

しかしこの筋書きは、実は原作者の意図を理解していないドラマ製作者が犯してしまった完全なミスです。

このトリックのポイントは、癌を「全て摘出」し、これを培養して再度移植する、ということにありました。

だからこそ、このトリックが使われた患者全員が切除可能な初期の癌であり、湾岸医療センターで不自然なほど高率に初期の癌が再発している事実に繋がるわけです

癌が全て切除され、体から完全に癌がなくなる

自殺装置を組み込んだ癌を移植する

患者の癌は全て、自殺装置が組み込まれた癌細胞で構成されている

だから自殺装置の発動で癌が全部消える

という流れが原作でのこのトリックの最大のポイントです。

 

今回紗季は、人間ドックの際、宇垣によって生検鉗子を使った生検(癌の一部を削りとって検査すること)をされています。

これを培養し、自殺装置を組み込んだ、という流れです。

よって紗季の癌(原発巣)は切除されていません

当然、全て摘出するには肺の切除が必要なので、本人に黙ってはできません。

そもそも手術が必要で、術前術後合わせて最低でも1週間は入院が必要ですし、全身麻酔が必要なので、本人に検査と偽って癌を摘出するのは不可能です。

 

よって紗季の体にはもとの癌(原発巣)が残った状態です。

半年後移植した癌細胞によって多発転移を起こした後、西寺が作った薬を投与するわけですが、これによって消えるのは、移植された癌細胞だけです。

もとからある原発巣の癌細胞は自殺装置が組み込まれていないので、消滅させることはできません

よって、紗季の癌は完全寛解しません

もはや、ドラマ化する際に起こったケアレスミスとしか言いようがないストーリーです。

 

そもそも原発巣を無治療で放置すると、半年の間に進行するリスクがあります。

症状が現れて、後日別の病院で肺癌が見つかれば、湾岸医療センターでの肺癌の見逃しが発覚してしまいます。

 

紗季を癌にした上で夏目を脅迫する、というストーリーにしたいなら、紗季の肺癌の完全切除が必要です。

紗季が肺癌になり湾岸医療センターで手術した、というストーリーをうまく作っておけば、ここの矛盾はなかったわけです。

いつものように、「私で良ければ監修しますよ」と言っておきます(半分以上本気です)。

原作の完成度が高いだけに、残念な劣化と言わざるを得ません。

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西條の人物像の違和感

西條の人物像の描き方にもやや違和感がありました。

西條は、娘に新薬を使えなかった悔しさから、ドラッグラグを解消するため、政治的に力を持ちたいと考えました。

有力者を癌にして脅迫する反面、この罪悪感を、同時に弱者を救済することによって慰めていた、という流れでした。

原作を読んだ私としては、これで視聴者は納得するのか?、という疑問を感じます。

「弱者を救済したい」というだけで、癌でも何でもない健康な人を癌にするなど、さすがに常軌を逸していて理解を超えています

夏目が言った「西條は、悪行と善行のバランスをとりたかったから」で片付くでしょうか?

「金銭的に補助するなど、他にも救済方法があるのでは?」と思われそうです。

 

原作の西條は、

「人は末期癌になって救いようのない絶望を味わって、そこから這い上がった時にこそ最高の悦びを感じられる。これこそが真の救済だ」

という、ちょっと寒気のするほど歪んだ発想の持ち主でした。

この西條の何とも言えない「エグみ」「狂気」が、原作の魅力の一つだったように思います。

 

私は、元癌研究者である原作者の、科学への挑戦的な姿勢が随所に現れた原作が好きなので、ドラマ製作者に対しては失礼ながら、このように批判的な感想を書いてしまいました。

ドラマでスッキリしなかった方には、ぜひ原作を読んでほしいと思います。