『すばらしい医学』シリーズ累計21万部

「コード・ブルー」は他の医療ドラマと何が違うのか?

「コード・ブルー アワード」で、「他の医療ドラマとの違い」について私が話す場面がありました。

これは非常に重要なポイントなのですが、限られた時間で全てを伝えることができませんでした。

これまでの記事でも一部は触れたことがありますが、今回改めて詳しく解説してみたいと思います。

 

全てが落ち着いた展開

3rd SEASON 第5話でも触れたように、コードブルーでは緊急事態が起きても大騒ぎが起こりません。

医師や看護師は多少早口になるくらいで、基本的に冷静で落ち着いたトーンで話します。

記事の中で触れた緋山の「Aラインとってー」「誰か輸血オーダーしてー」のように、むしろ脱力した感じの指示も飛びます。

「患者の生死がかかった超緊急事態でこのテンション」というのがコードブルーの大きな特徴です。

 

一方、他の医療ドラマでは、緊急事態では医療スタッフが走り回り、現場が大騒ぎになるのがテンプレ化しています。

「何やってんだ!輸血急げ!」

「もたもたするな!速くしろ!」

という叱咤激励もあります。

なぜこういう表現になるかというと、このくらいの「大騒ぎ感」がある方が、緊急事態であることが視聴者に伝わりやすいからです。

よって、こちらの方がドラマでは自然ということになります。

 

しかし、現実に近いのはもちろんコードブルーの方です。

実際、救急医療の現場で大声を出して走り回る人はほとんどおらず、淡々と仕事をするのが普通です。

医師や看護師は、「緊急事態かどうか」は患者さんを見れば分かるので、緊急であることをことさらに表に出す必要はありません

考えてみれば当たり前ですね。

よって静かに診断され、静かに治療は進行し、最後まで落ち着き払って治療が終わる

これが現実です。

 

不思議なことに、コードブルーはこの「落ち着いた感じ」をリアルに表現しているにもかかわらず、むしろ緊迫感があるように見えます

ここに製作スタッフの凄まじいセンスを感じるわけです。

この「センス」とは一体何なのか?

具体的に分析してみましょう。

 

脳内補完の限界を目指す

1st SEASONから製作の中心である増本プロデューサーとお話した時に、コードブルーのリアルな表現について言われた、

「脳内補完の限界を目指す」

という言葉が印象に残っています。

 

現実の医療現場で医師や看護師がチームで動く際、患者さんの状態について「お互い言わなくても分かること」は言いません

しかし、これをそのままドラマにすると、説明不足になって視聴者はついていけません

そこで医療ドラマでは、誰かが「説明役」になって医学的な意味を説明してくれるのが一般的です

当事者たちが具体的に説明しながら処置をしてくれることもあるし、別の第三者が説明してくれることもあります。

 

例えばドクターXでは、手術室を見下ろす吹き抜けの窓から手術を見ながら別の医師たちが、

「なんてやつだ。◯◯が△△すると□□になることに気づいていたなんて…」

というように病状と大門の戦略を説明し、それを受けて大門も手術しながら説明を加えます

この際、難しい用語には字幕が出て、さらにイラストも表示されます

 

一方、コードブルーではこうした説明の大部分が省略されています

説明的になればなるほどリアルから遠ざかるため、リアリティを目指すコードブルーには「説明役」がいません。

しかし、ただ省略するだけでは意味が伝わらなくなるため、

「省略された部分を、視聴者が想像の範囲で補えるギリギリを狙う」

という戦略を取る。

これを増本Pは「脳内補完の限界を目指す」と表現したわけです。

 

では、3rd SEASONで具体例を挙げてみましょう。

広告

 

藍沢の頭部処置を振り返る

3rd SEASON第6話では、倉庫内の事故によって男性が頭部外傷を負います。

藍沢が男性の頭部処置を行うのですが、なかなか意識が戻らず四苦八苦します

試行錯誤の末にようやく原因が判明するのですが、ここでの説明は、

「脳圧が上がっているのは脳全体が腫れていたからだ、脳腫脹だ」

で終わりでした。

藍沢のこの一言だけで、その後すぐに冴島と処置に移ることになります。

 

ここで省略されたのは、

脳圧上昇は意識障害を引き起こすこと

脳圧が上がる原因の一つとして水頭症があること

水頭症は、頭部外傷によって脳脊髄液の還流がせき止められ、脳室(脳内の空間)に脳脊髄液が溜まって起こりうること

という事実です。

解説記事で詳しく解説しています)

 

これらの事項は、その場にいた経験豊富な藍沢と冴島は了解済みなので、「一切説明なし」がリアルということになります

しかしこの後、

「チューブを脳室内に入れると透明の液体が噴出し、意識が戻ってくる」

という描写があるので、視聴者は、

「どうやら液体が脳の中にたまりすぎたせいで意識がおかしくなっていたようだ」

「これを見抜いた藍沢の洞察力がすごそうだ。かつ『小児用気管チューブ』を使うのは冴島のナイスアイデアのようだ」

と無意識に補完します。

 

さらに藍沢の、

「側脳室の位置を確認したい、こめかみと眉間の間に・・・」

と言い終わらないうちに冴島が指で適切な位置を押さえ、これを見た藍沢の驚いた顔が映った後、冴島の技術に唖然としたような雪村の表情が映る

視聴者としては「側脳室」という言葉すらよく分からないけれど、最終的には、

「冴島はオペ室経験があり、脳外科手術中に適切な術者へのサポートができた。さすが冴島!

という流れが伝わって、たっぷり見応えを感じて見終わることができます。

 

ギリギリまで説明をそぎ落とすことで、むしろスピード感が増し、エキサイティングな展開になっていることがわかるでしょうか?

 

ただし、説明を削りすぎると説明不足になって面白くなくなるリスクがあります。

そこで、視聴者の立場に立って「どこまで削っても大丈夫か」を正確に認識することが重要になってきます。

この線引きをどうやって決めているのでしょうか?

増本Pは、「白い巨塔」「救命病棟24時」「Dr.コトー診療所」の製作に携わった豊富な経験から、医療ドラマにおけるこの微妙なラインを知り得たと言います。

もはや、想像を絶する域に到達していると思います。

 

コードブルーで意識されていることは、

「ドラマ内の人物はテレビの向こう側にいる人には話さない。あくまでドラマ内の人物に話す」

だそうです。

コードブルーを見慣れた人にはよく分かる表現ですよね。

 

というわけで今回は、コードブルーと他のドラマの違いについて分析してみました。

この記事を読んで、そのつもりで見直してみると色々な発見があるかもしれません。