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アンナチュラル 第9話感想|医師にとって身近なホルマリンと蟻酸の関係

法医学をテーマにしたアンナチュラルでは、毎回様々な死因が登場する

第9話で登場した死因は、全く予想できない、ある意味「法医学の盲点」とも言えるもの。

特に今回はよくできた科学ミステリーのような筋書きで、完全に騙されてしまった。

ちなみに今回の毒物は、実は法医学者に限らずどんな臨床医にとってもなじみ深い

なぜなのか?

じっくりわかりやすく解説しよう。

 

今回のあらすじ(ネタバレ)

空き家に置かれたスーツケースから女性の遺体が発見された。

遺体の口の中には金魚の形をした赤い傷跡

8年前に殺された中堂(井浦新)の恋人、夕希子の口腔内にあったものと同じ印であった。

UDIで解剖した結果、胃の中から極端に腐敗した肉が発見され、ボツリヌス毒素が検出。

神経毒であるボツリヌス毒素による中毒死が疑われる。

中堂は犯人への怨恨から、独自に現場に足を運び、入念な観察の結果5匹のアリが死んでいるのを発見。

死んだアリから蟻酸が検出される。

蟻酸は、ホルマリンが酸化してできる酸

女性の遺体を再度検査すると、血液中からホルマリンが検出され、ホルマリン中毒が死因であることが発覚する。

女性の遺体が発見から7日経っても不自然なほど腐敗していなかったのは、ホルマリンによる防腐作用が原因だった。

防腐作用が及ばない胃の内容物だけが極端に腐敗が進んだ理由もこれで明らかになる。

ホルマリンの防腐作用を加味すると、実際の死亡日時は本来想定された日時から1ヶ月以上前。

ここで捜査線上に浮かび上がった男は、その空き家の持ち主だった−。

 

ホルマリンと蟻酸とは?

私たち外科医は毎日のように手術で臓器を切除して摘出し、これを病理検査に提出する。

病理医はこれを細かくスライスし、様々な加工をほどこして顕微鏡で観察し、病気を診断する。

しかし、1日に何十もの臓器や組織が各科から提出されるので、当然病理検査は順番待ちである。

たいてい組織の切り出しは手術の翌日

金曜の夜に終わった手術で出た組織なら、切り出しは土日を挟んで週明け月曜日である。

この順番待ちの間に、もし臓器を放置すればたちまち腐り、腐敗臭を放ち、検査どころではなくなってしまう

そこで私たちはいつも、摘出した臓器をすぐにホルマリン(ホルムアルデヒド水溶液)につけておく

ホルマリンは臓器や組織の腐敗を完全に停止させ、そのままの状態で固定する作用があるからだ。

 

ホルマリンは人体に有害な劇毒物であるため、病院では鍵のついた倉庫に保管されている

また、ホルマリンは揮発性が強いため、すぐに蒸発して気体に変化する。

その気体の刺激臭はあまりに強く、ホルマリンに臓器をつける際は息を止めないと辛いほどである。

 

ちなみにホルマリンを扱うのは外科医に限らない。

たとえば胃カメラで胃の組織を一部とって検査に出す内科医も、その組織はすぐにホルマリンにつける。

これが私たちのルーチンワークである。

遺体の解剖を行う法医学者も同じように、摘出した臓器はすぐにホルマリンにつけ、それを検査に回しているわけだ。

 

さて、ここで問題となるのが、今回のようにホルマリン自体が死亡の原因だった場合、つまりホルマリン中毒のケースである。

血液中にホルマリンが含まれていても、すぐに蒸発してしまうため通常の検査では検出されにくい。

一方、血液中に入ったホルマリンは各臓器に行き渡っているはずだが、全ての臓器は解剖後にホルマリンにつけてしまうため、もともと臓器にホルマリンが含まれていたのかが分からなくなってしまう

まさに中堂の言った、

「毎日見てたせいで気づかなかった」

というセリフが、医師にとってこの死因が盲点であることを物語っていたのである。

ちなみにホルマリン(ホルムアルデヒド)は空気に触れて酸化すると「蟻酸」という酸に変化する

これは高校の化学で誰もが必ず習う知識である。

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ボツリヌス毒素とは?

今回女性の体の中でボツリヌス菌がなぜ繁殖していたのか?

これについても分かりやすく解説しておこう。

ホルマリン中毒と違い、今回のストーリーで当初疑われたボツリヌス中毒は、誰もが必ず注意すべき食中毒の原因である。

 

ボツリヌス毒素は、ボツリヌス菌という細菌が産生する神経毒である。

自然界の毒素の中では最強とされ、その毒力はふぐ毒の1000倍以上

中毒を起こすと、全身の神経と筋肉を麻痺させ、重度の場合は横隔膜と呼吸筋の麻痺によって呼吸ができなくなって死亡する

ボツリヌス菌で注意すべきなのは、食中毒を起こす他の細菌とは性質が全く異なるという点である。

 

ボツリヌス菌は酸素があるところでは生きられない(偏性嫌気性菌という)。

酸素が無い環境で増殖し、大量の毒素を産生する。

これは、

「酸素が豊富な環境で食べ物が腐り、細菌が繁殖して食中毒を引き起こす」

という私たちが持っているイメージとは真逆である。

これまでボツリヌス食中毒が起こった食品の例としては、酸素のない状態になっている食品、つまり、ビン詰や缶詰などに詰められた食品や、真空のパウチに入った保存食品である。

およそ私たちの感覚では「菌があまり繁殖しなそうな環境」で、徐々に猛毒が生み出されているわけだ。

そしてこの大量に増えた毒素を摂取することで食中毒を発症する。

かつて真空パックの「からしれんこん」によるボツリヌス中毒患者31名、死者9名を出した大事件は有名である。

 

よって今回のストーリーでは、「胃の中」という非常に酸素の少ない環境で、食べたものが腐る間にボツリヌスが増殖したわけだ。

当初はこれが原因の食中毒に見えたが、ボツリヌスが増殖したのは女性が食べたあと1ヶ月も経ってからの話である

本来は胃から腸へ流されて便になって出ていたはずの食べ物が、女性が死亡したせいで体内で無酸素の環境に長時間放置されていただけなのである。

 

ちなみに、一般的なレトルト食品や缶詰食品は、 120℃、4分間以上の加熱が行われているため心配はない(ボツリヌスは死滅している)。

そのため常温保存も可能だ。

ところが似たような包装でも加熱滅菌されておらず、「要冷蔵」となっている「まぎらわしい商品」が意外に多い。

ボツリヌス菌が増殖しない10℃以下で冷蔵保存し、期限を守って食べることが大切である。

また、家庭で缶詰やびん詰などをつくる時は、材料をしっかり洗い、十分に加熱すること、冷蔵保存を守ることに注意したい。

 

今回は、ホルマリンという法医学の裏をかいたような死因と、それによって死亡推定日時が狂ったせいで、腐敗した胃の内容物から別の死因が想定される、というミスリードに繋がる、という筋書きが非常に面白い。

独創的な発想であるが医学的にも筋が通っており、製作者や監修医には頭がさがるばかりである。

というわけで次回はいよいよ最終回。

ぜひ、この解説記事の方もお楽しみいただければ幸いである。

番外編の解説でもホルマリンについて書いています。

アンナチュラル 解説|医学部では法医学と解剖学をどんな風に学ぶのか?