26〜27日に放送された24時間テレビが投稿したあるツイートが物議を醸している。
フィギュアスケートの羽生結弦選手が、幼い頃から小児喘息を患っていたことを告白し、持病と向き合いながら選手生活を送っていたことを明かした。
それに対し番組公式Twitterが、
「2歳の時に小児ぜんそくと診断された羽生結弦選手が、病気を言い訳にせず世界のトップで戦い続ける思いをテレビで初告白」
というツイートを行なった。
この「病気を言い訳にせず」という表現に対し、
「持病で運動ができない人は『言い訳』しているのか?」
「病気や障害は『言い訳』なのか?」
「慎重に言葉を選ぶべきだ」
といった非難が殺到した。
私は、こうした発言が出る前から、この番組の根底にある発想がよくわかる。
病気や障害は「闘うもの」であり「努力して克服するもの」だという発想だ。
そして闘う人たちを毎年応援している。
まるで、サッカーの日本代表選手を応援するかのように、闘う人たちの背中を押している。
憎き相手に負けるな、とエールを送っている。
そしてサッカーの試合を中継するかのごとく、闘う彼らの姿を全国に流している。
みんなで彼らを応援しよう、と。
もちろん、この考え方が間違っている、とは言わない。
誰しもできるなら病気と闘って、努力して克服したいと思うものだ。
だが、私たち医療者とは少し異なる考え方だと私は思う。
私は、病気を抱えて生活する患者さんたちに対し「病気は闘うものだとは思ってほしくない」と思うことが多い。
例えば「がん」のように、「努力して克服できるような性質ではない病気」は非常に多いからだ。
そこで私は、病気や障害は、上手にお付き合いしていくものだと考えたい。
病気を持ちながら、趣味を楽しんだり、家族との時間を過ごしたり、可能な範囲で仕事をしたりできるよう、うまく付き合うのである。
病気の重症度によっては、付き合い方にひと工夫必要なものもある。
生活が制限される程度も違う。
同じ小児喘息でも、スケートを続けられる羽生選手のような方もいれば、運動自体が禁止されている方もいる。
そこで私たちの出番である。
私たち医療の専門家が、上手にお付き合いできるよう、専門的知識をフルに使って病気を上手くコントロールする手助けをしている。
そういう感覚である。
誰しもいつかは病気や障害を抱えて生活することになる。
うまくお付き合いしながら、日常生活を送らなければならなくなる。
人によってその時期が違うだけである。
テレビ番組にもそういう発想があっていいのではないだろうか。
病気や障害と闘うのではなく、上手にお付き合いするその知恵を、同じ病気や障害を持つ人たちに伝える、というスタンスで番組を作ってほしいと私は思う。
そして羽生選手ご自身も、そういうお気持ちでいるのではないかと、勝手ながら想像している。