私はランニングやトライアスロンが趣味で、年に5、6レース、多い年は10以上のレースに出場します。
ここ数年はランニングブームで、市民のマラソン大会に驚くほど応募が殺到します。
ランニングの試合に毎年出ているという方も多いでしょう。
私がこういうスポーツの試合に出る時に、毎回不思議に思うことがあります。
ゼッケンに血液型を書く欄があることです。
トライアスロンに至っては、申し込みの段階で血液型を書かなければならない大会も多くあります。
この血液型、一体何に使うのでしょうか?
まさか「事故で出血したときの輸血のため」でしょうか?
もし輸血しなければならなくなった時、本人がゼッケンに書いた血液型を参考にすることは絶対に、万に一つもありません。
ゼロです。
理由の分かっている人にとっては至って常識的なことだと思いますが、意外に一般には知られていませんので、少し解説してみたいと思います。
ゼッケンに書いた血液型を使わない理由
輸血をする時は、必ず血液検査で血液型を確認し、さらに患者さんの血液と血液製剤の一部を混ぜてみて有害な反応が起こらないかを見る「クロスマッチ試験(交差適合試験)」を必ず行います。
これは、本人が仮に「私はA型です」と主張しても決して省略しません。
その病院で以前血液検査をしたことがあり、血液型が確実にわかっている場合でも、クロスマッチ試験は必ず行います(術前検査など一部に例外はあります)。
そのくらい、合わない血液製剤を投与することが危険だからです。
合わない血液製剤を投与することを「不適合輸血」といいます。
全身で重篤な反応が起こります。
血液型や投与速度、量によりますが、死亡率はきわめて高いとされています。
この不適合輸血は、よく知られたABO式とRh式の2種類だけで決まるわけではありません。
他にも本人が気づかないうちに多数の「不規則抗体」を血液中に持っている方がいます。
この抗体のせいで、たとえばA型Rh+の人に同じA型Rh+の血液製剤を選んでも不適合輸血になる可能性があるということです。
血液型検査に加えてクロスマッチ試験が必要なのはそのためです。
事前に混ぜてみて確かめるのですから、これ以上確実な方法はありません。
では、もしこういう検査をする時間もないくらいの大量出血で緊急事態だったらどうでしょうか?
本人がゼッケンに書いた血液型を信じるでしょうか?
残念ながらそれもありません。
その時はO型製剤を投与します。
相手の血液型が何型であっても、理論的には有害な反応が起こらないのがO型製剤だからです。
これらの治療方針は全て、どの病院でも同じマニュアルに従って行われています。
したがって、ゼッケンの血液型が輸血を想定したものなら、書く意味は全くないことになります。
なぜ本人が主張する血液型を信用しないのでしょうか?
間違ったら死ぬかもしれない医療行為を「個人の記憶」だけを根拠に行うことができない、ということもありますが、もう一つ重要な理由があります。
多くの人が、生まれたばかりの時に検査した血液型を自分の血液型だと見なしていることです。
実は生後すぐの血液型は信用できません。
正確に検査できないからです。
そこで最近では赤ちゃんの血液型を検査しない病院が増えています。
私も自分の子供の血液型を知りませんし、検査する必要もないと思います。
「自分の血液型を知らなかったら困る!」と思った方はいませんか?
全く困りませんよ。
上述した通り、入院時や手術を受けることになった時、輸血が必要になった時に検査すれば良いだけです。
そもそも自分の血液型をこれほど多くの人が知っているのは日本くらいでしょう。
私は海外の大会にも出場しましたが、当然申込書やゼッケンに血液型を書く欄などありません。
あったらかえって困るでしょう。
日本人以外、誰も自分の血液型など知りませんから。
ではなぜ、こんなにも多くの日本人が自分の血液型を知っているのでしょうか?
ご想像の通り、「血液型性格分類」があまりにも広く周知されているためです。
血液型と性格に関係があることを示す科学的根拠は全くありません。
そもそも医学を学べば、血液型と性格に関係があるはずがないことは直感的にわかります。
しかし「血液型が性格を反映する」という、世界的に見ても「ちょっと恥ずかしい誤解」は、なかなかこの国から消えることはありません(韓国や台湾の一部地域でもこの誤解はあるそうですが)。
それどころか、
何型の芸能人が多い?
サッカー選手に多い血液型は?
A型とB型の相性は?
などという奇妙な企画が、いまだにテレビや雑誌などで絶えず行われています。
なぜこれほどまで、日本人は血液型と性格の関連を信じたいのでしょうか?
ここからは私の個人的な持論です。
日本人が血液型性格分類を好きな理由
そもそも日本人は、人をカテゴリー分類するのが大好きです。
色々なカテゴリー名をつけ、あるカテゴリーに属する人はみんな均質で、同じ性格、同じタイプの人間だと思いたいのです。
ABO式血液型もその一つのカテゴリー分類です。
A型、B型、O型、AB型の4種類にカテゴライズして、それぞれが一つの同じ性格を持つ、と信じ込みたい。
こういう「カテゴリー」は、我が国には他にもたくさんあります。
「一人っ子」
「長男」
「二世」
「母子家庭」
「日本以外の出身」
など、枚挙にいとまがありません。
私たちの周りには、たとえば「医者の息子」というカテゴリーもあります。
これらに共通する特徴は、いずれも出自に関連するもの、生まれつき備わっているもので、かつその後の人生で自分では変えることができない属性だということです。
こうした出自に関するカテゴリーで人を分類することが差別の温床となってきたことは、あえて具体例を挙げるまでもないでしょう。
血液型もそうです。
新入社員にまず最初に血液型を聞く会社があるそうです。
採用試験の応募用紙に血液型を書く欄を設けている会社もあるそうです。
ブラッドタイプハラスメント、「ブラハラ」として問題になったこともあります。
血液型を聞いて、一体それをどう生かすのか、私には見当もつきません。
少なくともその人たちの人間関係においてプラスになるとはとても思えません。
ではなぜ、日本人はこんなにもカテゴリー分類が好きなのでしょうか?
日本人は、内気でコミュニケーションが得意ではありません。
できれば本人と会って直接話す前に「その人がどんな人か」を知っておきたい、と思っています。
もしその人があるカテゴリーに属していることを知っていて、そのカテゴリーの人が全員同じ性格だったら非常に助かります。
内心ではみんな同じ性格のはずがない、それぞれ一人一人違う性格だと分かっていても、同じであると信じたい。
その方が人と会うのが楽だからです。
会う前の精神的なストレスが軽減し、心の準備もできます。
特に血液型はたった4種類しかないので分かりやすく、こういう日本人の特性と親和性が高いカテゴリー分類です。
ところが、いざ直接会ってみて話すと、その人が「思っていたのと全然印象が違う」と分かることはよくあります。
たとえば「B型は自分勝手で変人だ」と警戒していたけれど、会ってみたらすごく良い人だった。
こういう時、なぜか「やっぱり血液型と性格は関係ないんだ」とはなりません。
「A型とO型っぽいB型だった」となります。
そのくらい日本人は、本人と会わずに、あるいは長く接することなしに性格が分かる「便利なツール」の存在を否定したくないのです。
もちろん日本人といってもそういう人ばかりではないでしょう。
また、カテゴリーには一定の傾向はある、という意見を完全に否定するつもりもありません。
私もまた「日本人」というカテゴリーを使ってこの文章を書いていますから。
ただ、私は「ある人がどういう性格の人か」についての判断は、自分の目と耳しか信じたくありません。
その人について、どんな悪い噂や良い噂を聞いていても、どんなカテゴリーの人だと知っていても、直接会って話すまでは当てにしません。
こういう事前情報によって人を見る目が左右されることで、貴重な人間関係が築けなくなるリスクがあるからです。
人間関係には、お金では買えない貴重な価値があります。
新たな人間関係が築ける可能性を最初から狭めてしまうのは、非常にもったいないことです。
人の性格は、本人とじっくり会って話したり、一緒に仕事をしたりして時間をかけない限り、正確には判断できません。
カテゴリー分類が好きでも構いませんが、それが人間関係に与えるリスクについては認識しておくべきだと私は思います。