前回に引き続き、最終回の解説である。
前回の解説では白石(新垣結衣)と藤川(浅利陽介)の処置を徹底解説した。
今回は、意気消沈した緋山(戸田恵梨香)にスポットを当て、医師から見て不自然な医療ドラマの「名シーン」にツッコミを入れてみたい。
そして最後は藍沢(山下智久)のナレーションの意味、2nd SEASONが語りたかったものについて私の考えを述べたいと思う。
横隔膜破裂、緋山の勇気
訴訟問題から4週間ぶりに現場復帰し、なかなか持ち味を発揮できない緋山は、徐々に呼吸障害が悪化した少年を診察する。
原因がはっきりせず、気管挿管によって一旦は落ち着くも再びSpO2(血中酸素濃度)が低下。
右胸にエコーを当てた緋山は、胸の中に何かの塊が入り込み、肺が圧迫されていることを確認する。
無線で状況説明を受けた橘(椎名桔平)は、
「横隔膜破裂だ」
と即座に診断。
横隔膜が破れ、腹腔内の臓器が胸腔内に入り込んで肺を圧迫していたのだった。
橘はその場で開腹を指示するが、自信を失っている緋山は少年の前で臆してしまう。
「問題を起こして何週間もオペしていないんです。上級医もいないし、できません。私みたいなのに当たってしまって申し訳ありません」
と少年の母親に謝罪。
驚いた母親はしばらく考えたのち、
「私は運が悪いとは思わない。ここにはまだ医者に診てもらえてない人がいっぱいいる。でも息子は先生に診てもらえた」
「今息子を救えるのは先生だけなんだよ」
と緋山を説得。
自分がやるしかないと心を決めた緋山は、治療を再開する。
開腹して胸腔内の臓器を腹腔内に戻すと、横隔膜には8センチもの損傷があることが発覚。
ガーゼを詰め、無事にオペ室での修復へと繋げだのだった。
外傷性横隔膜損傷は、腹部外傷で実際に起こりうる。
横隔膜は、胸の空間と腹の空間を仕切る膜。
正確には「膜」という表現は適切ではなく、筋肉でできた、かなり分厚く上部な仕切りである。
焼肉でいえば「ハラミ」。
そう考えると、ペラペラの膜ではなく分厚い筋肉組織であることはイメージしやすいだろう。
これに穴が開いてしまうと、穴を通って胃や小腸、大腸が胸腔内に脱出。
肺を圧迫し、重度の呼吸障害を起こしてしまう。
横隔膜の穴を通って臓器が胸側へはみ出すことを「横隔膜ヘルニア」と呼ぶ。
まさに今回はその状態である。
肺が臓器によって押されてうまく膨らまないため、気管挿管をして空気を送り込んでも呼吸状態が改善しない。
挿管後はチューブに繋いだ風船状のバッグをもんで空気を送り込むが、これが固く、押しにくくなる。
肺を膨らまそうとしても、逆側から臓器が抵抗しているからだ。
早急に開腹して直接臓器を元の位置に戻さない限り、呼吸障害で命を失う危険な状態である。
結果的には緋山が見事な処置を行い、無事に自信を取り戻す。
こちらも2nd SEASONでは外せない名シーンである。
だが現実には、患者さんの家族がこういう態度を見せることは決してあり得ない。
自分の子供が瀕死の状態に陥っている時のお母さんは、本人に全力で声をかけて励ますか、そうでなければ顔面蒼白で腰から砕けてしまう。
目の前の医者に、
「できません」
などと一度でも言われたら、
「こいつはあかん」
とさっさと諦めて、大声で叫んで他の医者を何としても連れてくるはずだ。
「この医者を説得して何とかしてもらわねば」
という発想にはまずならない。
我が子のためにわずかの時間も無駄にしたくはない、おまけに下手に技術のない医者にメスを入れられて取り返しのつかないことになっても困る、と思うのが普通だ。
我が子の体にメスを入れさせる、というのはそのくらい重大で、厚い信頼がなければ許可する親はいない。
みなさんも、ご自身の身になって考えれば納得されるのではないだろうか。
そして同時に、患者さんからの励ましがきっかけで外科医が失った自信を取り戻す、ということもそうめったにはない。
自分の命がかかった場面で、
「この外科医の将来を考えて・・・」
などと思ってくれる患者さんは皆無。
「自信を取り戻す作業は他の患者さんでやってください。自分は腕に自信のある別の外科医でお願いします」
誰もがそう思う。
医療ドラマでよく見る、患者さんやその家族からの励ましで医師が自信を取り戻す、ということは現実にはほとんどない。
私たち医師は、ある意味で「顧客の生死に関わるサービス業」。
仕事に対する顧客からの期待値は「死ぬほど」高く、評価は「死ぬほど」シビアである。
当たり前のことだ。
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「奇跡」を描いた2nd SEASON
コードブルーでは、全話の冒頭で必ず主要キャラクターの、
「前回までのコードブルー」
で始まるナレーションが入る。
また本編の最初と最後にも必ず主要キャラのナレーションがあり、その回のテーマについて語ってくれるのが定番である。
大体、冒頭のナレーションは医療に対する悲観的な思想が語られる。
そして最後のナレーションでは、その悲観的な現実を否定はしないものの、本編を踏まえた上で、
「前向きに考えることもできる」
という形で希望を持った思想に言い換えるのがおなじみだ。
コードブルー2nd SEASONでは、全11話を一つの物語としてこれをやってくれる。
第1話の冒頭の藍沢のナレーションは以下のようなものだ。
救急医になって最初に覚えたこと
救命の世界に奇跡はない、ということ
突然の怪我や病が容赦なく人を襲い不条理に人生を変えていく
愛と勇気だけでは患者は蘇らない
助けるのは術者の技術とエピネフリン
そう、救命の世界に奇跡はない
そして最終回の最後も、ナレーションは藍沢。
救命の世界に奇跡はない
それは事実だ
でも、そもそも奇跡とはなんだろう
自分や自分の大切な人が健康であること
打ち込める何かがあること
間違いを正してくれる上司や仲間がいたり
負けたくないと思う相手がいること
そういうささやかな幸せを奇跡と言えるなら
俺たちの生きているこの世界は奇跡であふれているのかもしれない
ただそれに気づかないだけで
そう、すぐそばにあるのだ、たくさんの奇跡が
2nd SEASONでは、とにかく容赦なく人が亡くなっていく。
最終回でも象徴的なシーンがある。
藤川が現場で再会したかつての戦友、救命士の細井くん(スペシャル版に登場)の頸部に金属の棒が刺さってしまう。
「腰抜けの自分でも役に立ちたい」と、ヘリ搬送の順番を他の患者に譲った彼は、病院にたどりつく直前にヘリ内で頸動脈から大出血を起こして死亡してしまう。
目の前にもう病院のヘリポートは見えていた。
残酷すぎる展開である。
だが、これが現実の医療に近い。
確かに、医師は命を救う仕事だ。
しかし実際には救えない命の方が多い。
救急医療の世界に限らず、「奇跡」を感じることなどほとんどない。
だが、言われてみれば「救命」だけが「奇跡」ではないだろう。
余命が短いことが分かっていても、何も食べられなかった患者さんがようやくご飯が食べられるようになった
長い間ICUで意思疎通ができなかった患者さんが歩けるようになった
こういう姿を見ることで、心底うれしくなることはある。
余命が短い患者さんの入院がきっかけで、普段顔をあわせることのできない家族が病室に集合し、楽しく話している姿を見て幸せをもらうこともある。
そうした小さな幸せを直接感じることができるのであれば、医師という仕事は「奇跡」に満ちているのかもしれない。
全体を通して、そんなことを気付かされた2nd SEASONであった。
というわけで、3rd SEASONの解説から、1st、スペシャル、2ndと振り返っての全話解説はこれにて終了。
2017年7月から7ヶ月間、全33話に渡って解説をしてきました。
2018年7月に映画化を控え、今年もコードブルーが盛り上がる期待の年になりそうです。
映画化をきっかけに初めてコードブルーを見る、という人も今年は多いでしょうし、そのニーズに合わせてコードブルーまとめ記事をもう少し書いてみたいと思っています。
映画化までもうしばしコードブルーを振り返り、ファンの方と共に楽めたら、と思います。