医療ドラマでは、とにかく院内でよく人が倒れます。
そして誰かが「オペ室に運べ!」と言い、いきなり手術が始まる、というのが定番です。
現在放送中のドラマでもこのパターンが多く、院外から搬送されてくる患者さんも即座に「オペ室行き」です。
しかし私たち外科医にとってみれば、「このくらいシンプルだったらどれだけ楽か」という感覚です。
緊急手術に持ち込むには、診断に至るまでの検査や様々な準備が欠かせないから、というだけではありません。
各部署への懸命なネゴシエーションが必要だからです。
ここには、コミュニケーション力やプレゼン力が必要で、腕だけでは外科医は務まらない、と言える部分でもあります。
みなさんも、いつ病院に搬送され、緊急手術を受けることになるか分かりません。
今回は、実際に私たちが緊急手術を行う前の「ドラマで盛大にカットされている数時間」を解説してみます。
緊急手術と定例手術の違い
「緊急手術」ではない、予定通りに行われる手術を「定例手術」や「定期手術」と呼びます。
大半の方が受ける手術はこちらです。
私が以前勤めていた大きな救命救急センターを擁する病院での消化器外科の緊急手術が年間300〜400件近くありましたが、これでも全体の4分の1程度。
救急病院でなければ、緊急手術の割合はこれより遥かに低くなり、残りは「緊急でない」定例手術、というわけです。
では、定例手術の予定日はいつ決まるか知っていますか?
施設にもよりますが、たいてい2週間〜1ヶ月程度前に決まっているのが一般的です。
病院によっては2ヶ月くらい先まで手術予定が決まっているところもあります。
「今すぐ手術してほしい!」
と言われる患者さんはよくいますが、たいてい手術前には様々な精密検査を順に受けていただく必要があり、1ヶ月程度の猶予は必要です。
ところが、当然ながら「今すぐ手術をしないと危険!」という患者さんが運ばれてくることがあります。
入院中に急変し、緊急手術が必要になるケースもあります。
この場合は、
「1ヶ月先まで予定は埋まっているので、1ヶ月後に手術をしましょう」
というわけにはいかないので、定例手術とは別枠で、当日あるいは翌日といったタイミングで臨時で手術を行うことになります。
これを「緊急手術」と呼びます。
こうなると、私たち外科医は大忙しになります。
約1ヶ月の猶予がある定例手術の患者さんと違い、余裕を持って術前の準備ができません。
それでも安全のために出来うる限りの最低限の準備を急ピッチで進めます。
さらに、手術枠が全て埋まっているところに無理やり手術をねじ込むことになります。
ここで、何段階にも渡る様々なプロセスを経なければ手術はできません。
手術室に運ぶ前に必要な確定診断
医療ドラマでは、これから書く、外科医の「凄まじく忙しいプロセス」が全部カットされていると思ってください。
まず、「確定診断」が必要です。
「オペ室に運べ!」
と言って手術室に運び込んでも、どこにメスを入れれば良いかがわかりません。
こんなあいまいな目的でオペ室看護師は手術室を使わせてくれませんし、麻酔科医は麻酔をかけてくれません。
そこで手術前には、必要な検査を急ピッチで行い、体のどこにどんな異変が起きているかを調べ、確定診断を付ける必要があります。
その結果、本当に手術は必要なのか、手術するならどんな術式をどんなメンバーで行うのが適切かを検討します。
同時に、輸血は何単位用意すべきか、どんな道具を用意すべきか、術中にどんな検査を追加すべきか、あらゆる計画を立てます。
そこで、まずは「オペ室に運べ」ではなく、「緊急で精密検査しましょう」となります。
そして同時に、各部署へのネゴシエーションが始まります。
各部署へ緊急で交渉
慌てて術前の精密検査を行うにも、毎日外来や入院患者さんで検査の予約枠が埋まっています。
こうした患者さんを押しのけて、緊急検査を行わねばなりません。
当然、検査を担当する検査技師も、定期業務の手を止めて、緊急検査に立ち会うことになります。
検査を行う部署へ連絡し、緊急で検査が必要な旨を伝え、予定外の割り込みに頭を下げます。
検査の結果で手術が必要と分かれば、次に手術に関わる部署に交渉が始まります。
当然、定例手術で手術枠は埋まっているため、ここに緊急手術を割り込ませる必要があるからです。
まずは麻酔科に連絡です。
麻酔科医なしでは全身麻酔手術はできません。
緊急手術当番の麻酔科医の手が空いているかどうか、手術に参加してくれるかどうかを確認します。
すでに他の緊急手術で手一杯なら、自施設では手術ができないか、少し待ち時間が発生することになります。
当然、他の業務を行う麻酔科医を引っ張り出すことになるわけで、
「本当に今すぐ手術が必要な病態であること」
を麻酔科医にプレゼンする必要があります。
ここで外科医はプレゼン力を問われます。
麻酔科医は、手術の必要性に対してはドライです。
当たり前ですが、
「この人を救いたいんです」
のようなドラマでよくある情緒的なセリフは通用しません。
「病状が緊急手術を必要としている」と麻酔科医が認めない限り、麻酔をかけてはくれません。
麻酔科医によっては、
「今忙しいんだよ!その言い方じゃ全くわからん!」
と言ってブチっと電話を切られることもあります。
麻酔科医への丁寧なプレゼンテーションと、時間を割いていただく相手に対し誠意を持って依頼しなくてはなりません。
次にオペ室看護師に連絡です。
手術は、オペ看がいなくては成立しません。
オペ看が他の緊急手術に出払っていて、「今すぐは無理」というケースはよくあります。
「1時間後なら一人は手が開くから、それまでに準備しておいてください」
というパターンもあります。
ここでも、「いますぐ手術が必要だ」という丁寧なプレゼンテーションを行い、場合によっては直接オペ室に足を運び、師長に頭を下げます。
当然ながら、オペ看は定例手術のシフトで動いているため、緊急手術では予定外のシフトチェンジを余儀なくされるからです。
さらに、他の科の協力が必要になる手術もあります。
例えば私たちなら、手術中の胃カメラや大腸カメラを消化器内科医に緊急で依頼したり、手術中に組織をとって検査するなら病理部の医師に依頼が必要です。
心臓手術なら、人工心肺を回す臨床工学技士への依頼も必要でしょう。
そして最後に、自科の上司や同僚、あるいは後輩に交渉です。
手術は一人ではできないからです。
そのタイミングで手の空いている医師を見つけ、日常業務を中断させ、手術に入ってもらうことになります。
私たち外科医はこの点で常に「お互い様」なのですが、親しき中にも礼儀あり、ということで、ここでも丁寧な依頼が必要です。
とにかく、緊急手術はあらゆる部署の人たちに予定外の仕事を発生させるため、念には念を入れた交渉が必要です。
自分の「この患者さんのために!」という熱い思いだけでは手術はできません。
各部署の人たちもまた、自分たちの「患者さんのために」がんばっているからです。
むろん、ここまで書いたことは、どんな職場に勤める方でも容易に理解されるはずです。
組織で仕事を行う時は、誰もが交渉の連続でしょう。
医療現場がその例外であるはずがありません。
ただし、外科医にとっては、緊急手術前にやるべきこととしてもう一つ、特殊な仕事があります。
「家族への連絡」です。
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家族への連絡が最も大切
例えば、医療ドラマではよく、突然倒れた患者に対して周囲の医療スタッフが「オペ室に運べ!」と叫ぶシーンがあります。
しかし実際、この場面で言うべきセリフのもう一つは「ご家族に連絡して!」です。
緊急検査や緊急手術が必要になれば、各部署への交渉と同時に、家族への連絡が必須です。
患者さんに急な問題が発生した時、最初に連絡すべき人(業界用語で「キーパーソン」と呼ぶ)の電話番号がカルテに登録されているのが一般的です。
その方に、本人が急変したことと、必要な検査や治療について説明し、すぐに病院に来てもらうようお願いします。
手術を行う前に、ご家族への十分な説明と同意が必要だからです。
緊急手術は、前述の通り準備不足をある程度許容してでも強行するものです。
合併症(術後に起きる問題)のリスクは定例手術より高くなるため、ご本人だけでなく、ご家族への丁寧な説明が必須です。
もし不十分な説明で手術に持ち込み、術後に何らかの問題が起きた場合、訴訟問題に発展する恐れがあります。
「本当に手術が必要だったんですか!?」
「こうなると分かっていたら手術には同意しなかった!」
と必ず言われます。
とにかく外科医にとって、緊急手術は「手術を行うまで」が大変です。
ここが大変で辛いから「緊急手術が好きじゃない」という外科医もたくさんいます。
ドラマで盛大にカットされているこの「地味で泥臭い業務」をぜひ知っておいてほしいと思い、今回は詳しく説明してみました。
ぜひ、いつかドラマでこの部分にスポットを当ててほしいものです。
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