医療ドラマの定番、論文を全く書かない一流外科医はリアルか?

最近の医療ドラマを見ていて興味深いのは、

「主人公は手術の腕はピカイチで論文は全く書かない=かっこいい」

「論文ばかり書いて手術の腕はイマイチ=かっこ悪い」

という構図が定番であることです。

最近で言えば、「A LIFE」の沖田、「ドクターX」の大門、「ブラックペアン」の渡海は、このコンセプトでの「かっこいい医者」ということで完全に一致しています

 

A LIFEの主人公である沖田(木村拓哉)は、6000例もの手術をアメリカでこなし、鳴り物入りで日本に帰ってきた天才外科医ですが、論文は一本も書いたことがないという設定です。

論文を書いて業績を上げることに躍起になる井川(松山ケンイチ)と対比させ「腕一本で患者を救う」という「かっこいい外科医」を描きました。

ブラックペアンでも、「インパクトファクター」という言葉をやたらに連呼し、論文という業績を求める西崎(市川猿之助)や高階(小泉孝太郎)と対比させ、

「論文で人を救えるんだったら世話ないよ」

と言って馬鹿にする渡海(二宮和也)は「かっこいい」という構図です。

 

ドラマでこの描写にこだわるのは、

論文は地位や名誉のため(つまり自分の利益のため)

手術は目の前の患者さんを救うため

という構図がドラマ的に分かりやすいからでしょう。

 

もちろん、マンパワーの少ない病院で僻地医療を支えているような医師たちは、論文など書く暇はなく、目の前の患者さんを次々救っています(外科医に限らず)。

しかし実際、腕が一流で論文は一本もない、という外科医は、ドラマで度々主人公として取り上げられるほど多くありません。

それどころか、むしろ腕が一流の外科医ほど論文もたくさん書いている傾向があります。

なぜでしょうか?

ドラマにケチをつけるのではなく、ドラマからでは決して伝わらない「医師が論文という業績をどう捉えているか」について書いてみたいと思います。

 

論文の仕組みとは?

以前、「ブラックペアン第1話|医学雑誌の編集長は本当に権力者なのか?」という記事で論文がどのように出版されるのかについて解説しました。

論文執筆は、医師の仕事の一つです。

しかし、どれほど論文を書いても給料は増えません

それどころか、論文執筆には結構お金がかかります

 

英語論文は、執筆後にネイティブによる校正サービスに出すことが多いですが、この時校正料金がかかります(長さにもよるが一般に2〜4万円程度)。

さらに雑誌によっては出版費がかかります

全ての金額を調べることはできませんが、数万から数十万円かかるものもあります(基礎系の論文ならもっと高いものも多い)。

論文は、書けば書くほどお金は減っていくだけで、「よくがんばりました」と言ってお金をくれる人はいません

 

おまけに時間も減ります

ブラックペアンでは、高階が夜遅くまで病院に残って論文執筆をしていましたね。

論文執筆のような自己研鑽の時間は超過勤務としては計上しないので、ただただ自分の時間を無償で削っているだけです。

私は病院に長居するのは好きではないので、自宅で執筆することも多いです。

何のために論文執筆をしているのか、明確な目的意識がないと決して続きません

 

では、なぜ時間もお金も削って、医師は論文を書くのでしょうか?

ドラマで表現されるように「出世のため」でしょうか?

※豆知識ですが、第3話で西崎教授が好みのフォントを高階に指定するシーンがありましたが、フォントは投稿先の雑誌の規定で定められています。

残念ながら、医師が自由に決めることはできません。

 

医師が論文を書く理由

たとえば外科医は、同じ病気に対して同じ手術を何十例、何百例と行うことになります。

これだけデータが集まると、

どんな手法を使えば合併症(術後のトラブル)が少ないか?

術後どんな薬を使えば入院期間が短くなるか?

どんな手法を使えば術後の再発が少ないか?

といった、たくさんの情報を解析できるようになります。

こうした情報をまとめ、論文にすることができれば、世界中の外科医と情報を共有することができます。

目の前の患者さんを救うだけでなく、間接的に、他の国や他の病院の患者さんを救う一助となる可能性があります

 

また、新しい術式や手術機器を導入した場合も、その結果をまとめて論文発表することは必須と言えます。

ブラックペアンで帝華大の西崎教授が、スナイプの論文化に躍起になっていますね。

新しい機器の場合は、

どういうトラブルが起こりうるのか?

従来の方法と比べてどういうメリットがあるのか?

どういう患者さんに使うと有利なのか?

といった点を、多くの病院の外科医が「実際に使う前に知りたい」と思っているわけです。

西崎や高階のように、パイオニアとして新しい機器を試すチャンスを得た外科医は、それから得られた情報を最初に世に発信する責務があります。

無用なトラブルでリスクにさらされる患者さんを減らし、スナイプからメリットが得られる患者さんを適切に選択できる、といった大きなメリットを生むからです。

 

そしてもちろん、外科領域に限らずどんな分野でも同じことが言えます。

西崎教授のようにインパクトファクターという数字を求める野心もあって良いですが、たいていそれとは別のモチベーションで医師は論文を書いています。

 

一流の医師は、環境や指導者に恵まれたおかげで得た技術と経験を、後に続く他の医師や他の患者さんのために生かしたい、と考えるものです。

腕が一流の医師が論文をたくさん書いているのは、こういうことが理由だと思います。

 

このように意識の高い医師は、当然教授などリーダー的な役職を任されやすくなります。

インパクトファクターの持ち点が大きいから高い地位につけるというより、技術や向上心を兼ね備えたおかげで高い地位に選ばれた人が、結果として積み上げたインパクトファクターが大きい、ということです。

 

インパクトファクターだけを目指して必死でがんばれる医師も一部にはいると思いますが、やはりそれだけでは長続きしません。

その先にある、医療の質の向上を目指す強い信念がないと、論文など書き続けることはできないのです。

 

ドラマを見た方が、論文という業績について曲解してしまうのはどうしても避けたい、という思いから実情を書いてみました。

参考にしていただければ幸いです。

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医師はなぜ残業代を請求しないのか?

4 Comments

草加市

けいゆう先生

非常にrelevantなトピックと、達見な解説でしたね。

あくまで僕の私見ではありますが、近年の日本の医師および国に政策は、アカデミズムを軽視している傾向があると思います。特に卒後臨床研修制度後の世代の医師に顕著という印象があります。非常に優秀な友人たちも多くは市中病院で臨床に明け暮れている毎日を過ごしており、それが決して間違っているとは言いませんが、もったいないの一言に尽きます。自分自身も卒後臨床研修制度実施後の世代であり、卒後2,3年目くらいまでは「論文を書く医師は腕が悪い」という、マスコミや医療ドラマおよび”テレビに出ているアカデミズムとは相反する医師たち”の刷り込みに影響をされていた感は否めません。

ところが、自分が渡米した直後に、真の一流の外科医は、手術の腕が一流で、かつ論文をたくさん書き「世界に情報を発信する側の人間たち」ということに気づかされました。そして、自分もそちら側に属さなければ、世界では一流とはみなされないということを痛感しました。日本で自分が思っていたことは、まったくの間違いだったということを思い知らされたわけであります。日本のほとんどの外科医は、発信する側でなく、ただ「発信された情報を受けとる側の人間」です。

残念なことに、日本のマスコミや雑誌で神の手をあがめられている日本人の外科医のほとんどは、世界では全くの無名です。自分もこちらに来て初めてそれを知りました。国際学会での日本人のプレゼンスの無さは、本当に悲しくなります。大スクリーンでプレナリ―セッションで発表している日本人は、これまでの歴史で果たして何人いるでしょうか?自分は見たことがありません。ポスターの前で記念撮影をしている日本人は大勢いますが(苦笑)。

アメリカにいる身ではありますが、国内のこの悲しい現状をなんとかしなければと思っています。

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けいゆう

ありがとうございます。
先生のように、海外で活躍される先生にとっては日本の医療を客観的に見ることができ、その問題点もより明確に見えていらっしゃるのだろうと思います。
おっしゃる通りマスコミや医療ドラマなどメディアによって、医師の学術分野の評価方法というのは捻じ曲げられていると感じます。
日本で外科医をやる私の感覚では、消化器領域(特に消化管領域)においては、日本と韓国の医師は技術的にも学術的にもそれなりの発言力があるように見えていますが、それも井の中の蛙かもしれません。
いずれにしても、臨床研修制度によって若い頃からオールラウンドな臨床力を身につけることに国は躍起になって取り組みましたが、論文執筆といった学術指導体制は重視されていないため、その重要性を学ばないまま中堅になった医師が多いと感じます。
特に市中病院では、今の研修医レベルの若手医師は論文の書き方を教えてくれる先輩医師がいないことがほとんどで、もったいないと私も感じます。
幸運にも、私は駆け出しの頃から、学会発表だけでは価値がない、英文論文を書かなければ意味がない、と厳しく指導してくれる中堅医師に巡り会えたので、その感覚は刷り込まれていると思いますが、そうでない人は多いだろうと思います。
いずれにしても、近年のドラマで論文がやたらに取り上げられ、その扱いは現実とはかなり乖離していることもあったので、理想論とは言え適切な評価の形を文章化してみたいと思った次第です。

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TOM

私は分野は違いますが、研究に携わってるので、論文の大切さは良くわかります。写真で見せられないのが残念ですが、デスク脇には子供が便器に腰掛けているイラストの上に「The end is paper work」と書かれた物を飾っています。
私たちの分野では「足の裏のご飯粒(取らないと気持ち悪いが、取っても食べられない)」と言われる博士号取得のための一連の仕事も、まったく収入に反映しない仕事。
そして、論文を書くには本当にお金がかかる。お医者さんの学会に比べると安価とはいえ、学会費も投稿料もバカになりません。これが文系の多い事務方経営者に誤解されているのですが、論文を書くのはお金がかからないと思ってるんですよね(文系の一部の学会では執筆料がもらえる学会もあるらしいですが)。
使命感と義務感半々で書いてますが、ときどきため息が出てしまいます(愚痴っぽくてすみません)

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けいゆう

全く同じ感覚ですね笑
私たちも同じく、博士号も専門医資格も全部そうです。
医師の場合は、ここを割り切って完全に吹っ切れてしまえば、楽になれます(自分は無理ですが)。
その点、ポスドクの方など研究メインの方はもっと大変だと思います。
論文を書くのはお金がかからないどころか、お金がもらえるとすら思っている人もいますからね。
執筆料がもらえるような依頼原稿は、書いても評価には繋がりません(そもそも既に評価の定まった人に依頼がくるわけですからね)。

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