私が医師になったばかりで初めて救急外来に出た日、先輩の医師から、
「今から救急車が来るから、まずは君が声をかけてみなさい。僕がそばで見ているから。」
と言われました。
そのとき救急外来にはほかに患者さんがおらず、余裕があったからだと思います。
私は、医療ドラマで救急搬送されてくる救急患者をイメージしながら、初めての診療に緊張したのを覚えています。
救急車が到着し、扉が開くと若い男性が降りてきて、
「すみません、よろしくお願いします。」
と私に頭を下げました。
その方は同乗した患者さんの家族で、その人の後にベッドで患者さんが降ろされてくるのだと、私はいよいよ緊張しました。
ところがその後に降りてきたのは救急隊の方で、当たり前のように、
「◯◯さん、△歳です。家の扉で手を挟み、右手の人差し指に内出血を起こしています。特に既往のない生来健康な方です。」
と説明を始めました。
そのとき初めて私は、歩いて救急車から降りてきたその男性が患者さん本人であることに気づきました。
それ以後は、そのくらい軽症の人の方が救急車を使うことが多いことがわかり、驚かなくなりました。
全国消防協会の「救急車はタクシーではありません」というポスターが示すように、救急車で搬送される人の約半数が軽症の人です。
風邪で救急車を使う人もたくさんいます。
この方々は、診察が終わった後は歩いて帰って行きます。
自分で病院に行ける軽症の方は、タクシーや公共交通機関を使って病院に行くべきだ、とよく言われます。
これは、本当に救急車が必要な人のところに救急車の到着が遅れる原因となるから、だけではありません。
救急車の適正利用を強調しないといけなくなることで、本当に救急車が必要な人も救急車を呼ぶのをためらってしまうから、ということもあります。
「こんなことで救急車を呼んだら怒られるかと思って・・・」
と言って、遠慮して救急車を呼べずなんとか自力で病院にたどり着いて緊急入院、という重症の方を私はたくさん見てきました。
今わが国で救急車をよく利用するのは、「救急車を必要とする人」ではなく「救急車を呼ぶのにためらいを感じない人」だと感じます。
小さな怪我や軽い症状で救急車を使う方は、もしかしたらこう考えているかもしれません。
「救急車を呼んだら病院で待たずに済むだろう」
「病院への交通手段がないから救急車を呼ぼう」
「重症か軽症か自分でわからないから、困ったら救急車を呼ぶしかない」
今回はこう思う方に、救急診療のシステムを簡単に説明しておきます。
なお、足が不自由、寝たきりなどの障害によって、
「救急車を呼ぶほどではないのは分かっているけれど、自力で連れて行く手段もない」
という、普段介護をされている方の悩みもあるかと思います。
それについても説明します。
救急車なら待たずに診てもらえるのか
答えはノーです。
救急車内で重症度を確認した救急隊の方は、受け入れ先の病院の医療者にその情報を電話で伝えます。
病院側が軽症と判断すればまず受付に来てもらい、看護師が再度軽症であることを確認します。
これが確認できれば、歩いて病院にやってきた方と同じように順番待ちをしてもらいます。
診てもらえる順番はあくまでも病気の重症度によるのであって、その人が歩いて来たか救急車で来たかは関係ありません。
こう説明すると、
「軽い怪我で救急車を呼んだとき、待たずに診察してもらえたことがある」
と言う人がいるかもしれませんね。
おそらくそれは、その時は他に患者さんがいなかっただけか、救急患者が少ない病院に運ばれたかです。
つまり、救急車を使わず自力で受診していたとしても待ち時間はなかったはずです。
救急車は病院への便利な交通手段か
これも答えはノーです。
軽症なら特にそうですが、どこに連れて行かれるかわからないからです。
当たり前のことですが、タクシーか公共交通機関を使って自力で受診するメリットは、自分の家から近い便利なところや、一度かかったことのある好きな病院を選んで行けることです。
もちろん重症の方の場合は、救急車内で患者さんの診察券などを確認し、かかりつけの病院があれば優先的に搬送を依頼します。
軽症の場合は必ずしもそうではなく、軽症患者の対応が可能な病院から当たっていきます。
また、診察が終われば当然帰りは送ってもらえません。
遠方でも帰りの交通費は自費です。
本人も、同乗した付き添いの家族もそうです。
救急搬送されて診察を終えたあと、
「こんな遠いところから自宅までどうやって帰ればいいんだよ!」
と怒る方がいますが、不便な目にあったのはアクセスの良い病院を選ぶ権利を自ら放棄してしまったからです。
私は、軽症なら近くて便利な病院に自分で行く方がメリットは大きいと思います。
かかりつけ病院なら、これまでの自分の病状を記すカルテがあるので安心です。
また次回の外来の予約をして帰ることも多く、遠いところや不便なところに搬送されると、次回もその病院まで足を運ばないといけなくなります。
近くの病院に紹介状を書いてもらっても良いですが、その分結局診察後の手続きに待ち時間が発生します。
しかも再度自分で近くの病院を受診して、自分を診たことがない相手に状況をもう一度説明しなければならないなど、二度手間でかえって面倒です。
最初と同じ病院で診てもらえば、初回のカルテもあって説明は不要で、安心感もあるでしょう。
以上の理由から、軽症のときは救急車はかえって不便です。
タクシーなどを使って病院に行く方をおすすめします。
重症か軽症か自分ではわからない
「『軽症なら』と言われても、自分では重症か軽症か分からないじゃないか!」
と言う人がいるかもしれません。
確かに、小さな怪我など明らかに軽症とわかる症状もありますが、
「自分では軽症だと思っているけど実際にはそうでなかったらどうしよう」
と不安になるのは当然のことです。
判断に迷った場合は、市町村の救急相談窓口に相談する手があります。
番号は「#7119」で、詳細は各市町村のホームページでも確認できます。
「救急車を呼ぶべきか」だけでなく、「近くの救急病院がどこにあるか」や「応急手当てはどうすれば良いか」などの相談もできます。
24時間、365日体制で、看護師を中心とした相談員が医師の支援体制のもと相談にのってくれます。
また、小さな子供をお持ちの方は、子供の症状で救急車を呼ぶべきか判断に困るケースもあると思います。
その場合は、小児救急専用の電話相談窓口があります。
こちらの番号は「#8000」です。
小児救急の電話相談は、地域によって可能な時間帯が異なります(24時間対応ではない地域が多い)。
厚生労働省のホームページを確認しておきましょう。
また、救急車を呼んでいいかわからない、という時に使えるアプリ全国版救急受診アプリ「Q助」もあります。
消防庁が公開している無料のツールで、症状を画面上で選択していくと、必要な対応が表示されます。
表示されるのは、
「今すぐ救急車を呼びましょう」
「できるだけ早めに医療機関を受診しましょう」
「緊急ではありませんが医療機関を受診しましょう」
「引き続き、注意して様子をみてください」
のいずれかで、非常に便利です。
スマホがなくてアプリが使えない人はWeb版も使用できます。
困った時にはぜひ利用してみてください。
もちろんこういうことをする余裕がないほど症状が強い場合、明らかに緊急だと思われる場合は迷わず救急車を呼ぶべきです。
この場合は全く遠慮する必要はありません。
ちなみに救急相談窓口で相談できるのは、その時点で困っている症状についてだけです。
たとえば病院でもらった薬のこと、かかっている病気の治療のことなどの相談はできませんので、ご注意ください。
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軽症だが病院には行けないときは?
寝たきりの方などで、普段から介護保険に加入されている方は「介護保険タクシー」が便利です。
通院や役所・金融機関の手続きなどの際に、介護保険で専用のタクシーを安価で利用できるサービスです。
価格など、詳しくはケアマネージャーにお尋ねください。
また介護保険外でも、自費で介護タクシーを利用することができます。
車椅子のまま乗車できたり、ベッド(ストレッチャー)に対応しているものもあります。
自宅から病院への移動の際、タクシーへの乗り降り介助などのサポートが受けられます。
価格も一般のタクシー並で、利用しやすい交通手段です。
詳しくは、介護タクシー配車MAPなどのホームページをご参照ください。
「救急車を呼ぶほどでもないが動けない」という際は、これを利用する方法もあるため、覚えておくと良いでしょう。
ただ、普段から寝たきりなど重度の障害がある方は、周りのご家族の方から見て軽症だと判断することは得てして難しいものです。
救急車はむしろこういう方々のためのものですので、ためらいなく呼ぶのは悪いことではないと私は思います。
救急車を呼んだあとの準備・持ち物
実際に救急車を呼んだ場合は、搬送までにきっちり準備をしましょう。
一般的な受診前の準備は「病院に行く前にしておくべき4つの準備、必要な物と心がまえ」にも書いていますが、
お薬手帳を必ず持参する(可能なら今飲んでいる薬を全てそのまま持参)
診察しやすく動きやすい服装にする
の2点を必ず守りましょう。
そして、救急車で受診する時に特に注意すべきこととして、
帰りの靴を忘れないこと
家族も受診する、できなければ家族に連絡しておくこと
が挙げられます。
救急車で受診しても、入院が必要なく帰宅する方は多くいます。
しかし、病院には自分の足で来ているわけではないので、帰る段になって靴がないことに気づくことがよくあります。
自分で動けず救急隊の方に搬送される場合も、必ず靴を用意しておきましょう。
(救急隊の方が「靴はどれを持って行きますか?」と聞いてくれることが一般的です)
また靴だけでなく、帰りのことを考えた服装(寒い時期の上着など)も忘れないようにしましょう。
また逆に入院が必要になった時、ご本人が動けない場合は家族が入院の説明を受け、入院手続きなどを行います。
入院する段になって突然電話連絡すると困惑される家族の方も多いため、救急車を利用して受診する際はその旨を家族に伝えておきましょう。
また同居している家族がいるなら、可能な限り同行しましょう。
救急車を正しく使うのは大切なことですが、適正利用を過度に強調するのもよくありません。
ここに書いた救急診療のシステムを知っておいて、救急車を上手に活用しましょう。