以前「医者嫌い」の知人からこんなことを言われたことがあります。
「医者は紹介状やカルテの内容を患者さんに知られないよう、わざと汚い字にしたり分かりにくい用語を多用したりするんだよね?」
妙な誤解です。
紹介状やカルテに書かれた記録は、他の科の医師や、看護師や薬剤師、医療事務など多くのスタッフに閲覧してもらわねばなりません。
汚い文字や分かりにくい表現では、自分の意図が他のスタッフに正確に伝わりません。
口頭で再度説明しなければならないなど、余計な仕事が増え、医師本人が後で苦労します。
確かに字の汚い医師はいますが(私も含む)、「わざと」自分しか分からないようにする意義が全くありません。
また、そもそも診療記録は開示請求することができます。
厚労省が発令した「診療情報の提供等に関する指針」7条1項で、
「医療従事者等は、患者等が患者の診療記録の開示を求めた場合には、原則としてこれに応じなければならない」
とあります。
患者さんに「知られないようにする」ではなく、「知られても信用に足るよう努力する」であるはずで、状況はむしろ真逆です。
(もちろん守秘義務のある情報は除く)
他にも、医師に対しては似たような誤解がいくつかあります。
二つの例を挙げてみます。
医師は真実を隠しているという誤解
医学の専門家でない人の発信したセンセーショナルな誤情報や極論が、SNSで広く拡散しているのをよく見ます。
こうした情報は、医師が発信する正確な情報よりむしろ拡散しやすい傾向があります。
その背景には、
「医師は医師にとって不都合なことは教えてくれないので、真実は医師以外からしか聞き出せない」
という発想があります。
特に、
「医師の言うことを鵜呑みにするな」
「〇〇を医師に要求せよ」
といったタイプのものは拡散しやすいと感じます。
「これがもし真実なら医師自身は言いにくいはずだ」という発想が働くからです。
医療界は閉鎖的で、多くの人は医師に心理的な壁を感じています。
無愛想で高圧的な医師と出会った経験が、そうさせているのかもしれません。
「医師には聞きたいことも聞きにくい」という思いを持つ方も多いでしょう。
そしてその結果、
医師は真実を話さない。
隠された真実は医師本人にとって不都合なものであるため本人の口からは聞き出せない。
だが私たちの健康に関わる重大な情報であるため、何とかして暴かねばならない。
という思いに至る方が現れます。
ところが、医学はサイエンスです。
医学的な知見の確かさは、客観的に検証されることによってのみ成立します。
医学的な「真実」は、隠されていないからこそ「真実」となりうる、ということです。
例えば、「あの人は野球がうまい」という情報を又聞きしただけで、野球チームに採用したいと言いだす監督はいないでしょう。
たくさんの試合に出て、バッターボックスに何度も立って、客観的に検証可能な成績を残した選手だけが、チームに採用されるわけです。
それと同じです。
医学的な「真実」が真実たり得るには、客観的な評価を必要とします。
「真実は隠すことができない」のです。
ないものは出せない。
すると、「隠された真実があるはずだ」と考える人のストレスはさらに溜まっていきます。
こういう状況で、
「実はこのことを医師は決して教えてくれないのだが・・・」
という枕詞は、甘美な響きを伴います。
ついに隠された「真実」を白日の下に晒すことができる。
本来真実を手にいれることが目的だったはずが、いつの間にか「晒して拡散すること」が目的化し、情報の正誤を慎重に問うことができなくなってしまうのです。
確かに、医師であっても医学的根拠に乏しい情報を発信してしまう人はいます。
患者さんへの説明が丁寧でなかったり、失礼な態度をとったりする人もいるでしょう。
「医師は信用できない」という医療不信は、医師自身に原因があるのかもしれません。
しかし、医学的に不確実な情報を拡散することは、多くの人の健康を損なうリスクがあります。
隠された真実を暴くかのような極論に対しては、医師の意見も同時に受信し、その上で行動変容につなげる必要があります。
繰り返しますが、本来の目的は「信頼性の高い情報を手に入れること」であるはずです。
であれば、一方向からの情報だけを頼りに行動するのは得策ではありません。
対人では真実を聞き出せないという誤解
以前知人から、
「保険や携帯電話の契約で、自分で何も調べず窓口に行ったら『カモがネギを背負ってきた』と思われるぞ」
と言われたことがあります。
店は自分たちに都合のいいサービスを勧めるものだから、ちゃんと勉強していかないと本当に有益な真実は聞き出せないぞ、というわけです。
そして彼はこう言いました。
「医療もサービス業。医師は自らに都合のいいサービスしか患者に勧めないから、患者も騙されないよう勉強しなければならないのだ」
まさにこれは、医療に対してよくある誤解です。
患者さんに提供すべきサービス(検査や治療)は、その病院や医師の裁量で決まるのではありません。
科学的に検証された知見によって決まります。
「患者さんにとって最も有益であることが科学的に証明されているかどうか」が最優先の検討事項です。
(複数の選択肢の中から施設の体制に応じて選ぶ、ということはありますが)
もし、病院側の利益を最優先にするのであれば、検診による病気の早期発見を促さず、禁煙外来を閉じて喫煙者が禁煙しにくい環境を作った方がよいでしょう。
病気になる人は増え、検査や治療にかかる費用が膨らみ、病院はきっと儲かるはずです。
これを行わないのは、医療はサイエンスに基づく「インフラ」だからです。
また、医師は患者さんに対して利益にならない形で、儲けを考えて治療を選ぶことはしません。
医師自身にインセンティブもありませんし、むしろ不適切な治療を行なったせいで患者さんをリスクに晒すこと自体が、医師本人にとっても大きなリスクになります。
医師としての能力を疑われ、社会的に信頼を損なってしまったら、医師は患者さんを相手に仕事ができなくなります。
患者さんにとってのベストを考えることは、むしろ医師の身を守ることでもあるのです。
これについては以下の記事でも書いていますので、読んでみてください。
医師に対する患者の誤解、病院でよく出会う3つのケース