2016年12月にDeNAが運営する医療情報サイト「WELQ(ウェルク)」が大騒動を巻き起こした。
WELQは、信頼性の低い、というより、もはやデタラメに近い医療情報記事を大量に公開し、かつGoogleなどの検索エンジンで上位表示されるよう、徹底的なSEO対策を施していた。
SEOとは、Search Engine Optimizationの略で、日本語では「検索エンジン最適化」である。
これによって、本来検索エンジンで上位に表示されるべきでないような、信頼性、信憑性の低い、低品質な記事が大勢の目にさらされることになった。
様々な方面から批判を受け、結果としてサイトは閉鎖、全記事は非公開となった。
私が知る限りでは、「死にたい」で検索すると1位に表示されたり、「肩こり」の原因は「幽霊」とする記事があったりなど、あまりにも倫理観を欠いた記事が多かったとのことだ。
誤った医療情報を信用したことで、健康被害を被った人がいた可能性もある。
このWELQ騒動で改めて明らかになったのは、非常に多くの人が、自分の症状や病気に関する情報を得るためにインターネットを利用するという現状である。
一昔前は、「家庭の医学」などの一般人向けの参考書がどの家庭にもあり、病気や症状について困ったときに参照していた。
こうした書籍は、専門家の監修や編集部の校閲を受けるなど、多くの人のチェックを受けてから世に出ることになる。
だが、インターネットの情報はそうではない。
誰でも簡単に、自分の文章を世界中に公開することができる。
その正しさは誰も保証しない。
Googleの検索ロボットが、文章の価値を独自のアルゴリズムで判断して序列を与えるだけである。
今回の騒動でWELQが去ってからもなお、検索エンジンで上位に表示されるのは、医師が監修する記事を量産する企業運営の医療情報サイトが多い。
一方、私のサイトのように医師自身が執筆する記事もある。
医療の専門家である私の立場から見ると、どちらが良い、ということは一概に言えず、それぞれ一長一短があると感じる。
今回は、どちらがどの点で優れていて、どういう欠点があるのかを考察してみたので、今後医療情報を検索する際に参考にしていただければと思う。
医療情報に求められるもの
そもそもインターネットにおける医療情報に求められる条件とは何なのだろうか。
私は、以下の5点に集約されると考えている。
正確であること
信用できること
最新であること
読者のニーズに応えていること
取捨選択が適切であること
これらについて、上述のサイトがどの点で優れ、どこに弱点があるのかを見ていく。
正確であること
前述の通り、大勢で記事を量産するタイプの企業運営型の医療情報サイトは、医師監修の記事が多い。
だが、医師が監修しているかどうかは、その記事の正確さとはあまり関係がない。
正確な記事を書くためだけなら、医師の監修は必要ない。
最近の医療情報サイトは、参考文献を必ず記載している。
信頼性の高い文献からすべての情報をピックアップすれば、正しい記事を書くことは非医療者でも難しくないからだ。
逆に言えば、医師が執筆する場合でも、きっちり文献を照らし合わせずに思い込みで書くと、間違った記事を書いてしまうリスクはいくらでもある。
要するに、執筆者に関わらず、しっかり参考文献が明記してあり、その文献が信頼性の高いものであることが大切だということである。
信頼性の高い文献とは、学会が発行するガイドラインや、それなりに地位のある、名の通った施設の専門家が編集、あるいは執筆した書籍などである。
では、医師が監修することにはどういう効果があるのだろうか。
それは、読んだ人がその情報を信用できるかに関わっている。
信用できること
インターネットで求めていた情報が見つかっても、それを信用することができなければ、その情報が正しかったとしても役には立たない。
ある症状で困った時に、その対処法が書かれてあるサイトにアダルト系の広告が貼ってあったり、素性の知れない企業が怪しげな薬を推奨していても、その情報を生かそうとは誰も思わないだろう。
また、「薬のランキング」と称して、医学的な効果にも安全性にも関係しない、個人的な好みのみで順位付けをしている記事などもよく見かけるが、非専門家が「〜だそうです」調で書いた内容を本気で信用しようとは誰も思わないだろう。
だが、そこに医師の実名と顔写真が貼ってあって「医師監修」と書かれてあったら、その情報を信用する人は確実に増えるはずだ。
監修といっても実は「医師がサラッと目を通しただけ」で、正しくない情報が書かれてあるかもしれない。
だが信用できれば「その情報の通りやってみよう」となる可能性はある。
したがって、情報が信用できるからといって正しいとは限らないし、逆に情報が正しいからといって信用してもらえるとも限らない。
情報の正しさとそれを信用できるかどうかは直接相関しないことと、読んだ人の行動を正しい方向に促すにはどちらも必要な因子だということを理解しておくことが大切だ。
私はこのサイトをペンネームで運営しているし、素性を明かしていない。
いくら内容が正確でも、情報の信用という点では、非医療者が書いた医師監修記事には劣るという大きな弱点がある。
最新であること
医療は日進月歩である。
ある時期に標準的に行われていた治療が、現在ではほとんど行われていない、ということも少なくない。
医療情報をインターネット上で公開する以上、常に最新のものを提供する義務がある。
最新の情報を提供するには、最新の文献を参考にする必要があるが、これがおそらく非医療者にとっては最も難しい。
本屋に行って一番売れている本が最新の情報とは限らない。
最新の情報を検索することは、それなりのノウハウと経験が必要で、これは専門家でないと非常に難しい。
医師ですら、自分の専門外の領域だと自信はない。
そのため私も、病気に関する具体的な情報を書く記事は、ほとんど消化器領域のみに絞っている。
そういう意味では、医師監修記事でもここは少し怪しいものがある。
専門領域なら問題ないが、少し専門外の記事の監修を、一言一句古い情報がないかどうか検索するところまで丁寧にやっているかどうかはわからない。
「監修」の定義は明らかにされてはいないからだ。
読者のニーズに応えていること
病気や症状に関する記事を書くとき、患者さんがどこまではよく知っていてどこからはあまり知られていないか、という微妙なラインを知らなければ、記事は言葉足らずになったり、冗長になったりしてしまう。
私は、企業が運営する医療情報サイトの記事の多くに、そういう大きな弱点があることを強く感じる。
多くの記事が、微妙に痒いところに手が届かないのに、ある部分は妙に詳しかったりする。
「ここはこんなに詳しく書いているのに、なぜそこは軽く触れるだけ?」というものが多いのだ。
もしかすると、サイト内の回遊率を上げることがSEO対策につながるとの観点から、あえて痒いところに手が届かない記事にして他の記事も見てもらおう、という方針なのかもしれない。
私は、「このページのみで読んだ人の全ての疑問を解決させる」という誠意は書き手にとって必須だと思っている。
もしこの誠意を故意に放棄しているのなら許されざることだ。
いずれにしても私は、日常的に患者さんを診療する中で、書かねばならないことと、書かなくても良いことの区別を正確にできる自信がある。
これは実際患者さんを診療している医師が執筆する記事に軍配が上がるポイントである。
取捨選択が適切であること
インターネットで情報を公開するには、情報の取捨選択が大切である。
参考文献の情報のベタ貼りでは価値がないということだ。
参考文献には大量の情報が書かれてあるため、どう取捨選択して記事にするかを考える必要がある。
ここが非医療者には難しいと予想される。
一例を挙げてみる。
私が人工肛門のことを書いた記事で指摘したが、あるサイトの「人工肛門が必要な病気」のところに、およそ頻度の低い疾患が羅列されているのを見かけた。
確かに正しい情報で、全く間違いはない。
医師が監修しているし、信用も得やすい。
だが普段人工肛門を作る外科医の私から見て、「なぜこの疾患をあえて選んで記載したのか?」と強い違和感を覚えた。
なぜこういうことが起こるかというと、参考文献に羅列してある疾患をそのままコピーペーストしているからである。
そして非専門家にとっては、それが間違いを避けるための最も確かで安全な方法である。
確かに間違いを冒さないという意味では賢明な方法だ。
だが、インターネットの記事は、いかにわかりやすく、簡潔に重要なことのみを伝えるかがポイントで、冗長であることは適切でない。
誰もが最初から最後まで根気よく読んでくれるとは限らないからである。
私はたいてい、頻度の非常に高いものを3つほど提示して、「それ以外にも多くあるが、個々の病気については担当の医師と相談してほしい」としている。
冗長にならずに多くの人に最後まで読んでもらえて、90%以上の人のニーズを満たすことができる。
ここは逆に100%の人に当てはまることを書こうと欲張ってはいけないところだと思っている。
検索エンジンで選んだ記事を信用するかどうかは全て、閲覧するあなた自身に任されている。
できればここに書かれてあることを読んで、今後の参考にしていただければと思う。
なお、ここではサイト上の個々の記事の内容について必要な条件を述べた。
Webページのデザイン性や、文章のわかりやすさ、読みやすさ、そのサイトにおける情報量(多くの疾患についての記事が用意されている)などの他の条件については、ここでは考察していない。
これらもまた重要な条件であることは間違いないが、これについてはまた別の機会に書くことにする。