みなさんは医師と話をしていて、「自分の気持ちがなかなか分かってもらえない」と感じた経験はないでしょうか?
何となく不親切な医師に対し、不安を抱きながら通院を続けている人もいるかもしれません。
しかし、実は私たち医師も同じ感覚を持つことがよくあります。
私たちも、「患者さんに自分の気持ちがなかなか分かってもらえない」と思うことがよくあるのです。
なぜ医師と患者は分かり合えないのでしょうか?
私がこれまで患者さんを見てきて、最もよく食い違うと考えるポイントを4つ挙げてみたいと思います。
患者はn=1の事象を重視する
外来で患者さんから、
「自分と同じ癌の治療をしている友達が、この民間療法で癌を治したと言っていました。だから自分も同じ治療を受けたいです」
「この抗がん剤を使った私の職場の同僚が、強い副作用が出て治療が続けられなくなりました。だから同じ治療は受けたくありません」
「私と同じ胃がんだった友達は、この抗がん剤が効かずに亡くなりました。だからこの抗がん剤は使いたくありません」
などのように言われることは非常によくあります。
たった一人の、しかも「医療の専門家でもない人の個人的な感想」が、膨大な疫学データに裏付けられた知見より優先される事例です。
患者さんにとっては、身近な人の体験談はあまりにも大きな影響を与えるのです。
芸能人など、著名人の体験談も同じです。
私たちにとっては意外で皮肉な事実ですが、こういう患者さんに私たちは頻繁に遭遇します。
一方、こういう「n=1の事象」、つまり「一人の患者さんにだけ起こった事象」を、私たちは参考にすることはあっても、治療の大きな判断基準にすることはありません。
ある治療が有効かどうか、あるいは、ある薬にどんな副作用があるか、といったことを正確に調べるには、数百、数千人の患者を対象とした臨床試験を計画する必要があることを知っているからです。
よって私たちは、たった一人に起こったことは「偶然の域を出ない」と考える傾向があります。
医師は「n=1の事象」を軽視しがちなのです。
こういう考え方の医師と、「身近な一人に起こった事象」を、「見知らぬ数千人のデータから導き出された結論」よりもしばしば重視する患者さんとの間には、大きな感覚のずれがあります。
患者さんが心配そうに知り合いや親戚の事例を話した時、医師が、
「そんなものは当てになりません」
と切り捨ててしまうと、患者さんを深く傷つけることになります。
自分の不安を分かってもらえなかった、と医師に対して不信感を抱く可能性もあります。
患者さんとの感覚の大きなずれを、医師は十分に認識した上で話す必要があるのです。
患者は自分にとって固有のベストを求める
こちらも、がんの治療を例に挙げてみます。
私たちががんの患者さんに治療を提供する時、まず考えるのは、
「医学的に最も効果が高いと証明されている治療を選びたい」
ということです。
この時参照するのは、各疾患別に用意されたガイドラインです。
ガイドラインには、これまで世界中で行われた様々な臨床試験の結果を踏まえ、現時点で最も有効な治療が掲載されています。
この治療のことを「標準治療」と呼びます。
これについては「医師が考える最も確実ながん治療、標準治療を選ぶべき理由」で書いた通りです。
同じ条件の患者さんであれば、この共通の標準治療を選ぶのが普通です。
臨床試験の結果は日々アップデートされるため、標準治療も時代とともに改められていきます。
従来治療と比較して、統計学的に優れた治療に置き換わっていくのです。
私たちにとっては紛れもなく、これが「ベストオブベスト」です。
ところが、患者さんはそういう感覚をお持ちでないことがあります。
患者さんにとっては、自分はあくまで「他の誰でもない唯一無二の存在」です。
「自分だけにベストフィットする固有の治療を医師に考えてほしい」と思っている方は多くいます。
そういう患者さんは医師から、
「同じ病状であればみなさんにこの治療を選択しています。最も有効と考えられているからです」
と言われると、
「他の人と全く違う体を持つ自分になぜ、同じ治療がベストだと言えるのか?」
と思ってしまいます。
医師のベストは「統計学的に有意に優れた治療」ですが、これが実は患者さんの感覚とはずれている可能性があるのです。
医師はこのずれを認識した上で、治療選択について慎重に説明する必要があります。
患者はあくまで病気の「治癒」を求める
私たち医師は、医学について深く知るにつれ、病気が「治る」という言葉の定義に悩みます。
患者さんから「治りますか?」と聞かれた時、すんなり「治る」「治らない」で答えることができないケースが多々あるのです。
こうした質疑応答をする時は、まずお互いに「治る」とは何を意味する言葉なのか、確認する必要があります。
例えば、高血圧や糖尿病などの生活習慣病は「治る」でしょうか?
もちろん、薬を飲み続けて血圧や血糖値を安定させている状態を「治った」とは言えませんよね?
ではもし、治療を続ける過程で薬を飲まなくても良くなったとしたらどうでしょう?
薬は飲まなくていいとはいえ、通院しつつ、毎日血圧を測定して記録し、食事に毎日注意する必要があるとしたら、この状態は「治っている」のでしょうか?
いや、何にも注意することなく、欲望のままに生活する状態が「治る」なら、その日は来るのでしょうか?
そう考えると、そもそも生活習慣病において「治る」が目指すべきゴールなのかどうか、という疑問が浮かんできます。
では、がんの場合はどうでしょうか?
例えば、大腸がんが進行して肝臓にも転移している患者さんがいるとします。
大腸がんを切除し、転移した肝臓のがんも切除すれば「治った」と言って良いでしょうか?
もちろん、そうは言えません。
頻繁に通院し、再発しないかどうかを観察する必要があります。
確かに、この時点で患者さんの体内に目に見えるがんはありません。
しかし、医師も患者さんもがんの再発を恐れながら慎重に観察している状態を「治った」とはとても言えません。
もし途中で新たな肝転移が出てくれば、その時点で再び手術することもあります。
その手術でがんがなくなっても、やはり通院して慎重に経過観察です。
すると、どのタイミングで「治った」と言えば良いか、わからなくなります。
慢性心不全で定期的に通院する人も、肝硬変で定期的に通院する人も同じです。
そう考えると、完全に「医療から自由になれる病気」は、実はそんなに多くはないことに気づきます。
そこで私たちは多くの場合、「医療から完全に自由になること」だけを目指すのではなく、「病気を治療しながら、日常生活の質を落とさないこと」をもっと大きな短期目標として掲げます。
病気とうまくお付き合いする手段を提供する、という感覚です。
人は誰しも、いつかは病気になります。
病気から免れて生きることはできません。
病気になってもそれを治療しながら日常生活を楽しむことを、大きな一つの目標にする必要があるのです。
「治る」=「医療から完全に自由になること」だけを求め続けると、治療は辛いものになってしまうからです。
軽い急性の疾患や外傷など、治療終了の目安が明らかな場合を除いては、「病気を治したい!」と考える患者さんには、こうした説明を十分にする必要があると感じます。
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患者はあくまで病気の原因とメカニズムを知りたい
私たちは、ある症状で外来に来られた患者さんに検査をしても原因がはっきりしない、というケースをしばしば経験します。
むしろ、症状の原因やメカニズムが完全に明らかになることの方が少ないため、私たちはこういう事態にあまり違和感を持っていません。
こういうケースでは、
「原因ははっきりしませんが、診察、検査の結果、現時点ではこれ以上の精密検査や特別な治療の必要はない状態と判断します」
と説明します。
そして、もし症状に変化があれば、その時点で再度受診していただくようお伝えします。
一定の期間をおいてから診察、検査すると、新たな知見が得られる可能性があるからです。
しかし、患者さんは納得できません。
症状の原因を突き止めるために病院に来て、そのためにわざわざお金を払って専門家に診てもらっている、と思っている方が多いからです。
原因を明らかにし、きっちり病名をつけてもらい、確固たる根拠を持って治療法を選んだ上で困った症状から解放してほしい、と考えているのです。
ここに、医師と患者間で大きなギャップがあります。
医師はまず、こういう気持ちで患者さんが病院に来ている、ということを十分分かった上で対応する必要があるでしょう。
「原因が分からないなんて当たり前」という姿勢では、患者さんから信頼を勝ち取ることはできません。
一方、患者さん側としては、人間の体はあまりに複雑であり、症状の原因やメカニズムが分からないことの方がむしろ多い、ということは知っていただきたいところです。
その場合、その都度必要な検査を行い、症状に応じて必要な治療を施しつつ経過を見る、という方法をとるのが一般的です。
医師がよく「様子を見ましょう」というセリフを使う理由については「医師の『様子を見ましょう』の真意、経過観察は大切な医療行為」の記事でも解説していますので、ぜひご覧ください。
以上、医師と患者がすれ違う4つのポイントを解説してみました。
一つは当てはまる項目があったのではないでしょうか?
お互いがお互いの考え方や習慣を理解し、歩み寄ろうと努力することが大切だと私は考えています。
こちらもお読みください。
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