静岡県の市立中学の男子生徒が、同学年の男子生徒から暴力を受けて重傷を負ったとのニュースがありました。
診断は「膵臓断裂(すいぞうだんれつ)」。
暴力を受けたその日、腹部の激痛を訴えて病院に運ばれ、緊急手術を受けました。
現在市内の病院で治療を続けており、自宅復帰まで2ヶ月、10年以上の通院が必要とされています。
私も、外科医として膵臓断裂の手術に参加した経験は何度かあります。
外科医にとっては非常に大変な手術で、しかも患者さんにはその後の長い治療で大きな苦痛を与える可能性のある外傷です。
膵臓断裂の手術はなぜこれほど大変で、かつ治療に時間を要するのでしょうか?
今回は、膵臓断裂について分かりやすく解説してみます。
(今回の事例では詳細が明らかではないため、ここからは一般論として書きます。今回の事例とは状況は異なる可能性があります)
膵臓断裂とは?
膵臓は、お腹の中央部分、ヘソよりやや上、胃の裏側にある臓器です。
胃や腸のようにお腹の中で自由に動く臓器とは違い、膵臓は背中側に固定されているため、外力によって損傷しやすい特徴があります。
とはいえ、相当の外力が腹部に加わらない限り膵臓の損傷は起こりません。
多くは交通事故や転落事故などが原因になります。
膵臓断裂を含むこれらの外傷を、「外傷性膵損傷」(外傷によって膵臓が損傷すること)とよびます。
では膵臓が断裂すると、どんな問題が起きるのでしょうか?
それを知るためにはまず、膵臓の働きを知っておく必要があります。
膵臓の働きとは?
膵臓の働きの中でも最も重要なのが、
・膵液という消化液を出し、摂取した糖質、タンパク質、脂肪などを分解する
・インスリンというホルモンを出し、血糖値を下げる
という2つです。
外傷性膵損傷が危険なのは、この2つの働きに理由があります。
膵液がお腹に漏れ出す
膵臓の中には、「膵管(すいかん)」と呼ばれる、膵液が通る管が張り巡らされています。
膵臓の損傷ではこの膵管が損傷するため、膵液がお腹の中に漏れ出すことになります。
膵臓の中央には幹となる太い膵管(主膵管)が通っているため、膵臓が断裂すると、この主膵管が断裂することになります。
大量の膵液がお腹の中に漏れ出します。
膵液は糖質、タンパク質、脂肪など食べた物を分解する働きがあるのでした。
当然、お腹の中の様々な組織もまた、これらの成分でできています。
膵液が漏れ出すとどうなるでしょうか?
膵液がこれらの組織を分解し始め、お腹の中でひどい炎症が起こってしまいます。
お腹の激痛が起こり、高熱が出て、命に関わる重篤な状態に陥ります。
そして厄介なのは、手術でもこの漏れを完全に止めることが難しい、ということです。
まず、膵臓は豆腐のように柔らかい臓器です。
断裂した部分を元どおり縫い合わせて繋ぐことは不可能です。
「それなら断裂した膵管の切れ端を塞いでしまえば良いのではないか?」
と思うかもしれません。
実はこれもかなり難しいです。
膵管は、太くて数ミリ、細いものでは2、3mm程度しかないケースもあります。
膵臓癌などの手術で、超音波で膵管の位置を慎重に確認し、狙いを定めてメスで切る場合とは違い、外傷による断裂では膵管の位置を人間の目で見つけることは非常に困難です。
いわば、砂漠で針を探すようなものです。
何とかそれらしき部分を見つけて糸でくくる、あるいはステープラーと呼ばれるホチキスのような道具で塞ぐ、といった処置をしますが、完全に膵液の漏れを止めることは難しいケースが多いです。
これは手術の限界であり、どんな腕の良い外科医でもこれは同じです。
手術後もわずかな膵液の漏れが続くため、お腹の中に管を入れたままにして膵液を体外に出し、自然治癒力で漏れが止まるのを待つことになります。
これだけで入院が2ヶ月以上に渡ることもよくあります。
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インスリンが足りなくなる
膵臓が断裂すると、両側に切れ端が現れることになります。
どちらからも膵液が漏れて危険なため、断裂した部位によっては、一方を摘出する手術が必要なこともよくあります。(全摘出が必要となるケースもあります)
膵臓を部分的にでも摘出すると、もともと膵臓全体で行なっていた働きを、残った部分だけでまかなう必要が出てきます。
残った膵臓が小さいと、必ず足りなくなるものがあります。
前述の、膵液とインスリンです。
膵液は消化液なので、足りなくなると消化不良を起こします。
しかしこれは、口から飲める製剤で補充することができます。
ところが、インスリンが足りなくなると大変厄介です。
インスリンは血糖値を下げる働きがあるのでしたね。
インスリンが足りないと、血糖値が過剰に上がり、命の危険にさらされます。
また長期的に高い血糖値が続くと、糖尿病になり、それによって起こる様々な健康上の問題に苦しむことになります。
そこでインスリンを補う必要があるわけですが、残念ながら口からインスリンを補充することはできません。
インスリン製剤の皮下注射が必要です。
しかも厄介なのは、血糖値が正常範囲から逸脱していても、よほど大きな逸脱でない限り自覚症状は全くないことです。
つまり、絶えず測定し続けない限り、自分の血糖値が正常かどうかを知るすべはないのです。
よってインスリン投与が必要な方は、自身で毎日のように血糖値を測定し、これを記録します。
医師が血糖値の推移を見ながら必要量を適宜調節し続ける必要があるため、何年、何十年と病院に通っています。
一例を挙げると、
AとBという二種類のインスリン製剤を処方。Aを朝5単位、昼6単位、夕6単位、Bを寝る前に10単位皮下注射。これで1ヶ月様子を見る。
次の外来で血糖値の推移を見た医師が、
「朝を6単位、寝る前を12単位に増やして、また1ヶ月後に診ましょうか」
と言う。
このようなことを繰り返す(慣れてくるとある程度期間を空ける、ある程度自己調整する)。
このような細かい調整により、長期にわたって血糖値を正常範囲に維持する必要があるわけです。
健康な私たちの体は、血糖値の上下動を自動的に観測し、リアルタイムに必要なインスリンが膵臓から分泌されています。
これがいかに精巧な仕組みかということ、そしてこれが失われた時、いかに患者さんは大変な思いを長期にわたってすることになるか、ということです。
(あくまで一般論です。今回のケースがこうであるかどうかは不明です)
外傷性膵損傷は、とにかく私たち外科医の頭を悩ませ、患者さんをも長期に苦しませる、厄介な外傷です。
一度起こると、完全に治癒するのが難しいケースもあります。
このことは十分知っておいてほしいと思います。
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