このブログには、「個別の医療相談はお断り」と注意書きがありますが、それでもなお、医療相談はたくさん寄せられます。
本人を診察しない限り、あるいは背景を詳しく知らない限り適切な対応ができないため、基本は全てお断りです。
ただ今回は1件、本人の承諾を得てお問い合わせを取り上げ、ブログで解説してみたいと思います。
これを取り上げる理由は、書いたご本人が医療者であること、「祖父の死を人の役に立てたい」という動機であったことにあります。
以下はいただいたお便りです(一部わかりやすく改変)。
祖父(80代後半)はもともとCOPD(慢性閉塞性肺疾患)および、脳梗塞・心房細動の経験があり、在宅酸素を使用していました。
介護サービスを受けながら自宅で過ごしていましたが、転倒して左腕を骨折し、整形外科で手術を受けました。
術後に肺炎を合併し、一時は食事がとれるまでに回復しましたが、再度病状は悪化し、結果的に亡くなりました。
このような患者に、全身麻酔での手術を行う必要は本当にあったのでしょうか?
もともと左腕は麻痺があってほとんど動かない状態であり、COPDや脳梗塞等の既往から、術後の合併症のリスクは高く、急を要する疾患ではないため、保存的治療(手術なしで経過を見る)でも良かったのではないかと考えています。
もちろん祖父の死は結果論、かつ親族の同意のもとで手術は行われているため、医療者側に過失はありません。
しかし知識の乏しい患者側に最善な選択ができるように誘導するのも医療者の役割であると考えています。
実は私たちは科を問わず、似た事例をよく経験します。
この方の個別の事例について「こうすべきだった」ということは書きません(書けません)。
あくまで一般論として、手術リスクの高い高齢者の手術について起こりうる問題と、今回の事例で教訓とすべきことを書いてみたいと思います。
手術するリスクと手術しないリスク
全身麻酔手術は、リスクの極めて高い医療行為の一つです。
手術を受ける方の中には「手術はうまくいって当たり前」と思っている方が多いのですが、そう簡単ではありません。
無理やり眠らせて、体に大きな傷をつけ、内臓を切り取ったり縫い付けたりしておいて、元どおりの日常に無理やり戻すわけです。
ある意味、医師免許がなければ傷害罪となるような、大怪我を負わせることに近い行為です。
外科医の技術が必要なのはさることながら、本人の「大怪我からの回復力」も、手術の成否を大きく左右します。
「元気で何の持病もない30代」と「これまで手術を何度も受け、生活習慣病でたくさん薬を飲みながら、介護なしには生活できない80代」では、手術リスクは全く異なります。
同じ技能をもつ外科医チームが全く同じ手術を行っても、患者さんによって得られる結果は違うということです。
例えばがんの手術を行い、手術自体はうまくいってがんの治癒が期待できても、術後に肺炎で亡くなる方はいます。
術後に心筋梗塞を起こしたり、脳梗塞を起こしたりするなど、手術とは直接関係のない病気で苦しむ方もいます。
別のたとえ方をすると、
「身体にたくさんのリスクを抱えた方に、無理やりフルマラソンを走ってもらうとどうなるか?」
と考えると分かりやすいでしょうか。
間違いなく、その後身体に様々な「ガタがくる」可能性があるわけです。
そのくらい、手術とは身体に大きな負担を強いる医療行為です。
よって手術を行うかどうかを決める際は、「患者さんがその手術に耐えられるかどうか」を考えることが重要になってきます。
では、「手術に耐えられない可能性が高い人なら手術しない」とすれば問題は解決するでしょうか?
実は、話はそう単純ではありません。
手術しないリスクが大きい人の存在
前述の通り、確かに「手術リスクに応じて手術するかしないかを決める」は原則です。
しかし現場では、「手術するリスクが高くてもなお、手術しないよりもわずかにメリットが大きい患者さんが大勢現れる」というジレンマがあります。
あくまで一般論として、お問い合わせの事例を振り返ってみましょう。
在宅で酸素投与が必要なくらい慢性的な重度の肺疾患があり、心疾患もあり、脳梗塞の経験もある。
しかも80代後半で超高齢、と手術リスクは非常に高いと言えます。
しかし、この事例について複数の整形外科医に手術するかどうかを尋ねたところ、全員が「非常に悩ましいが、おそらくやむを得ず除痛目的に手術する」と答えました。
「除痛」とは「痛みを取り除く」という意味です。
耐え難いほど激しい痛みが持続する、あるいは痛みが悪化する可能性を分かっていて放置するのは、患者さんに対してあまりにマイナスが大きいと考えたからです。
※もちろん反対する整形外科医もいるでしょうし、医療行為の選択肢の答えは一つではありません。このお便りだけでは、骨折の部位、程度、家庭環境など、全ての情報を読み取るのは不可能であるため、あくまで手術リスクを一般論として捉えて答えてもらっています。
手術はハイリスクだが、それでもなお、手術する方が患者さんにメリットが大きい、と判断されることは現場ではしばしばあります。
もちろん、全身麻酔をかけるだけで命の危険があって麻酔科からストップがかかる、というケースなら別です。
しかし、
「リスクは高いが、それよりも高いベネフィットが期待できる」
「現状のままでは、手術リスクよりも失うものが大きい(痛みや精神的苦痛、QOL)」
ということが、手術の動機として成立するからこそ悩ましいわけです。
現場ではこうした難しい選択を迫られる場面が非常に多いことは、ぜひ皆さんに知っておいていただきたいと思います。
ただ、今回の事例が具体的にどうだったかは、担当した整形外科医にしかわかりません。
よって私は、今回この選択を肯定、あるいは否定したいわけでもありません。
では今回の事例で問題とすべきは何でしょうか?
それは、まさにこの「非常に難しい選択」であるという事実を、医師が患者さんとその家族に説明しなかったこと(あるいは説明したが理解されていないこと)にあります。
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医師からの説明と同意が全て
私たちの領域でも同様の事例はあります。
例えば、進行した直腸がんで便の通り道が完全に詰まってしまい、飲食が一切できない状態になった超高齢者がいるとします。
上述の事例のように、様々な手術リスクを抱えています。
ここで手術しないという選択は、この方から永久に食事の楽しみを奪い、鼻にチューブを入れて減圧し、太い管から点滴で栄養補給を続け、腹痛に耐えるため鎮痛剤を投与し続けることを意味します。
この負担は、ご本人にとってはかなり大きなものです。
よって、一般的には人工肛門を造設する手術を行います。
もちろん全身麻酔が必要な、それなりにリスクのある治療です。
しかし、上述の負担から解放されるメリットはあまりに大きく、倫理的にも妥当です。
リスクが高い治療だが、それを超えるメリットが期待できる、というケースです。
むろん、ご本人やご家族が手術を拒否すれば、手術を行うことはありません。
前述のような、「手術するリスク」と「手術しないリスク」を天秤にかけ、その上で手術しない方を取るのであれば、それは一つの選択です。
結局、私たち医師に求められるのは、
「手術しなかったことで起こりうること」
「手術したことで起こりうること」
のそれぞれを、丁寧に誠意を尽くして説明すること、そして、
「ある治療を選んで望まない結果になったとしても、その選択を後悔しないためのお手伝いをすること」
です。
もちろん後悔をゼロにすることなどできません。
しかし、これを限りなくゼロに近づける努力をすることが医師の仕事です。
そしてそれには、豊富な専門知識と現場経験が必要です。
私もまだ不十分でしょう。
しかし医師として、このお便りのような、家族からの疑念やわだかまりが生じるケースをいかに減らすかが、今回の教訓とすべき問題だと私は考えます。
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