私は医学生になったばかりの頃、内科医を志望していた。
当時の私にとっては、外科医はただの「技術屋」。
私は技術ではなく知恵で患者を治したい。
豊富な知識を使って患者を切らずに治すことのできる内科医が魅力的だった。
そして私が最も興味を持ったのは「がん」だ。
この国で毎年最も多くの命を奪っている「がん」という病気を、何とか撲滅したい。
私が学生の頃はちょうど、分子標的薬と呼ばれる新しい抗がん剤が次々と売り出されていた。
「がんを切らずに治せる魔法の治療」
これが私のがんに対する内科的治療のイメージだった。
医学部5年生になり、病院実習が始まった。
実習と言っても、患者さんに直接関わることはほとんどできない。
いわゆる臨床現場の見学である。
患者さんの中には、見学すら許さない人もいた。
深刻な病状の自分が、見世物のように学生に見られることを不快に感じる人がいるのは当然のことだ。
グループごとに各科を順に回り、ついに化学療法部の実習が始まった。
私が最も興味のある抗がん剤治療を専門とする科だ。
私が担当したのは、30代半ばの女性だった。
病名はステージ4の胆管がん。
定期的に車で病院に通い、抗がん剤治療を受けていた。
病状は深刻だったが、学生である私の見学を快諾し、点滴をしながら気さくに身の上話をしてくれた。
中学1年生の女の子がいるという。
自分の病気を達観している様子で、
「子供が成人するまで見届けられたらそれで十分、長生きなんてしたくないのよ、ろくなことないしね」
と大きな声で笑った。
私もその笑顔につられるように、
「そうですね」
と言って笑った。
患者さんと関わることができ、医学生として初めて充実感を覚えた。
実習の最終日、指導医と実習の振り返りがあった。
私は女性の病状、使用している抗がん剤についてレポートにまとめ、指導医に提出した。
その時私はふと女性との会話を思い出し、
「あの方、子供が成人するまで生きられたら十分、なんておっしゃるんですよ。もっと生きられますよね?どのくらいでしょう?」
と指導医に尋ねた。
指導医は表情を変えず、
「正確には予想できないけど、半年くらいかな」
と言った。
私は言葉を失った。
私の驚きを察したのか指導医は、
「そりゃそうだよ。胆管がんであの状況なんだから。かなり厳しいよ」
と言い、こうも言った。
「彼女は長くは生きられないってこと、ちゃんと分かってるよ」
「抗がん剤だけで治るがんは多くない。抗がん剤というのは、がんの勢いをうまくコントロールする薬なんだよ」
私は病院からの帰り道、無性に涙が止まらなくなった。
何も知らずに笑っていた自分のあまりの浅はかさ。
「魔法の治療」と期待していた抗がん剤のあまりの無力さ。
そしてあまりに無知だった自分への羞恥心。
それから私は勉強を重ねるにつれ、がん治療について深く知っていった。
がんは、治す病気というより、うまくお付き合いする病気。
それをサポートするのが、抗がん剤治療や放射線治療を行う内科医なのだと知った。
大切な仕事だ。
だが私には向いていないと思った。
手術で取りきれる段階のがんを確実に治す。
そういう治療に携わる方が、気持ちは楽だ。
これは「逃げ」かもしれない。
だが、内科医志望の優秀な同期はたくさんいる。
そういう人たちに任せればいい。
私が外科医を目指そうと思ったのは、それがきっかけだった。
※守秘義務を考慮し、筋書きは改変しています。また、当時の状況は、現在の治療成績とは異なる可能性があります。加えて、悪性腫瘍の中には化学療法だけで治癒するタイプのものも多数ありますので、ご注意ください。
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