前回の記事で、ドラマでは描かれない「緊急手術を行うまでの準備と交渉」が本当に大変、ということを書きました。
同じように、手術後の外科医の姿がドラマで描かれることも一切ありません。
実は外科医は、手術が終わった後にもたくさんの仕事をしなくてはなりません。
「仕事終了!飲みに行こう!」というわけにはいきません。
「ドクターX」の大門未知子のように、「5時なので帰りまーす」というわけにもいきません。
今回は、医療ドラマでは決して描かれることのない、術後の外科医の仕事について説明してみます。
術後は長い治療の始まり
手術直後にご家族に手術の状況を説明しますが、ここで、
「手術は成功しました」
と言う外科医を私は見たことがありません。
手術が成功と言えるかどうかは、術後の経過が順調かどうかにかかっているからです。
そして、術後が順調に回復せず、様々な問題を起こして入院が長引いたり、再手術が必要となるケースは少なからずあります。
外科医にとっては「術後管理」こそ慎重さを要する非常に大切な仕事。
手術が終わった時点では、「長い治療がようやく始まったに過ぎない」という感覚です。
術直後から「術後管理」は始まります。
カルテで術後の指示を次々に出していきます。
どんな種類の点滴を、どんな速度で投与するか?
どんな薬をどのタイミングで投与するか?
患者さんの状態に応じて考えます。
患者さんが発熱したら?
痛みや吐き気を訴えたら?
血圧が変動したら?
呼吸状態が悪くなったら?
こうした様々なケースを想定し、それに応じて指示を出します。
また、夜中は主治医である自分は病院にはいません(偶然当直でない限り)。
看護師や、主治医ではない当直医の判断にある程度任せる必要があります。
しかし、「主治医でないと対応を判断しにくい異変」が起こるかもしれない。
そこで、
「こうなったら夜中でも電話で呼び出してほしい」
という旨を、正確に看護師に伝えておく必要があります。
また術翌日は、早朝に血液検査やレントゲン検査など、様々な検査を行う必要があります。
術式によって、どんな検査が必要となるかは異なります。
こうした検査のオーダー(予約)も、術後に行うのが普通です。
医療ドラマで描かれることは全くありませんが、術後の外科医はこうした業務に追われています。
術直後は体の状態が変化しやすく不安定で、外科医にとっては全く気を抜くことができません。
私が初めて胃がんの手術を執刀した日の夜、不安で眠れなかったのを覚えています。
むろん、患者さんやそのご家族はもっと怖いと思っているはず。
こうしたことからも、外科医が術直後に「成功しました!」などと晴れ晴れとした表情で言うことがありえない、ということは分かっていただけると思います。
手術記録の作成
手術後は、手術記録の作成が必要です。
手術記録のことを、業界用語で「オペレコ」と呼びます。
「operation(手術)のrecord(記録)」です。
文章で書いた上で、スケッチも作成します。
手術記録には、手術がどんな手順で行われたのか、どんな道具がどこで使われたのか、後から見て分かるように正確に記載します。
また、手術中に体の中がどんな風だったか、すなわち「術中所見」も大切です。
胸の中やお腹の中を直接見て、触れることができるのは外科医だけだからです。
例えばがんの手術なら、
がんの大きさや色調、表面の性状、周囲の臓器との位置関係はどうだったか?
他に病変はなかったか?
腹水(お腹に水が溜まる状態)はなかったか?
あったならどのくらいの量、どんな色調だったか?
など、様々な所見を記載します。
手術記録は、紙カルテならファイルに挟み込み、電子カルテならスキャナーで取り込んで診療記録として保存します。
外科ではたいてい術後カンファレンスがあり、その週に行われた手術を全員で振り返ります。
その際、手術記録を画面に提示し、手術の流れや今後の治療方針を全員で確認します。
手術記録がないと、その手術に参加した外科医以外には手術の詳細が分からず、情報をチームで共有できません。
手術記録の作成にはそれなりに時間がかかりますが、私は可能な限り当日に書きます。
記憶が新しいうちに書く方が正確で、かつ自分も楽だからです。
翌日や数日後にまとめて書く外科医もいますが…
ちなみに、腕の良い外科医はたいてい絵が上手です。
芸術的な意味ではなく、「情報量が多く、かつ正確に伝わる」という意味です。
おそらく、優秀な外科医は空間認識や物の位置関係を立体的に把握する能力が高く、そのイメージをそのまま絵でアウトプットするからでしょう。
ドクターXでは、大門未知子が「腕は良いが絵は下手」という設定ですが、現実にはこういう外科医はあまりいないのですね。
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摘出した臓器や組織の処理
多くの外科手術では、何らかの臓器や組織を摘出します。
例えば胃がんの手術なら、がんを含む胃を部分的に(もしくは全部)切り取って摘出します。
この取り出したものを手術室に放っておくわけにはいきませんよね。
この臓器の処理もまた、外科医の術後の地味な仕事の一つです。
まず、病院にある専用の部屋(標本整理室)で摘出したものを丁寧に洗い、写真撮影をします。
摘出したばかりの臓器の新鮮な写真は、その瞬間しか撮れないからです。
写真はカルテに取り込み、その患者さんにとって貴重な診療情報になります。
この際、胃や小腸、大腸など管状の臓器はハサミで切り開き、ホルマリンの入った容器につけます。
これが翌日、病理医の元に渡り、細かくスライスして顕微鏡で診断する作業に入ります。
がんの手術なら、切除した臓器からリンパ節を一つ一つ取り外す作業も必要です。
がんは周囲のリンパ節に転移を起こすため、周囲のリンパ節も一緒にまとめて取る手術を行います。
5ミリから1センチくらいの、豆のような形のリンパ節が周囲の内臓脂肪の中に埋もれているため、これを一つ一つ見つけ出し、ホルマリンの入った小ビンに入れていきます。
この作業のことを、通称「芋掘り」と呼ぶこともあります。
土の中から芋を見つけ出して一つ一つ掘り出していく作業に似ているからです。
例えば胃がんの手術なら、取り出すリンパ節は1回の手術で30〜50個くらいにもなります。
30〜50個、芋を掘る姿を想像してみてください。
それとやっていることは同じです。
このたくさんのリンパ節を、エリアごとに番号を付けて分類します。
参考に胃がんの手術のリンパ節番号を見てみてください。
出典:胃癌取扱い規約 第15版/金原出版
この番号は、住所でいうところの「番地」のようなもので、1丁目には10軒、2丁目には5軒、というように家を分類していくのと同じです。
ホルマリンの小ビンに一つ一つ番号を書き、そこに番号別にリンパ節を入れます。
番地の数の分だけホルマリンのビンが必要、ということです。
リンパ節に転移があるかどうかは病理医が顕微鏡で診断するのですが、この際、
「どの領域のリンパ節に転移があったか?」
が重要になるからです。
この作業は1時間を超えることもよくあります。
標本整理室のうす暗い部屋で一人、あるいは二人で行う地味な作業ですが、患者さんの将来にとって非常に大切な医療行為です。
もちろん、こんな地味な作業がドラマで描かれることはありません。
ドクターXなら、大門が17時に帰った後、後輩の西山あたりががんばってやっているはずです。
一人の患者さんに手術をすると、術後にはこのくらいの仕事が待っています。
また、外科医は同時に何人もの入院患者さんを担当しています。
その中には、「昨日手術した人」や「1週間前に手術したけれど経過が順調でない人」もいます。
長い手術なら、その手術中にこうした方々が何らかの変化を起こしているかもしれません。
こういう対応も術後に待っています。
ドラマでは、「手術」という、外科医の仕事のほんの一部にしかスポットが当たっていません。
実はそれ以外の仕事が非常に大変だ、ということも、いつかドラマになると面白いのではないかと私は思っています。