「緊急手術の前に外科医がやること|医療ドラマで描かれない真実1」の記事で、手術に至るまでの過程で医療ドラマでは盛大にカットされている部分がある、という話をしました。
今回は、手術室内での過程について解説してみたいと思います。
手術室での、手術開始前の医療スタッフや患者さんの動きは、ドラマと実際とでは少し異なります。
ドラマ「グッドドクター」第7話の解説記事で、患者さんが手術室に入る前に外科医が手洗いをするのは変だ、と書きましたが、これに対して、
「自分が手術を受けた時、全身麻酔がかかる前に周囲で医師らが手洗いせずに談笑していて、その理由が初めてわかった」
というコメントをいただきました。
ドラマが現実に近いと思っていると、自分が手術を受ける時に無用に不安を感じるリスクもあります。
今回はこの辺りに注意しながら、手術直前の医療スタッフらと患者さんの動きを分かりやすく解説してみたいと思います。
患者さんが入室するまで
手術室に患者さんが入ってくる時、ドラマではたいてい車椅子かベッドのまま搬送、ということが多いですね。
患者さんがゆったり徒歩で入室する描写はあまり見ません。
ところが実際には、一部の緊急手術を除き、ほとんどの患者さんは歩いて手術室に入ります。
定例手術(緊急手術以外の予定された手術)では特に、患者さんは手術日までに体調を万全に整えています。
1〜2ヶ月ほど前に手術日程が決まるため、手術までの間に体調管理に十分注意し、元気な状態で手術の日を迎える余裕があるからです。
もちろん、病気の種類や病状によっては、定例手術でも車椅子やベッドでの入室ということはありますが、自力で歩けないくらい状態が悪い方は少数派、ということになります。
一方、緊急手術の場合はその限りではありません。
何らかの急性疾患で病院に救急搬送され、そのまま予定外に手術を行うわけですから、全身状態が悪いことは多々あります。
ベッドでの搬入もしばしばあります。
むしろ医療ドラマでは緊急手術が妙に多いため、徒歩での入室があまり描かれない、という面もあるかもしれません。
一般的な定例手術では、付き添いの家族と看護師に連れられて病棟から手術室のフロアまで歩いてやってきて、手前でお別れになります。
そのまま手術室の担当看護師に引き継ぎ、患者さんと看護師とで手術室まで歩いていくことになります。
この際、患者さんは髪の毛が落ちないようシャワーキャップのような帽子をかぶっていただくのが一般的です。
患者さんが入室してから
患者さんが手術室に入ると、手術室担当の麻酔科医や、他の担当看護師が挨拶をします。
その後手術台に横たわり、準備が始まります。
ここからすぐに全身麻酔をかける、と思っている方が多いのですが、それまでに数十分(手術によっては1時間以上)の準備が必要です。
まずモニターを全身に取り付けます。
心電図波形や血圧、心拍数、SpO2(呼吸の状態)などを常に把握しておくためです。
それと同時に、点滴を始めます(末梢静脈ラインを確保)。
手術中には、麻酔薬や鎮痛薬のほか、様々な薬の投与が必要になるためです。
手術前には1カ所だけ確保し、全身麻酔がかかってから2カ所、3カ所と複数のラインを追加するのが一般的です。
たいていこの準備の最中に担当の外科医がゆっくり手術室に入ってきます。
とはいえ、ここでの準備の大半は麻酔科医や手術室看護師が行うので、このタイミングで外科医に特段仕事はありません。
電子カルテ端末を使って患者さんの画像を再度確認し、手術のシミュレーションをしたり、手術中に必要な検査があればこれをオーダーしたりします。
多くの場合、一つの手術に関わる外科医は複数名いますが、これらの外科医が朝の回診など自分の仕事を終わらせて順次入室してくる形になります。
(したがって手術日の朝は非常に大忙しで、走って病棟間を移動することもあります)
胸部、腹部の手術では、このタイミングで硬膜外麻酔を行うことがあります。
背中に注射をして細い管を入れることで、手術中および手術後の鎮痛薬投与のルートになります。
これに数十分かかります。
硬膜外麻酔は、患者さんに横向きに寝てもらって正しい体位で行う必要があるため、全身麻酔がかかる前でないとできません。
結果として、外科医がまだ手を出せない準備段階が数十分あるため、ここで手持ち無沙汰になった外科医らが会話をすることはよくあります。
(患者さんが起きている横で、関係のない「雑談」をするというのはマナー違反だと思いますが…)
さて、全身麻酔がかかった後は、今度は外科医が手術の準備を行う番です。
まだまだ手術前の手洗いはできません。
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全身麻酔がかかった後の手術準備
全身麻酔がかかった後も、実際に手術が始まるまでに数十分は準備が必要です。
例えば、麻酔科医が点滴の注射を追加したり、Aライン挿入(手首の動脈に管を挿入)や中心静脈カテーテル挿入(首や鎖骨の部分から太い点滴の管を入れる)を行ったり、といったこともここで行います。
また、ここからは外科医も準備に参加します。
手術中は体を完全に固定する必要がありますが、手術台と肌が直接触れている部分は床ずれの恐れがあります。
圧力が体表に直接かかる部分には全て、スポンジのような道具を挿入し、圧を逃すようにします。
また、予定された術式に適した体位で体を固定する必要があります。
例えば、
両腕を広げる、あるいは片腕を広げて仰向けに寝る仰臥位(ぎょうがい)
膝を曲げた状態で足を開いて固定する砕石位(さいせきい)
体を横向きで固定する側臥位(そくがい)
うつぶせで固定する腹臥位(ふくがい)
など、術式に応じて非常に多種多様なパターンの体位をとる必要があるのです。
全身麻酔手術では、多くの固定具を使ってこのように半ば「不自然な」形で体を数時間固定させています。
これらの作業は、外科医と看護師、3〜5人がかりで行うことが一般的です。
意識のない人の体は非常に重いため、背中の下にスポンジを入れる、というだけでも4、5人の人員が必要です。
足は一本10キロくらいありますので、足を持ち上げて台に載せる、という作業もなかなか力仕事です。
こうした準備が全部整ったら、次は体表面の消毒です。
手術で傷をつける部分に消毒液を塗りつける作業です。
消化器外科であれば、胸やお腹ですね。
手術の際に触れる可能性のある広い範囲を全て、入念に消毒していきます。
これらが終わってようやく手洗いを行うことができます。
手術中にルーペをつける、ヘッドライトをつける、ヘッドセットで声を録音する、などの予定があればこの段階で準備します。
ひとたび手洗いをしてしまうと、これらのものに触れなくなってしまうからです。
手洗いをしてガウン装着へ
この後、手術室の外にある手洗い場で手を洗います。
入念に手を洗った後、どこにも触れないよう手をお腹の前に泳がせながら手術室に入ってきて、ガウンと手袋を装着。
患者さんの体に清潔なシーツをかぶせ、手術に使う道具を全てセッティングした時点で、ようやく手術までの準備が整います。
腹腔鏡などを用いた内視鏡手術では、カメラや手術に使うデバイスの種類が多いため準備の時間が余分にかかります。
患者さんが9時に入室したとして、手術開始が10時を過ぎることもよくあります。
上述した硬膜外麻酔などの準備に難渋すると、もっと遅くなることもあります。
外で待っているご家族の方が、
「そろそろお腹の中の様子が分かっている頃かな」
と思っている頃には、まだ手術自体が始まっていないこともあるのですね。
というわけで今回は、「医療ドラマで描かれない真実」シリーズということで、手術前の細かな準備について解説してみました。
自分や家族が手術を受ける際、どんなことが行われるか知っているだけでも不安は軽くなるのではないでしょうか。
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