まだまだ最終回の解説を続けます。
最終回で様々な伏線が回収され、全員がハッピーエンドを迎える中で、唯一やや不完全燃焼だった人たちがいました。
ピアニストの天野奏さんと脳外科医の新海です。
新海は奏さんに、
「俺が自分のキャリアや功名心を優先した」
「俺は許されなくていい、藍沢を許してやってくれ」
とまで言い、罪をかぶるように藍沢の盛り立て役に徹するなど、少し気の毒でした。
ただ、患者さんに対してこのように説明することは、本当に適切なのでしょうか?
実際多くの方は、
「そんな風に言わない方がいいのでは?」
と思ったのではないかと思います。
では実際にはどうすべきだったのでしょうか?
何が問題だったか、医療者の立場から説明してみます。
次に、横峯が救えなかったレスキュー隊員の佐藤さんについて。
佐藤さんが意識を失った時、藍沢から開胸を指示されるも、横峯は搬送を優先することを決めました。
結局途中で心停止に陥り、横峯はあの時のことを、
「もう少し早く開胸していたら」
と反省します。
一方藍沢から、患者さんはもともと大動脈瘤を持っており、その外傷性破裂でそもそも救えなかった患者だとフォローされます。
しかしそのフォローで十分でしょうか?
そもそも救えない患者だと分かったのは、亡くなったあとです。
現場では救えると見なされていたはずです。
このままだと横峯が今後全く同じ状況に出くわしたら、同じように悩みそうです。
こちらについても解説してみたいと思います。
新海はどう説明すべきだったか?
天野奏さんの脳腫瘍の手術は、当初は藍沢と新海の二人で始めました。
ところが藍沢は途中で別の緊急処置が入り、腫瘍摘出の直前まで新海に進めておくよう言い置いてオペ室を離れます。
奏さんに、藍沢が手術することを約束していたからです。
しかし、藍沢が戻った時には新海は腫瘍を摘出してしまっていました。
その後、奏さんの両手には麻痺が残り、ピアノが満足に弾けなくなります。
あのとき手術をしたのは藍沢ではなく新海だったことを知った奏さんは、藍沢に失望するとともに、怒りの矛先を新海に向けました。
結局最後の場面で新海は、自分が功名心のために藍沢との約束を破って手術を続行したことを詫びます。
奏さんは最後、
「必ずピアノが弾けるようになる」
と、リハビリへの思いを藍沢に強く語りますが、結局、奏さんが納得したのかどうかは最後までわかりませんでした。
何となく「これで良かったのか?」と思いませんか?
何が悪かったのでしょうか?
本当に、藍沢を出し抜きたいという功名心から約束を破った新海が悪いのでしょうか?
私は違うと思います。
もし反省すべきことがあるとしたら、藍沢の方です。
そしてむしろ藍沢はそう反省しているように見えます。
藍沢が反省すべきなのは、
「自分が手術をすると、他の人が手術するより上手くいく」
と、意図せず奏さんに思わせたことです。
藍沢はそのつもりはなかったでしょう。
しかし奏さんは確実にそう思っていたし、藍沢はそのことに気づいていたはず。
基本的に手術は、どんな布陣でやっても同じクオリティでできるよう組織として体制を整えておくべきです。
また、手術がそういう体制で行われるものだということを、きっちり患者さんに理解していただく必要があります。
でなければ、今回のように藍沢が緊急の用事で抜けたり、急病で倒れたりした時、患者さんは不信感を持つことになります。
術者に関わらず起こる可能性のある合併症が起こったとしても、きっと原因を「術者が藍沢でなかったこと」に求めます。
私はこのことについては「なぜ患者は希望の執刀医を指定しない方がいいのか?」という記事でも述べていますので、ぜひ読んでみてください。
一方、藍沢が戻ってくる前に新海が手術を済ませてしまったことは紛れもなく外科医として正しい行為です。
他の医師が戻ってくるまで手術を中断するなど言語道断。
手術時間をいたずらに長引かせ、患者さんをリスクにさらすだけです。
また、外科医の都合で手術を中断されることを、麻酔科の先生は非常に嫌います。
こういう中断を「空麻酔(からますい)」と呼びます。
当然麻酔科医は、手術が長引いて患者さんの安全性が損なわれることを許さないからです。
新海が腫瘍を摘出できるのに摘出せず、手術を中断すれば、脳外科と麻酔科との信頼も崩れます。
新海は、自分で安全に手術を続行できると判断し、問題なく終えたわけですから、何も反省する必要はないと思います。
実際、新海は藍沢と同じくらい腕の立つ脳外科医です。
これを「功名心が原因だった」と患者さんに説明したのは、私には非常に奇妙に見えました。
ではどうすれば良かったか、についてはあえて書くまでもないかもしれませんが、藍沢あるいは新海からの術前の説明が全てです。
術後の合併症や後遺症は、どんな腕の良い外科医でもゼロにはできません。
こうしたリスクが一定確率あるということを納得した上で手術を受けていただく、ということを毅然とした態度で説明すべきです。
そしてそれで納得できない場合、手術を受けることはできません。
後遺症の可能性を偽って手術をする、というのはもちろん現実ではありえないことです。
また、手術の布陣は部長である西条が決めることで、藍沢自身が決めることはできないこと、
手術は数人のチームで行うものであって、その結果が個人のパフォーマンスに左右されるものではないこと、
これを十分に説明する必要がありましたね。
もちろんドラマの世界ですから、真剣に目くじらをたてるような恥ずかしいことをする気はありません。
ただ、みなさんが実際に手術を受ける際に分かっておいてほしいことなので、あえて述べました。
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横峯の判断は適切だったか?
横峯が担当したレスキュー隊員の佐藤さんは、地下から搬送中に意識レベルが低下します。
その場で藍沢から開胸して出血点を探すよう指示されますが、横峯は周囲を見渡し、
「ここで開けて出血点が見つからなかったらかえって危ない」
と言って搬送を優先します。
しかし、結果として途中で心停止し、患者さんを救命できませんでした。
佐藤さんが亡くなったのは、もともとあった胸部大動脈瘤が外傷性に破裂したことが原因と考えられました。
結果的にはどうやっても救命できなかった症例ですし、このことを横峯が反省する必要はありません。
しかし藍沢の、
「医者はしょせん助かる命しか救えない。手の施しようのない患者を神のように救うことなんてできない。救える命を確実に救う。そのために日々学んでる」
というフォローだけで良かったのか?と私は少し疑問に思いました。
もちろん藍沢の言う、救える命を見極めて確実に救うということは、救急医療において非常に大切です。
しかしこの場面では、藍沢が横峯に指導医として伝えるべきことは他にあったはずです。
佐藤さんに動脈瘤があって「手の施しようのない患者」だと分かったのは亡くなったあとです。
現場では、佐藤さんはまだ「助かる命」と見なされていたはずです。
だから藍沢は開胸を指示したわけです。
第7話の大動脈破裂の患者さんを救えなかった灰谷に、
「救えない患者だったから気にしなくて良い、これから救える命を救えば良い」
と言うならわかります。
今回横峯が開胸しなかったのは、
「救えない命だと思ったから」
ではありません。
「救うためには搬送を優先する方が良い」
と判断したからです。
つまり今回藍沢は、
「救えると思った人を救うために横峯がした行為が正しかったか」
を振り返るべきです。
あのとき現場で横峯は、指導医である藍沢の指示に背いたのです。
「輸液全開にして!このまま運びます」
と言って搬送を優先した横峯が、どういう意図でそうしたかを指導医として尋ねるべきかな、と私は思いました。
そして次同じ症例に遭遇した場合にどうすればいいかを議論するのが教育でしょう。
私はあの場面で「搬送を優先する」という横峯の判断は、間違いなく正しかったと思います。
あの暗闇で開胸して出血点をみつけるなど、とても無理です。
現場での開胸に慣れた藍沢なら可能かもしれませんが、それでも相当苦戦するはずです。
ちなみにオペ室の天井には必ず円盤のような電気がありますね?
円盤の中に小さなライトが微妙に異なる角度で埋め込まれていて、様々な角度から光が当たることで、自分の手の影が全くできない仕組みになっています。
そのため、あの電気を「無影灯」と呼びます。
「影が無い」からです。
あの電気なしで手術を行うことがどれほど大変で難しいか。
まして地下のあの暗闇の中での手術など想像を絶します。
その上、横峯はあのとき冷静で、自分の能力を客観的に評価することもできました。
横峯はあの時の自分を振り返って、
「怖かった」
「早く駅のホームまで運ぼう、そうすれば誰か他の医者が助けてくれる」
と思ったことを話しました。
まさに正しい判断でしょう。
医者が一人でできることなど限られています。
背伸びして無茶をすると、本当に収拾がつかなくなります。
また、その場で開胸して出血点が見つからなかった時は打つ手がなくなる、という判断もしていましたね。
私は第6話の解説記事「藍沢が現場で頭に何個も穴を開けた理由を医師が解説」の中で、
「頭部処置を現場で行うより搬送を優先した方が良かったのではないか」
と述べました。
あの場面で打つ手がなくなった瞬間、たった一人では何もできなくなるからです。
搬送しながら行えば、手詰まりになっても他の医師と合流でき、精密検査もできます。
現実の医療において孤高のスターは必要ありません。
とにかく「困ったら他の医者を呼べ」が基本です。
もちろん、医療行為というのは、答えは一つではありません。
私の意見に反対する医師も多数いると思います。
ただ、横峯の判断は一理あったと誰もが認めて良いと思います。
そういう方向で振り返らないと、横峯には次同じ症例に出くわしたときに拠り所となる判断基準はないままです。
余計なお世話ではありますが、私は見ていてそんなことを感じました。
さて、そういえばこの佐藤さんと横峯は、会話中に意気投合しましたね。
お互いドラマがきっかけで今の職に就いたという共通点があることが分かったからです。
ちなみに医師になった動機としては、灰谷はドクターヘリに救われたから、
藤川は小さいころに喘息を診てくれたドクターに憧れて、でしたね。
このことについて、こういう質問をいただいたので、最後にお答えしておきます。
最終回、ドラマの中で医師になった動機についての話が出てきますが、
先生はどうして医師の道をえらばれたのですか?
また、どのような動機の方が多いのでしょうか。
by りこさん
私が医師になった動機は、誰も興味はないかもしれませんが、医学という学問に最も興味があったからです。
複雑なようでシンプル、簡単なようで難しい、そんな人体や病気の仕組みを一生かけて学びたいと思ったからです。
そして学んで詳しくなったら、今度はそれを医師としてたくさんの患者さんに伝えたいと思いました。
だからこのように毎回、医学に関する記事を、図まで書いてみなさんに伝えることを楽しんでいるわけです。
こういう話をすることが、何の苦にもならないからです。
どのような動機が多いか、は難しい質問です。十人十色ですから。
親が医者だから、という人もいますし、単に成績が良かったから医学部に入った人もいます。
むしろドラマで憧れた、という人は、私はあまり聞いたことがありません。
私が言うことではありませんが、医学部は倍率が高く、憧れがあっても、それ以外に何か強い動機がないと入学が難しいように思います。
かなり前もって計画的に準備をしておくことも必要です。
高校3年生の夏に自分の将来を考えて、ふと医師と言う職業が浮かんだとしても、間に合わないかもしれません。(それまできっちり受験の準備している人は別です)。
2、3年の浪人生活をするとしても、それはそれで金銭的にも大変です。
残念ながら我が国の受験制度は、そのようにできています。
私はそれを良いこととは決して思いませんが・・・。
というわけで、最後は余計な話をしてしまいました。
明日以降も引き続き、コードブルーの記事を書いていきますのでお楽しみに!
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