これまでの解説記事でも書いてきたように、コードブルーは現役医師から見ても非常にリアルな描写が特徴である。
だが今回の第6話は、ずいぶんクサい展開に加え、ややストーリーにも既視感が否めない。
緊急を要する場面では突然語りのシーンが入るなど、残念ながら得意のスピード感も失われた。
医療ドラマでは、今回のように「医師とは」「医療とは」という語りモードに陥ると話が陳腐になりがちに思う。
今回も、患者さんとの距離感や、「落胆から成長へ」というテーマに関する語りシーンでは、微妙な解釈に何となく違和感を覚えてしまう。
というわけで今回は、いつも通りみなさんが疑問に思ったかもしれないポイントを前半で解説し、後半は今回のテーマ「落胆の向こう側」について私の持論を述べたいと思う。
足の切開はそんなに難しいのか
冷凍倉庫内で荷崩れ事故が発生し、毎度のごとく救急医たちがドクターヘリで現場に急行する。
だが落雷により倉庫内が停電し、冷凍庫内に2人の男性患者と横峯(新木優子)、灰谷(成田凌)が閉じ込められてしまう。
そのうち1人は足を挟まれて動脈性の大量出血を起こしており、現場経験のない2人だけで緊急処置を行わなければ患者を救えないという状況に陥ってしまう。
そこで2人は、院内に待機する白石(新垣結衣)から遠隔カメラで指示を受けつつ、足の止血を試みる。
必要なのは、鼠径部(足の付け根)に切開を加え、大腿動脈(足を栄養する最も太い動脈)を根元で結紮する(しばる)ことだ。
しかし麻酔もない状況で痛がる患者さんを前にうまく処置ができずに難渋。
血管を見つけられず、
「無理です、麻酔なしでこんな・・・できません!」
と患者さんの目の前でまさかのあきらめムードに陥ってしまう。
結果的には無線で藍沢(山下智久)から灰谷への
「後から病院に戻ってまた嘆くのか、ここで患者を救うのか」
というエールが入り、2回目の切開でようやく血管を見つけ遮断に成功する。
ここのくだりは、簡潔に文章化しても長いのに、ドラマではもっと冗長である。
「事故は俺のせいなんだ。荷物がずれてるの気づいていて、怖くて言えなくて。俺がビビリだから」
と治療をあきらめる男性患者に対して灰谷が
「僕もそうです。僕は臆病で何をするにも出遅れる」
「でも今やらないで、もしあなたが死んだら僕はもう自分を許すことはできません!だからお願いします!やらせてください!」
と訴え、それを聞いて男性は笑顔でうなずく、という、緊急時とは思えぬクサーい語りシーンがあったからだ。
まあドラマなのでこういうシーンがあってもいいのだが、そもそも大前提として大腿動脈を見つけることはそれほど難しいことではない。
体の中で、動脈が体表面に非常に近くてアクセスしやすい部位はいくつかある。
代表的なのは、首、肘、手首、足の付け根である。
自殺目的で手首を切ることを「リストカット」と呼ぶ。
これがよく行われるのは、手首を走る橈骨(とうこつ)動脈が皮膚のすぐ下にあって簡単に傷つけられるからである。
そして今回出てきた大腿動脈も体表に近く、よほど太った人でない限り手を触れるとドクドクと拍動があるので、比較的簡単に位置がわかる。
みなさんもやってみてほしい。
したがって、大腿動脈を結紮するために何度も切開する、というのは少し不自然だ。
まずゆっくり指先を当てて動脈の位置を正確に把握する。
そしてそこをめがけて切開を入れるだけである。
見つかりにくければ、切開後でも何度も指を当てて拍動を頼りにすれば良い。
大腿動脈の穿刺(針を刺す)は、救急現場では動脈血の採血で比較的よく行われる行為なので、若手フェローにとって全くなじみのない血管を触らされた、というわけでもないはずだ。
「やるか、引くか」という瀬戸際で語りの演出を入れるなら、もう少し難しい手技でやったほうが良かったかもしれない、と個人的には思う。
脳死移植の担当医師は大変
脳死移植では、まさに今回のように全国から担当の外科医が一箇所に集まって、必要な臓器を摘出して病院に持ち帰る、ということを行う。
脳死はいつ起こるかわからないので、レシピエント(臓器を提供される側)の担当医は、いつお呼びがかかるかわからない。
非常に遠方だと交通手段に困ることもあり、なかなか大変な仕事である(私は移植外科医ではないので経験はないが)。
今回、脳死移植は1人の死で6人の命が救われる素晴らしい医療だ、という大切な説明があった。
だが、日本の脳死移植は諸外国に比べて極端に少ない、という事実を知らない方は多いのではないだろうか。
たとえばアメリカでは年間8000〜9000人の臓器提供者が現れるが、日本ではようやく年間90人を超えてきた程度である。
アメリカの人口は日本の約2.5倍ということを考慮してもあまりに少ない。
なぜ日本はこんなに脳死移植が少ないのか?
脳死判定が世界一厳しいからである。
「1回目の脳死判定を行った後、さらに6時間以上あけて2回目の判定を行わねばならない」
「移植医ではない2名以上の医師が判定しなくてはならない」
などは、日本にしかない細かい規定だ。
冒頭で橘(椎名桔平)の息子である優輔君に臓器提供者が現れそうだ、という場面で「2回目の判定」という話があったが、それはこの厳しいルールのことである。
さらに、「脳死は人の死ではない」という考えも我が国には根強く残っている。
毎回不適切発言でハラハラさせてくれるイケ好かない男、名取(有岡大貴)が
「よかったですね、臓器が傷んじゃう前に決意してくれてホッとしました」
などと言っていた。
やはりご家族にとっても、脳死であるとはいえ、まだ体も温かく心臓も動いている家族の体にメスを入れる、ということを受け入れるのは辛い決断なのである。
今回は非常に難しい脳死移植を取り上げておきながら、表面だけをサラッと説明するだけで終わってしまい、少し残念だった。
できれば灰谷の語りシーンを短縮して、脳死移植に時間を費やし、ここまでの現状を紹介してくれると嬉しかったのだが。
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医師の落胆は成長への糧なのか
今回のテーマは「落胆の向こう側」であり、時に患者を救えない、期待に応えられない自分たちに対して
「医者を続けている限り私たちは自分に落胆し続ける」
「落胆が成長につながるのは若い人の場合だけ」
「今の私たちに求められるのは成長ではなく結果、それだけだ」
という白石のナレーションがあった。
私はこれには何となく違和感がある。
確かに、若い頃は失敗を自分の糧にして成長していく時期だ。
これは、医者に限らずどんな仕事でも同じである。
だが医者の失敗は患者さんの人生を狂わせる。
この落胆をバネにして次に生かそう、というのは医者のエゴだ。
救えなかった人に、期待を裏切られた人に、「次」はないからだ。
そういう意味で医療現場では、「失敗は成功の元」的なサクセスストーリーはそぐわない。
あるのは、冷徹なリスクマネージメントだけである。
リスクの高い若手医師の診療は、必ず上級医が監督する。
ヒヤリハットはきっちり報告し、スタッフ全員で考察して問題の発生要因を分析する。
それだけしかない。
コードブルー3rd SEASONでは、医師の成長を描くというテーマがある分、危険な場面であまりに若手に任せすぎるシーンが多い。
また前回指摘したように、「患者さんに謝ってあっさり許してもらう」など、若干リスク意識の低い描写が多い。
むろんドラマなので尺に限りもあるだろう。
そこで、やはり灰谷の語りを短縮して、リスクマネージメントの大切さを表現した回もあれば良いなと、今後に期待したい。
というわけで、コードブルー解説記事も折り返し地点を過ぎた。
これまでの記事は非常に多くのアクセスがあり、その多くはやはり検索エンジンからである。
検索ワードの多くは「ダメージコントロール」「骨盤骨折」など、医療用語に興味を持ってくださったと思われる方が多く、書き手としても本当に嬉しいことだ。
「全話解説!」と銘打った手前、最後まで毎回しっかり書いていきたいと思う。
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