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コードブルー3 第7話 感想|医者が患者に言ってはならない言葉

コードブルーは、医療現場のシーンにリアリティを追求するため、毎回セリフや医療行為は視聴者が置いてけぼりを食らうほど専門的である。

視聴者の多くが詳細は理解できなくとも、専門用語が飛びかっていれば、それもまた見応えがあると感じる。

事実、毎週のように高い視聴率がそれを証明している。

だが、ドラマである以上感動的な演出も必要で、ここには専門家から見ると「トンデモ」な場面が数多く登場してしまう

今回も、そういうシーンが多かった。

実際私も感動はしているのだが、今回はこの感動的であるはずのシーンに冷静にツッコミを入れてみたいと思う。

感動した方を興ざめさせてしまうかもしれないが、実際はどうなのかを知っていただきたいので、正直に書いてみたいと思う。

 

助からない患者の選別

踏切事故で3名の男女が負傷したとの連絡が入り、ドクターヘリで白石(新垣結衣)と灰谷(成田凌)が出動する。

現場では、80代の女性を助けようとして踏切内に入った若い男性が、事故によって心肺停止寸前の状態に陥っていた。

白石はこの男性に救急車内で開胸心臓マッサージを施行しようとするが、大動脈破裂があることが発覚

救命は不可能と判断した白石は灰谷に

「この男性は諦めて他の2人を見ましょう」

と指示するが、灰谷は諦めきれない。

そばにいて同じく負傷した女性が、その男性が自分の結婚相手であり、結婚式に向かう途中の事故だったことを灰谷に伝え、「何とか助けてほしい」と涙ながらに訴えたからだ。

この女性も骨盤骨折の重症を負い、いつ急変してもおかしくない状況で救急車内に収容されていた。

しかし救急車のドアはなぜかフルオープンであり、男性の救命処置が全て見える状態

灰谷はその状況下で、女性の必死の願いに背いて救命を諦めるのか、助かる見込みのない男性の蘇生を続けるのか、という選択に迫られてしまう。

 

さて、この場面でまず最初に、災害現場において非常に重要な「トリアージの大切さ」を解説したい。

これは、実際の災害現場で使用するトリアージタグと呼ばれる札である。

患者さんに付けることで、それぞれの患者さんの重症度が一目でわかるようにするツールだ。

それぞれの色の意味は以下に示すとおり。

黒:死亡または救命不可能のため、搬送、治療しない

赤:生命に関わる重症患者のため、最優先で搬送、治療する

黄:生命に危険は及んでいないが、治療は必要な状態。

緑:軽症であるため搬送、治療の必要なし。

これらの重症度を適切に判断することを、「トリアージ」と呼ぶ。

 

今回は負傷者が3名だけだったので、藍沢(山下智久)から無線での

「大動脈破裂だ、可能性はゼロだ。諦めろ、灰谷」

との説得に涙ながらに灰谷が応じる、という演出までやる余裕はまだあった。

 

だが多くの人が負傷するような災害現場では、当然こんな感傷に浸っている余裕などない

そこでこのタグを利用し、患者さんの治療の優先度を判断していくわけだ。

この際に重要なのは、「助かる見込みのない人」と「最優先に搬送すべき重症の人」を適切に判断することである。

今回は、骨盤骨折の女性患者が赤で、大動脈破裂の男性患者は黒である。

即座に女性患者の救命に当たらなくてはならない

この場面でそれ以外の選択肢はない

骨盤骨折はいつ急変してもおかしくない、緊急性の極めて高い外傷だからだ。

 

灰谷は人柄が良く、同期のフェロー横峯(新木優子)から、

「(自分のためじゃなく)人のために医者になったのは灰谷先生だけ」

「灰谷先生は誰かを助けたいって思ったから医者になった」

と励まされる。

だが災害の現場では、救えない患者さんに躍起になったせいで、救えるはずの患者さんを救えなかった時、そのミスを人柄の良さで正当化することは当然できない

これは「トリアージミス」である

医師には、このトリアージをいつでも冷静に行える判断力が必要で、これは人柄の良さと両立する能力である。

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カーテントークをしてしまう医師たち

大動脈破裂で死亡した男性が救おうとしたのは、踏切内にいた80代の女性だった。

しかしこの女性も腸管損傷の重症で、一命をとりとめたもののICU(集中治療室)で治療されていた。

ところが、灰谷の前で内頚動脈解離(首の動脈の内側が裂けること)を起こし、突然病状が急変する

駆けつけた藍沢に、

「80代と高齢であり、救える見込みが10%もない」

と治療断念をすすめる脳外科医のライバル新海(安藤政信)。

しかし藍沢は、

「(亡くなった男性が)命がけで救った命だ。彼はその日、結婚式をあげるはずだった。何としても助けたい」

と、隣でカーテン越しに結婚相手であった女性が聞いていることを多分に意識して、大きな声で発言する。

それを聞いた新海は無言で頷き

「オペ室に急ごう」

と告げる。

隣で涙する女性。

 

このカーテン越しに言葉を聞かせて感動を呼ぶ、というのは、何となくどこかで見たことのある、定番の感動シーンだ。

だが、この感動に水を差すようで非常に申し訳ないのだが、正直言って、医者がこれをやるのは厳禁である。

 

「助けられた命だから何とかしたい」

などという大きな話し声をカーテン越しに聞いた他の多くの患者さんやその家族は、

「え?そんなことで治療するかしないかを決めるの?」

と、きっと複雑な気分になる。

自分や自分の家族がそうなったときは見捨てられるのか?と不安で震え上がってしまう。

 

また、この高齢女性本人が、意識がないように見えて実はわずかに意識があり、この会話がもし聞こえていたとしたらどんな気分になるか、ということも考えたいところだ。

自分の病状や治療方針に至るまで全てを赤の他人に筒抜けにされている。

しかも、本来手術は適応外とわかっているのに医者の都合で意思表示ができない自分の体にメスを入れようとしている

心穏やかではないはずだ。

隣にいるフィアンセの女性ですら、現実ならこの状況で純粋に感動できるのか疑わしい。

何となく複雑な気持ちになるはずだ。

少なくとも、

「もう自分のことは気にしなくていいから、手術すべきかどうかは患者さんの病態だけで判断してほしい」

と思うだろう。

 

もちろん「亡くなった男性が命がけで守った命だから何とかしたい」という藍沢の思いには同意できる

だがこの会話は、できれば藍沢が新海に耳打ちするくらいが現実的だ

「厳しいのはわかる、でもこういう事情だから何とかしたいんだ、協力してくれよ新海」

とヒソヒソ声で言うならわかるのだ。

 

私たちは普段から、患者さんの病状に関する個人的な情報は、他の患者さんに聞こえないよう細心の注意を払う

私は研修医の頃、同じようにカーテンで囲まれただけのベッドが並ぶ現場で、患者さんの病状について看護師と大きな声で話していて、先輩医師に叱られたことがある

彼はこう言った。

「医師はカーテントークをしてはいけない」

カーテン越しに、患者さんに聞こえる声で、患者さんの病状に関するプライベートな情報を話すことを「カーテントーク」と言ったのである。

そのあと色々調べてみたが「カーテントーク」などという言葉は存在しなかった。

先輩医師が自作した言葉だったのだ

しかし非常にわかりやすくて覚えやすいと思い、私も後輩にその言葉を使って指導している。

私も入院の経験があるのだが、カーテン越しでも会話はよく聞こえてしまうものだ。

だが患者さんの個人的な病状は、本人の同意なしに他の人に伝えてはならないというのは、医療者の最低限のルールである。

 

よって屋外の現場でも、患者さん同士の処置が丸見え、というのはなるべく避けたいところだ。

今回も救急車内の男性の救命処置が女性から丸見え、というのは、やってはならなかったミスだ。

女性は、この処置が見えたことによって、「結婚相手の男性が医者に見捨てられた」という誤解をし、目の前で恋人が死んでいく姿を見て心の傷を負った

目の前で救命を諦めた医師から「あの方は助かりません」と告げられる本人の気持ちにもなってほしい。

当然、本人が直接見えないところで処置をすべき、というのが現実的だろう。

 

というわけで、毎度のように感動に水を差すようで、大変恐縮である。

だが、「自分が患者さんだったらどう思うか」ということを常に考えて行動しなくてはならない、というのは私のポリシーだ

人の生死に関わる仕事である以上、その感覚のズレが起こしたミスは、患者さんに心の傷を一生涯残すからである。

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