前回の記事では、前半戦の緋山の心のうドレナージ、藤川の減張切開について詳しく解説した。
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後半はトンネル内での総力戦が展開される。
避難命令に背いてギリギリの治療を行なった三井(りょう)、藍沢(山下智久)ら翔北救命の面々が、いかに優れた診断力を見せつけたのか?
なぜ現場で頸部の切開に踏み切ったのか?
その診断に行き着く彼らの思考過程とは?
詳しく解説しよう。
後半のあらすじ
トンネル内での多重事故でトレーラーの積荷の下敷きになった男性。
ここに藍沢、三井、白石(新垣結衣)、緋山(戸田恵梨香)、藤川(浅利陽介)、冴島(比嘉愛未)の現場フルメンバーで必死の救命を試みる。
しかしトンネル奥でガソリン漏れが発生、消防隊長から避難命令が出てしまう。
一旦避難することに決めたスタッフたちだったが、ここで白石が反論。
「安全確認が終わってここに戻ってきたとき、私たちにやるべきことはあるんでしょうか」
「今なら助けられる。でも戻ってきた時そうじゃなくなってるかもしれない。置いていけません」
その言葉に呼応するように、スタッフらは治療を再開する。
院内で連絡を受けた黒田(柳葉敏郎)は苛立ちを見せるが、フェロー達の成長を陰ながら応援してきたパイロットの梶(寺島進)は、
「あと10分だけ時間やってくれ。それでダメなら俺がぶん殴ってでも全員引っ張り出すから」
と黒田を説得する。
しかし男性に突然、構音障害(言葉がうまく話せない)と左手足の麻痺(片麻痺)が出現。
ホルネル兆候と右頸部の打撲痕、血腫から、右の頸動脈の血管内血栓を疑った三井は、その場で頸部の切開を指示。
院内の黒田(柳葉敏郎)からバイパス術の指示を受けた藍沢は、点滴用チューブを用いてバイパス術を施行する。
無事に症状が改善し、現場からの搬出に成功。
スタッフらの無事を確認した黒田は胸をなでおろす。
この男性患者に何が起こっていたのか?
三井はなぜ首に原因があると見抜いたのか?
ホルネル兆候とは?
流れがわかりにくかったと思われる、頸動脈血栓の診断に至るまでの過程と治療を解説する。
なぜ首の血管が原因と気づいたか?
今回の男性のように、うまく言葉を話せなくなることを「構音障害」と呼ぶ。
脳梗塞や脳出血など、中枢神経の障害によって起こる症状だ。
さらに男性は、
「左手の上に載っているものをどけてくれ」
と言うが、男性の左手には何も載っていない。
左足にも感覚がない。
ここで藍沢が左手足の麻痺(左片麻痺)の出現に気付く。
同じく脳の障害が疑われる典型的な所見である。
麻痺するのは、障害が起こった脳とは逆側の手足だ(顔面は同じ側に起こるため、男性は右側の顔面麻痺も出現している)。
つまり、この時点では右側の脳が何らかの理由で障害されていると判断できる。
右側の頭部打撲があったのか?
何らかの理由で右の脳に血栓が飛んだのか?
しかしそのいずれでもない病態を考えたのが三井だ。
打撲痕があるのは右頭部ではなく右頸部。
原因は脳ではなく首にあり、右の頸動脈の血流がなくなったために右の脳梗塞が出現しているのではないか?
その予想を確信に変えたのがホルネル兆候だった。
頸動脈が血栓で詰まると、当然その先にある臓器が血流不足に陥る。
右の内頸動脈が詰まってまず起こりうるのは右の脳梗塞。
右の脳に血流が送られなくなるためと考えれば当然のことだ。
同じことは脳の血管が詰まっても起こり、そちらがよくあるタイプの脳梗塞である。
しかしこれが脳の血管ではなく、首の血管が原因で起こった時に、もう一つ注意すべき病態がある。
それが、首に存在する交感神経の障害である。
首に位置する交感神経が働かなくなると、障害された片側だけの顔面に様々な症状が現れる。
その一つが「縮瞳」、瞳孔が小さくなって固定してしまうことだ。
他にも汗の減少や顔面の赤み、流涙など、本来交感神経によってコントロールされているところにピンポイントで障害が現れてくる。
しかもこれが顔半分にだけ起こるのが特徴で、これらをまとめて「ホルネル兆候(ホルネル症候群)」と呼ぶ。
ペンライトを手にした三井が瞳孔を確認し、
「ホルネル兆候が出てるわ」
と言ったのはそういうわけである。
右脳梗塞(構音障害、右顔面麻痺、左片麻痺)
右ホルネル兆候
右頸部の打撲痕
これらの情報から「原因は右の頸動脈にある」と確信した三井は、頸部の切開を提案。
動脈を露出した藍沢が、血管内血栓を見つけることになる。
動脈内に血栓があると分かればそれを除去したいところだが、現場での血管修復は困難。
そこで行なったのがバイパス術だ。
現場での複雑な処置は不可能と判断した藍沢は、点滴のチューブを使った奥の手を披露する。
血栓がある手前に点滴の管をつなぎ、その先を、血栓で詰まった部分の向こう側に繋ぐことで血栓を迂回した血液の流れを人工的に作ったのである。
これによって脳の血流が再開通、男性の症状は消失する。
このあと男性は気管挿管されるが、この挿管のタイミングも絶妙だ。
呼吸状態が不安定なら挿管を優先するが、挿管のデメリットは鎮静して意識を失わせてしまうことにある。
もし今回のケースで早々に挿管していたら、構音障害や左片麻痺に気づくことはなかった。
そうなると脳梗塞は完成し、永久に麻痺を残した可能性が高い。
まさに総力戦での完璧すぎる治療のおかげで男性は救われたのである。
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救急医療における「名医」とは何か?
ラストシーン、黒田は病院の屋上で、
「見つかったか?答えは」
と藍沢に尋ねる。
藍沢が「名医とは何か?」に悩んでいたからだ。
「そもそも答えなんてあるのでしょうか?」
「昨日俺たちが救ったのは6人でした。その倍の12名が亡くなった。俺たちはなすすべがなかった」
「救った人たちも結局元通りの体に戻れるかは分からない」
「人はいつか必ず死ぬ。医者にできることは、結局死ぬまでの時間をほんの少し伸ばすだけのことなんじゃないでしょうか」
そう言う藍沢の言葉を黒田は肯定するも、こう告げる。
「その僅かな時間がときに人生の意味を変える。そのために腕を磨く。そのことは決して間違っちゃいない」
「それがすべてってわけでもないがな」
これはまさに、救急の現場で働く医師たちの本音だと思う。
そしてコードブルーに漂うこの現実的で謙虚なトーンこそ、他の医療ドラマにはない魅力でもある。
「救命」とは、救急医療において最大の目的だ。
「命を救うこと」は尊い仕事で、「救命」という言葉は美しく響く。
しかし私たち医療者が決して忘れてはならないのは、
患者さんにとって「救命」は「最低限の目的」でしかない
ということ。
患者さんやその家族が目指すのは「救命」ではない。
「病気や怪我をする前の状態に復帰すること」であり、「完全な社会復帰」だ。
救急現場が舞台のコードブルーでは、「救命」のその後が描かれることはない。
生死をさまよった患者さんがようやく目を覚ました、手が動いた、というところでみんなが感動して1話が完結する。
しかし家族にとっても、医療者にとっても、それは長い長い戦いのほんの始まりに過ぎない。
そのまま完全に身体機能が戻らず、寝たきりのままになったり、車椅子になって職を失う人もいる。
人工呼吸器から離脱できず、療養型病院に転院し、自宅に帰れない人も多くいる。
病院に通う家族の中には、先の見えない現実を前に徐々に疲弊していく人もいる。
そういう患者さんやご家族とどう接していくか、どう治療していくか、というところに腐心している医療者の方が、むしろ大多数である。
重症患者さんが救命されたその後にこそ私たちが寄り添う人生があるということだ。
その反面、救急という仕事は徹底して「初診」に関わる仕事。
藍沢は、ここに救急医療の限界がある、と言ったわけだ。
一体、自分たちは何を目指すべきなのか?
しかし「そこにも守るべき人生がある」と言う黒田。
右腕を失い、外科医人生を失った。
現場でこれまでのように働けない辛さ、厳しいリハビリ、前途多難な日々が待っている。
しかし、救命されたからこそ息子に会うことができた。
「腕を切ったのがお前でよかった。俺は生きて息子に会えた−」
まさしく救急医療を担う人たちの悩みやジレンマを藍沢が表現し、そこにこそモチベーションがあると黒田は表現したのである。
というわけで、コードブルー1st SEASON解説はこれにて終了です。
引き続き2nd SEASON、スペシャル、来るべき劇場版、全てたっぷり解説していきたいと思うので、引き続きどうぞお楽しみに!
1st SEASONまとめ記事はこちら!