ドクターXには毎回珍しい病気が登場する、と前回書いたが、今回は「珍しい手術」が登場した。
私のような消化器を専門とする外科医であれば、意外に色々考えさせられるおもしろい展開である。
ただ多くの方は、
大門が術式を2回変更したのはなぜ?
手術室に電話がかかってきてわかった「迅速結果」とは?
猪又の提案した膵頭十二指腸切除術はそもそも何がダメか?
など様々な疑問を持ったのでないかと思う。
今回のIPMNは比較的患者人口の多い疾患で、これまでのようなまれな疾患では全くない。
IPMNで手術を受けたり、外来通院をしている方も多いはず。
せっかくドラマで取り上げられたこともあるので、正しい情報を書いておいた方が良いだろう。
というわけで今回もいつものようにあらすじを書いたのち、上記の疑問にお答えしようと思う。
今回のあらすじ
大門(米倉涼子)と城之内(内田有紀)が行きつけの中華料理店の店主の妻が、透析中に発生した腎癌に対して東帝大病院で腎臓摘出手術を受けることになっていた。
ところが見舞いにきていた店主も腹痛を訴え、大門が検査した結果、膵臓に腫瘍があることがわかる。
病名はIPMN(膵管内乳頭粘液性腫瘍)。
膵管は全域にわたって拡張しており、腫瘍を全て取り切るには膵臓の全摘出が必要であると大門は判断する。
膵臓がなくなると、本来膵臓から分泌されるインスリンが枯渇するため、術後生涯に渡るインスリン治療が必要になる。
癌を根治するには止むを得ないと判断した大門は、カンファレンスで膵全摘を提案するも、猪又(陣内孝則)は反対。
患者が「術後のQOLを最優先したい」と言ったため、膵臓の頭の部分だけを切除し、残りの半分を残す「膵頭十二指腸切除術」にすべきだと主張する。
しかも本人から手術の同意書も取得しているという。
大門と猪又の主張は平行線のままカンファレンスは終わり、まさに腎癌の手術の日、店主は突然吐血してしまう。
猪又は緊急膵頭十二指腸切除術を無理やり決行。
すでに腎癌の手術に入ることになっていた大門は手術に参加できない。
しかし大門は、第二助手の若手外科医西山(永山絢斗)が真面目に手術の準備をしてきたことを信用し、西山に任せて手術室を退室。
猪又の手術に割り込み、執刀を奪ってしまう。
すでに膵頭十二指腸切除術の予定で膵頭部の切除が行われた状態であったが、病理部から大門に、
「切離断端の迅速結果が陰性(癌なし)」
との連絡が入る。
予想外に断端に癌がないことが判明したことで大門は、膵臓の中央部(膵体部)だけを残し、これを胃につなぐ術式「中央区域温存膵切除」を敢行。
癌は根治できた上に膵臓も残す、というウルトラCを成し遂げたのであった。
IPMNにはどんな手術をすべきなのか?
まず最初に答えを書いておくと、今回の症例であればほとんどの外科医は膵全摘術を選ぶ。
よって多くの施設ではカンファレンスで異論を唱える人もいないので「膵全摘一択」で終わりである。
次に、おそらくごく一部の外科医しか選ばないが、「なしではない」のが大門が最終的に行った中央区域温存膵切除。
ただかなり煩雑で合併症リスクも高いため、この患者さんなら普通は選ばれない(理由は後述)。
最後に猪又が主張した膵臓の頭の部分だけを取る膵頭十二指腸切除は意味をなさない。
誰も選ぶことはないだろう。
ところが、この猪又のダメさが結果的には今回奇跡を生んだとも言える。
どういう意味なのか?
IPMNという病気のことから簡単に説明しよう。
膵臓の中心には膵管という膵液が流れる管が通っている。
IPMNはこの膵管が異常に拡張し、良性の段階から徐々に悪性化していく病気だ。
膵癌とは違い、IPMNであっても癌化の可能性が低いものは無治療で経過観察できる。
その点、膵癌の方がはるかにタチが悪い病気である。
ただ、腫瘍のある部位を切除すれば良い膵癌とは違って、拡張した膵管の壁に沿って広がるIPMNは、しばしば膵全摘が必要になる。
膵管は膵臓の中に広く張り巡らされているからである。
そこで、膵管のどのあたりまで癌の可能性があるかを術前のCTやMRIで入念に調べ、術式を決定する。
候補としては、膵頭部をとる膵頭十二指腸切除、膵体部と膵尾部をとる膵体尾部切除、膵尾部をとる膵尾部切除、膵臓を全部とる膵全摘などである。
この「どこまで取るか」を決める際、
膵管がどの辺りまで拡張しているか?
が特に重要になる(その他にも「悪性」を疑う所見はいくつかある)。
以下の図をご覧いただきたい。
膵管は正常なら数ミリと細いため、CTでは目を凝らせば認識できる程度。
しかし今回のCTでは、2センチはあるかというくらいの太い膵管が膵頭部にも膵尾部にも写っていた。
このくらい全体にわたって拡張していればどこに癌がいてもおかしくはなく、途中で分断するという選択肢はほぼない。
だからこそ大門は膵全摘が必要だと当初主張していたわけだ。
癌を残さないための最も安全な術式である。
ではなぜ、術中に術式を変更したのか?
そのきっかけとなったのは、大門が到着する前に猪又が提出していた「術中迅速病理診断」である。
ダメ外科医猪又が生んだ「結果オーライ」
今回のCTでは、膵頭部と膵尾部の膵管は拡張しているが、膵体部(真ん中)の膵管は拡張していなかった。
したがって、もし膵体部に癌がないなら、膵管が拡張している膵頭部と膵尾部だけを切除し、膵体部だけを残す作戦は理論的には「あり」だということになる。
しかしあくまで膵体部に確実に癌がないことが条件だ。
前述の通りIPMNは膵管に沿って広がる傾向がある。
膵体部のそれほど拡張していない膵管のどこまで癌が広がっているかはわからない。
目で見て癌があるかどうかはわからないし、手術中に触って癌があるかどうかを判断するのも不可能。
そこで行うのが術中迅速病理診断、通称「迅速」である。
切離した断面を3mmほど切って病理検査に提出。
手術中に病理医がこれを顕微鏡で見てくれるのである。
30分ほどで結果が返ってきて、今回のドラマのように病理室から手術室に電話がかかってくる(ここはリアル)。
ここで、
断端に癌がなければ癌化している可能性のある部分は取り切れている(手術はこれで終わり)
断端に癌があれば追加切除して、もう一度断端を迅速診断する(切離ラインは癌を横断しているので手術は終われない)
という流れになる。
IPMNは、拡張しているところを取り切れていても、断端に癌があることが迅速診断で分かることが多い。
2度ほど追加切除し、いずれも「癌あり」の答えが返ってきてやむを得ず「膵全摘」ということも少なくない。
私たちはこれをたとえて「金太郎飴」とよく言う。
ご存知のように、どこを切っても同じ顔の模様が出てくる棒状のアメのことである。
膵管に沿って広がるIPMNはこのように、「切っても切っても癌」ということがあるわけだ。
今回は大門が手術に入った時、すでに膵頭部の切離断端は迅速検査に出されたあとだった。
本来膵全摘を予定していた大門が最初から手術に入っていれば「出るはずのなかった迅速検査」である。
大門はそもそも膵臓を途中で分断する気などなかったからだ。
ところが偶然にも大門は、猪又の無意味だったはずのオーダーのおかげで、膵頭部の断端に「癌なし」という迅速診断を知る。
ここで初めて大門は「膵体部は残せるかもしれない」と考えたわけだ。
CTで膵体部の膵管は拡張していないことを認識していたからである。
しかしこの患者は膵尾部の膵管も拡張しているため、膵尾部も切除した上で、さらにそちらも迅速診断に提出する必要がある。
本編ではカットされているが、この部分にも癌がないことを確認しなければ膵体部は残せないからだ(ここに癌があれば結局膵全摘)。
さらにこのあと膵体部の尾側を胃につなぎ(これをしないと膵液が消化管内に流れない)、頭側は縫い閉じる再建を行う。
おそらくこれだけのことをやろうとすると、手術時間はおよそ6〜9時間といったところだ。
だが今回の手術時間は2時間42分。
「さすが大門」的な雰囲気だったが、今回むしろすごいのは猪又だ。
そもそも膵頭部の切離を行うのは、どちらかと言えば手術の後半戦。
ほぼ半分以上を猪又がやってトータルの手術時間が2時間42分なら、実は猪又の腕も相当のものである。
ここで、
じゃあ最初からこの手術をやれば良かったのでは?
と思った方がいるだろう。
ほとんどの外科医がこれを選ばない理由は、あまりにリスクが高すぎるからである。
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「膵臓は残せた、でも患者は亡くなった」ではダメ
膵臓の手術の一番厄介なのは「膵液漏(すいえきろう)」という合併症である。
膵臓を切った断端の縫い目の隙間から膵液が漏れ出すことだ。
今回は膵管の一方は縫い閉じてもう一方は胃につないでいるが、どちらからも膵液が漏れるリスクがある。
これはどんなに腕の良い外科医が手術しても一定の確率で起こる合併症である。
しかも、膵臓を真ん中だけ残すと切れ端は左右に二つできるわけで、膵液漏のリスクはさらに高い。
膵液はタンパク質を分解する消化酵素。
これがお腹の中に広がると命に関わる重度の炎症を起こし、少なくとも術後数ヶ月は退院できない。
果たしてこれが患者さんの「早期の職場復帰」の希望に叶うのか?
ということも考えなければならない。
さらに今回は、
体型的にも男性特有の内臓脂肪型肥満であること(ただでさえ手術の難度が高く時間がかかる)
膵炎を合併していて炎症が強いこと(腹痛の原因はコレ。IPMN自体は無症状)
消化管出血を起こして吐血していること(原因は不明だが全身状態はかなり悪い)
など、手術リスクがすでにかなり高いことも考え合わせると、この患者で膵臓を残すことにこだわるのは、もはや外科医の自己満足と言えるだろう。
普通の外科医なら迅速の結果を待たず即座に膵全摘し、とにかく素早く手術を終えて患者の負担を最小限にしたいと考える。
膵臓を全部取ってしまう手術では膵液漏の心配はもちろんないし、膵臓を再建する(胃とつなぐ)時間もいらない。
手術と術後合併症のリスクはより低い。
膵全摘は確かに猪又の言うように、術後のインスリンの補充などQOL低下につながる手術ではある。
だがそもそも手術自体を乗り越えて元気に退院してもらわなければ手術をした意味がない。
膵臓を全部取ってしまったら膵液の消化酵素もなくなってしまうけれど大丈夫?
と思った方がいるかもしれない。
心配はご無用。
口から飲める消化酵素の製剤があるからである。
最後にツッコミを一つ。
腎臓の手術は泌尿器科の領域である。
まさか総合外科が泌尿器科の手術にまで手を出すとは思わなかった。
東帝大病院を出ればおそらく一生やることのない腎摘の術式を、必死になって勉強した将来有望な若手外科医の西山くんには、私からアドバイスを送りたい。
普通の病院に行きなさい。
というわけで今回もウンチクたっぷりの冗長な記事にお付き合いいただき、ありがとうございます。
次回もお楽しみに!
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