先日、手術に関してTwitterで以下のようなツイートをしたところ、思った以上に反響がありました。
「癌が手術できないほど進行している」は、必ずしも「手術で取りきれない」という意味ではありません。
切除しても予後が変わらない、患者にメリットがない、むしろデメリットが大きい、という意味です。
例えば膵がんが大動脈周囲の小さなリンパ節に転移しても技術的には取れますが、手術はしません。— 外科医けいゆう (@keiyou30) 2018年11月23日
多くの外科医は、患者さんに「手術してほしい」と懇願されたら「何としても手術したい!」と思うのが普通です。
私たちは、患者さんの病変に直接触れ、病巣を摘出し、病気の原因を根っこから絶ってしまえる「手術」という治療に魅せられて、この仕事を選んだのです。
腕を磨き、どんな病気も切って治す、ブラックジャックのような外科医でありたいという思いは誰しもあります。
その一方で、手術は、抗がん剤治療(化学療法)や放射線治療などを含む多くの有効な治療のうちの一つに過ぎない、という理解も必要です。
手術より内科的治療の方が患者さんに対してメリットが大きい(長く生きられる)と判断される時は、外科医は勇気を持って手を引かねばなりません。
たとえ「患者を助けたい」という熱い思いに突き動かされたとしても、感情論で治療を選ぶことは許されません。
では、外科医が「手術しない」と判断する時の拠り所とは何でしょうか?
組織のトップで最も腕のいい人が決める?
チームで話し合いをして、多数決で決める?
それでも悪くはないでしょう。
しかし、最も腕のいい外科医や、チームのメンバーの多くが、果たして患者さんにとって間違いなくベストな判断ができるでしょうか?
明らかに手術が適応外(患者さんにとって不利益)だと考えられるケースでも、「手術してください」と懇願された時、果たして冷静に治療選択できるでしょうか?
やはり「何とか自ら手を差し伸べたい」と思うのが外科医です。
よって、医師が患者さんにとって真にベストな治療を提供するには、感情論を抜きにした、第三者的な適応基準を拠り所にすべきだと言えます。
この基準とは何か?
その代表が、臨床試験から導かれるデータ(エビデンス)です。
臨床試験が適応基準を作る
分かりやすい例を挙げてみましょう。
JCOG(日本臨床腫瘍研究グループ)が2008年〜2013年に行った、「JCOG0705」(通称「REGATTA試験」)という、日韓合同の有名な胃がんの臨床試験があります(Lancet Oncol. 17(3): 309-318, 2016)。
(胃がんは東アジアに多く、欧米に少ないため)
どんな試験かをごく簡単に書くと、
「胃以外の他の臓器(1部位)に転移したステージ4の進行胃がんに対し、抗がん剤治療だけを行うか、手術+抗がん剤治療を行うか、どちらが有効かを調べる試験」
です(*)。
他の臓器に転移した胃がんは「ステージ4」です。
技術的には胃を切除することは可能ですが、手術が患者さんにとってプラスか(寿命を伸ばすか)というと別問題です。
手術は、患者さんの体力を奪います。
術後合併症(術後に起こる様々な問題)で入院が長引き、患者さんのQOL(生活の質)を大きく低下させるかもしれません。
手術がかえって寿命を縮める危険性もあります。
これについては「ステージ4の胃がんや大腸がんはなぜ手術できないのか?」で書いた通りです。
そこで、300人以上の患者さんを集め、試験に同意してくれた方々を対象に、手術を行う人と行わない人に分けて治療の効果を比較してみることになったのです。
もちろん倫理委員会で、この臨床試験が患者さんにとって倫理的に妥当であるかどうかを厳重に審査にかけ、これを通過して初めて実施が可能になります。
無理のある試験計画では、この壁を突破できません。
そして、何年生きられるか、どのくらいで再発するか、再発率はどのくらいか、といったデータを取ったのです。
さて、ではこの臨床試験、結果はどうたったでしょうか?
実は、予定登録患者数の約半数が参加した時点で、中止勧告がなされてしまいました。
手術を行ったグループが、抗がん剤だけのグループより明らかに予後が悪いと判断されたからです。
手術を行わず、抗がん剤治療だけを行った方が患者さんにメリットがあることが、試験半ばにして分かってしまったのです。
この試験結果は臨床現場に生かされ、判断基準となっています。
こうした臨床試験は膨大にあり、そして今も多くの試験が進行中です。
ベストな手術の基準を私たちは日々、まさにリアルタイムで作っているのです。
※試験の目的は、”治癒切除不能の肝転移(H1)、治癒切除不能の腹膜播種(P1)、もしくは#16a1/b2に及ぶ大動脈周囲リンパ節転移(M1)のいずれか1つを有するStage IV胃癌患者に対して、胃切除術施行後に化学療法を行う治療の優越性を標準治療である化学療法単独とのランダム化比較第III相試験にて検証する”(対象患者の条件は他にも厳格に定められています)
※JCOG0705で行われた手術は、胃の切除、すなわち遠隔転移例においては「減量手術」という扱いであり、転移巣を含めた切除ではありません。
※臨床試験結果の解釈と考察、現場への適用は必ずしもここに書くほどシンプルではないこともあります。
適応外の手術によって長生きする人もいる
こういう話をすると、
「いろいろな病院で『手術できない』と言われたけど、ようやく探し当てた他の病院で手術したら長生きした、という人を知っている!」
と言う人が必ずいます。
これについては全く意外なことではありません。
あくまで手術が妥当かどうかの判断は、臨床研究によって導かれた確率論に立脚しています。
患者さん一人一人は唯一無二の存在であり、データに当てはまらない例外的な存在がいても全く不思議ではありません。
しかし患者さんに不利益となる確率が高いと分かっていて、その治療をすすめることは、倫理的に大きな問題があります。
例えは悪いですが、宝くじはいくら確率が低くても必ず誰かは当たります。
しかし、その可能性に賭けて全財産をつぎ込むとしたら、それは妥当とは言えない行為です。
医療において、デメリットが大きい確率が高い治療を受けたいと考える患者さんを、よりメリットが大きいと思われる治療に導くのが医師の仕事です。
むろん医療現場では、「データがないため手術が妥当かどうかの判断が難しい」というケースもあります。
こういう時は、病院内の倫理委員会を通して臨床試験を計画したり、「キャンサーボード」と呼ばれる、各部署のスタッフがそれぞれの立場から意見交換を行うカンファレンスを実施したりしています。
そして、患者さんやご家族に、手術のメリット、デメリットを十分に説明し、ご理解を得た上で治療を行っています。
ここに書いた医師の考え方は、時に患者さんとの間でコミュニケーションエラーを生むことがあります。
説明が不十分だと、
「手術してほしかったのに断られた」
として患者さんを不幸にさせ、不信感を抱かせる恐れもあります。
こうした典型的なすれ違いについては以下の記事でも書いていますので、ご参考にしてください。
医者と患者はなぜ分かり合えないのか?4つの原因を分析