みなさんは、がんの標準治療についてどれほど理解されていますか?
多くの臨床試験の結果を背景に、最も高い効果が期待できる治療を「標準治療」と呼ぶ、ということを知っている人は、このブログの読者には多いと思います。
一方で、がんだと診断されてネット検索し、あまりに多くの「がん治療」が出てきてパニックになってしまう、という方も多くいます。
つまり、
①標準治療の意味を理解していて、自分ががんになったら標準治療を迷わず受ける、と考える人
②標準治療のことはよく知らず、高いお金を払えばもっといい治療が受けられるのではないかと迷ってしまう人
がいる。
これは多くの医師たちが認識しています。
懸命にがん治療について啓発し、②のタイプの人を①のタイプにしたい、と考えている医師は多くいるでしょう。
しかし、これらのタイプに加え、
「標準治療の意味を十分に理解してはいるが、標準治療を迷わず受けるとは言えない人」
が一定数いることを医師は理解しなくてはならない、と私は考えています。
このような、すでに知識の豊富な方に標準治療の意味だけを説明しても、患者さんの気持ちは変わりません。
標準治療について知りたい人は以下の記事をお読みください。
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患者は個別性を期待している
私は以前、「医師と患者がすれ違う要因は4つある」ということを以下の記事で指摘しました。
医者と患者はなぜ分かり合えないのか?4つの原因を分析この中で、
「患者は自分にとって固有のベストを求めるが、医師は他の誰にでも等しく適用可能な、統計学的に優れた治療を求めるから、お互いの考えがすれ違う」
ということを書きました。
医師はサイエンティストとして、無意識のうちに「ヒト」を均質に見て、
「より多くの個体に最大効果をもたらす治療を提供することが正義である」
と考える傾向にあります。
当然、科学や統計学のような客観的な指標を用い、なるだけ主観的な判断や感情を排除することこそが、サイエンティストに求められる姿勢だからです。
一方、患者さんは、
「自分の身体は唯一無二なのだから、確率論ではなく、自分に『100%』ベストフィットする治療がどこかにあるはずだ」
と考えます。
そう考える患者さんは、多くの人に等しく適応できる標準治療を提案する医師に対し、
「私は自分の身体を目の前の医師に託したのに、医師は私の身体を確率論に託している」
と考えても不思議ではないでしょう。
究極的には、「たった一人の自分の性質に合う治療」という「個別性」を求めている。
そういう患者さんは多いと思います。
ここに、大きなすれ違いが起こるというわけです。
医師が相手にしているのは、自分と同じ、意思を持つ「人間」です。
ひとたび患者さんから信頼を失えば、彼らはもう二度と診察室に現れることはありません。
どれほどの科学的正当性を振りかざしても、患者さんの考え方を理解できない医師は、患者さんを幸せにできません。
患者さんが個別性を求めている、ということを理解し、それに対してどう応えるべきかを考える必要があります。
私はこの疑問について、一つの答えを持っています。
「社会的個別性に対する対応はかなり成熟してきたが、科学的個別性に対する対応はまだ発展途上である」
という点を患者さんに分かっていただく、ということです。
社会的個別性への理解
「社会的個別性」とは、「全く同じがんの患者さんであっても社会的背景は一人一人異なる」ということを意味します。
一人暮らしの人もいれば、ご家族と一緒に暮らしている人もいます。
家族構成も、仕事も、何もかもが一人一人違います。
家庭内での役割も、職場内で求められる役割も違います。
治療選択の際には、こうした社会的背景を考慮する必要があります。
具体的には、
患者さんがどのくらいの頻度で通院できるのか
どのような副作用が出ると困るのか
副作用が出た時、誰がどのように対応できるのか
薬剤管理において、家庭内で誰からどのくらい協力が得られるのか
などを一つ一つ考えた上で、個別の対応を検討する必要があるということです。
昔は、こうした社会的個別性への対応が未熟でした。
治療選択肢が少なかったことも理由にありますが、何より、医師がこうしたことに配慮するにはマンパワーが足りなさすぎた、ということもあります。
近年は、「がん相談センター」「がん支援センター」のような、がん患者さんに包括的に対応できる専門部署を設けるところも増えています。
医師だけでなく、看護師、臨床心理士、薬剤師、理学療法士、作業療法士、ソーシャルワーカーなど、さまざまな役職のスタッフたちが、こうした部署に関わるようになっています。
最近のたった10年間を見ても、この領域はとてつもない速度で進歩していると感じます。
がん治療に関わる多くのスタッフが、この社会的個別性への対応の質を、必死で努力して磨き上げてきた自負を持っていると思います。
一方、科学的個別性への対応はどうでしょうか?
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科学的個別性への対応も進歩している
同じがんの患者さんに、同じ標準治療を行っても、効果はさまざまです。
統計学的に標準治療が最も優れているとはいえ、確率論的に、効果が乏しい患者さんもいます。
これは、科学的個別性への対応が発展途上だからです。
「ある薬が効きそうだと判断されるグループの中に、実際には効かない人が混じっていることを、まだ科学的に予測できない」ということです。
しかし、こちらの領域も、とてつもない速度で進歩しているのは間違いありません。
例えば、遺伝子検査です。
現在、手術で切除不能な大腸がんの患者さんには、「RAS」と呼ばれる遺伝子の状態を調べます。
この遺伝子に異常(遺伝子変異)がある人は約50%います。
この遺伝子変異があるかないかで、使用する抗がん剤は異なります。
また、「MSI-H」と呼ばれるタイプの患者さん(約2〜3%)に対しては、免疫チェックポイント阻害剤という薬が使用できます。
肺がんに対する薬物療法は、さらに細かく分かれています。
乳がんも、血液の悪性腫瘍も、同様です。
遺伝子の状態に応じて、フィットする治療は異なるということです。
近年のがん治療の研究は、まさにこの科学的個別性の精度を高めることに注力しています。
これを個別化医療(プレシジョンメディシン)と呼びます。
血液検査であらゆる遺伝子を検索し、がん患者さん一人一人に個別にフィットする治療を提供できるシステムの確立を目指して、懸命に努力している人たちが多くいます。
まだ時間はかかりそうですが、大いに期待はできます。
残念ながら、現状で使用可能な個別化ツールは、まだ「アバウト」です。
たとえるなら、10センチずつの目盛りがついた定規でがんを測定していたのが、ようやく最近5センチずつの目盛りの定規を使えるようになった、という状況です。
これを1センチずつ、1ミリずつ、1マイクロずつ、と目盛りの細かい定規を作る作業が行われています。
これが今後一つ一つ標準治療に含まれていくことになります。
がんについては、まだまだ分からないことだらけです。
しかし、「がん治療の成熟した部分と未熟な部分を分かっているかどうか」が、治療への意欲を左右します。
成熟している部分には大いに期待し、未熟な部分にはある程度の妥協を許す。
そういう姿勢が、医師にも患者にも求められるのだろうと思います。
以下の記事もご覧ください。
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