外傷による外科救急ばかりが目立つコードブルーだが、第8話では最も危険な内科救急疾患の一つが登場する。
アナフィラキシーショックである。
他のショックと違い、アナフィラキシーによるショックは秒単位で死亡することもある恐ろしい病態。
ある意味、タイムスパンとしては大量出血より危険である。
なぜこれほどアナフィラキシーが危険なのか?
そして今回なぜアナフィラキシーが集団発生したのか?
一般人にとっては意外に身近なアナフィラキシーを中心に、第8話を解説していこう。
アナフィラキシーの集団発生
高校サッカーチームの一人が倒れ、翔北救命センターにドクターヘリ要請が入る。
全身に発赤がありショック状態だという。
アナフィラキシーショックが疑われるが原因は不明。
藍沢(山下智久)らはすぐさま現場に急行する。
ところが同じ高校から2人の高校生が同じ症状で救急要請。
ドクターヘリが病院に戻ると同時に、今度はさらに大勢の高校生がバスで運び込まれてくる。
全員が全身の皮膚症状や呼吸苦、嘔吐などを訴え、アナフィラキシーが集団発生しているようだった。
訴訟問題の対応で緋山(戸田恵梨香)と橘(椎名桔平)は不在であり、マンパワーの少ない状況で患者対応に追われる翔北のスタッフたち。
特に重症患者は気道の閉塞が強く、初療室ですぐに藍沢が気管切開。
中でもリーダー格の高校生だけは元気であり、大声で医療スタッフに不服を言うなど、症状は最も軽いようだった。
だが「軽症に見えた人が実は重症」がコードブルーの定番。
この高校生はのちほど院内で倒れ、症状が遅れて出てきた遅発性のアナフィラキシーと診断される。
結局この高校生も気管挿管され、人工呼吸管理されることになる。
中毒センターが調べた結果、原因は試合後の弁当で出たイワシのかば焼きであることが判明。
ヒスタミン中毒によるアラフィラキシーであることがわかったのであった。
アナフィラキシーとは、重篤なアレルギー反応のこと。
アレルギー反応によってショックが起こることをアナフィラキシーショックという。
コードブルーでよく出てくる外傷性の出血性ショックに比べると、はるかに短時間で命を失う可能性のある危険なショックだ。
その理由は、今回のストーリーでもわかるように急激な「気道の障害」にある。
なぜアナフィラキシーで気道の障害が起こるのか?
わかりやすく説明しよう。
アナフィラキシーショックが怖い理由
アナフィラキシーとは、アレルギーが強く起こりすぎた時に全身で起こる重篤な反応のこと。
血管内から水分が外へ逃げ出し、顔や全身にむくみやじんましんが出る。
むくみやじんましんは、本来血管内にいるべき水分が皮膚の下にだぶついた状態だ。
アナフィラキシーが怖いのは、これが気道にまで起こってしまうことである。
気道は、口から咽頭、喉頭を通って気管につながる空気の通り道のこと。
この喉頭にむくみが発生する「喉頭浮腫」という状態が最も危険だ。
気道がむくみでふさがって、窒息するリスクがあるからである。
「コードブルー3 医師が解説|なぜいつも現場で気管挿管をするのか」で説明した通り、救急対応で重要なポイントは「ABC」で表現される。
A:Airway(気道)
B:Breathing(呼吸)
C:Circulation(循環)
これらの破綻は、いずれも患者の命を短時間で奪うため、救急医療ではABCの確保が最も重要になる。
コードブルーでよく出てくる、「大量出血でショック状態」はCの異常。
ドラマ中の展開を見てもわかるように、Cの異常で求められるのは、通常速くても何十分といった単位での対応だ。
したがって、
「ヘリで30分か、それならなんとか持ちそうだ」
というような会話が成立する。
ところがAの障害はそうはいかない。
Aの障害、つまり「気道の閉塞=窒息」は秒単位で患者の命を奪う、あるいは脳に重篤な後遺症を残すからである。
コードブルーで頻繁に現場で気管挿管し、まず気道を確保するのはそれが理由だ。
よってアナフィラキシーで喉頭浮腫による気道の障害が疑われればすぐに気管挿管によって気道を確保する。
気管挿管ができないほど完全に閉塞していれば、すぐさま首の前から直接気管を切開してチューブを挿入することになる。
同時に重篤なアレルギー反応を抑えるため、薬剤による治療も行う。
まずは、エピネフリン(アドレナリン)の皮下注射で全身の血管を収縮させる。
これによって血管からの水の漏出を抑えるのである。
ちなみに養蜂場の職員は、ペン型の注射製剤(エピペン)を常に持ち歩いている。
万一蜂に刺されてアナフィラキシーが起これば、即座にこれを自己注射する。
これがなければ、病院に行くまでに窒息死するリスクがあるからである。
同じく、強いアレルギー持ちの学生なども、給食で出た食材などで突如アナフィラキシーを発症するリスクがあるため、このペン型製剤を持参している。
アナフィラキシーがいかに緊急性を要する病態かということはお分りいただけたかと思う。
また治療ではこれに加えて、
・アレルギー症状を起こす原因となるヒスタミンをブロックする抗ヒスタミン薬(ドラマ中ではファモチジン)
・炎症を抑えるステロイド製剤(ドラマ中ではメチルプレドニゾロン)
もよく使用する。
ただし普通アナフィラキシーは、学年で1人、2人程度の強いアレルギー体質の人に起こるもの。
「同じものに対してその場にいる全員がアレルギーを持っている」ということはありえない。
普通はアナフィラキシーが集団発生するなどということはありえないわけだ。
ところが、大勢が同時にアナフィラキシーを起こしうる唯一の例外がある。
ヒスタミン中毒である。
ヒスタミン中毒とは?
ヒスタミンは、前述の通りアレルギー症状の原因となる物質だ。
通常アレルギー反応は、このヒスタミンが過剰に産生されてしまうことで起こる。
もちろんこれは「自分の体で過剰に作ってしまう」という意味だ。
ところが、すでに大量のヒスタミンが含まれたものを食べたらどうか?
当然同じ反応が起こってしまうことになる。
自己反応でないことから、厳密にはアレルギーではない。
「アレルギー様食中毒」と呼ばれている。
よくあるのが、サバやカツオなどで起こる食中毒である。
こうした赤身魚の筋肉内にはヒスチジンというアミノ酸が多く含まれている。
これが細菌(ヒスタミン産生菌)によって分解され、ヒスタミンが多量に産生される。
これを気づかずに摂取してしまうと、ヒスタミン中毒が起こってしまう。
アレルギーなら体質によって個人差があり、たとえばサバアレルギーならサバに対してアレルギー体質を持った人にしか反応は起こらない。
ところが、サバに含まれているヒスタミンによる食中毒となると、体質に関わらず、食べた人全員に症状が出ることになる。
結果として今回のケースでは「アレルギーのような症状の集団発生」に至ることになったわけである。
一度食材の中で多量にヒスタミンが産生されてしまうと、加熱してもこれが分解されることはない。
よって生の赤身魚は冷蔵が必須。
さらに冷蔵でも長期間保存するとヒスタミンの量が増えることがあるため、冷蔵でも早く食べる、というのが大切である。
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怒りの緋山、正論で対抗
一方、DNRオーダーの書類にサインをもらわず人工呼吸器を外し、訴訟問題の渦中にいる緋山。
一切の診療行為を禁止され、何度も繰り返される弁護士との打ち合わせに疲弊していた。
相手の弁護士は、緋山が患者の命を縮めたとして厳しく批判。
うなだれ、ただ謝罪する緋山に対し、ついに部長の田所(児玉清)が口を開く。
「あなたは本当に頭を下げなくてはいけないようなことをしたんですか?」
「医者が謝るべき時はただ一つ、患者のためにならないことをしたときだけ」
「あなたはどちらだったのかきちんと話すべきです」
緋山は意を決したように、
「すでに意思表示している家族に、家族を死なせることに同意する書類にサインをさせろと言うのか?」
と反論する。
「平気でそんなものにサインをさせる医者は狂ってると思います」
とまで言い、相手家族は複雑な表情を見せる。
DNRのサインがあったとしても、人工呼吸の中止行為が訴訟を免れないのは第6話の記事で説明した通りだが、最低でもDNRのサインは必須だった。
ただ緋山の言うセリフには、私も医師として「強く同意」する。
まさしくこれが正論で、現場で働く医師の感覚に近い。
だが、正論が通らないのが現代医療の世界。
「相手が延命処置を拒否する意思表示をしていた」
と医療者側がいくら主張しても、書類に証拠がない限りそれを後から証明することはできない。
そして、得てして患者さんやその家族は、その場で冷静な判断ができないケースも多く、訴訟を起こした時には、
「あの時はそんなつもりではなかった」
と言われることは十分ありうる。
さらに言えば、悲しいことに訴訟の目的が「和解金を手に入れること」であるケースも多い。
その場合、いくら医療者側が相手の心を揺さぶる正論を主張しても、絶対に心が変わることはない。
そもそも訴訟の目的が「自らの正義を証明すること」ではないからだ。
つまり「自分に正義がなかったとしても金をもらわない限りは引き下がらない」というモチベーションである。
世の中は、ドラマで出てくるような良い人ばかりではない。
今回はもう一つ、田所のセリフに重要なものがある。
「カルテには医療的な処置は書いてあっても、患者や、まして患者の家族との心のやりとりは書かれていない、それが最も大切なことなのに、です」
これもまさにその通り。
主治医にしか分からない感情のやりとり、というのは確かに存在する。
「信頼する先生が勧めてくれたからこの治療を受け入れる」
という患者さんの判断基準というのは、文章化することができない。
だからこそ我々医療者は「文章化できるものは全て文章化する」というのが鉄則だ。
カルテには、行った医療行為の内容だけでなく、
患者さんが医療者の説明に対してどういう様子だったか?
その行為を行うことに対してどういうことを言ったか?
それに対し医療者はどういう判断を下したからその行為を行ったのか?
ということまで私たちは全て書く。
これは医師だけでなく、看護師の書く看護記録もそうである。
そこまで書いて、ようやく「カルテ」が出来上がると言って良い。
昔のように、誰も読めないようなドイツ語を万年筆でサラサラ書く時代はとっくに終わっている。
「誰が見てもその時の状況がありありと分かるように書くよう努力する」
というのが現代医療の基本なのである。
とにかく救急処置シーンはリアル、ベッドサイドもリアル、全てにおいて製作者のこだわりが詰まった2nd SEASONは、やはり今見直しても相当の完成度である。
引き続き、解説をお楽しみに!
第9話はこちら!