今、私の手元に1冊の本があります。
「慢性便秘症診療ガイドライン2017」です。
この本は2017年10月に発行されたのですが、消化器系医師の間では大きな話題になりました。
なぜ話題になったのか?
この本が出るまで、日本には便秘症のガイドラインが存在しなかったからです。
これまで便秘症は、個々の医師が、病気と薬の教科書的な知識や経験に基づいて独自に治療していました。
この本が出て初めて私たちは、現時点で最も確かな便秘症の知識(病気の分類、診察、検査、治療方法)を、簡単に参照できるようになったのです。
多くの病院でこの本は購入されたことでしょう。
日常診療で使える便利な情報が詰まっているからです。
このガイドラインの1ページ目には、ガイドライン作成に携わった66人もの医師の名前が書かれています。
大学病院や、市中病院、クリニック、多種多様な便秘症のプロたちの名前です。
日本消化器病学会が中心となり、専門家集団が世界中の論文を参照し、どれを採用し、どれを採用しないか、長い時間をかけて議論し、ようやく完成させたのがこのガイドラインです。
私が便秘になったら、必ずこれを利用します。
自分の患者さんの便秘を診療するときも、当然この本を使います。
これ1冊で十分ですので、書店やネット上にある、「○○したら便秘が治る!」というような情報は、正しいか間違いかは別として、少なくとも「不要」です。
最も確度の高い情報ソースが手元にあるからです。
そして、このガイドラインを参照して私が、このブログを読む方々のために必要な情報をピックアップした記事が、以下の2本です。
便秘の正しい解消法、便秘薬の種類と副作用、処方薬と市販薬の違い
ビフィズス菌・乳酸菌・オリゴ糖は便秘の解消にどう役立つのか?
これを読んでいただければ、便秘に関しての知識はまず十分だと思います。
これ以上、何の情報が必要でしょうか?
ガイドラインと確からしさの序列
今、世界中には膨大な医療情報が存在しています。
しかも医療は日進月歩で、新たな知見が次々に現れています。
「目の前の患者さんにとって最も確かな診療方法は何か?」
ということを、医師個人が一つ一つ自力で調べ上げるのは大変です。
そこで、多くの人がかかる頻度の高い病気については、
「現時点で最も確かな情報をまとめ、医師たちにガイドラインとして提示しておこう」
という話になっています。
がんの場合は、各種類別にガイドラインがそれぞれ用意され、そこに掲載される治療を「標準治療」と呼んでいます。
ガイドラインに書かれた情報は、100%正しいとは限りません。
しかし、「現時点で最も正しい確率が高い」とは言えます。
ガイドラインは、
「専門家たちが集まって頭をひねって、今の時点で確からしい順番に情報を並べてみたら、こんな風になりました」
というメッセージです。
この「確からしさの序列」のことを「エビデンスレベル」と呼ぶ、ということは「がん治療の選び方、医師はなぜ標準治療をすすめるか?」の記事で書いた通りです。
ガイドラインは数年ごとに改訂されます。
特にがん治療については、世界中で臨床試験が行われているため、新たな知見が次々に現れます。
紙の本では対応が遅れるため、ホームページでも更新を確認できるようになっています。
たとえば「大腸癌治療ガイドライン」は、書籍では2016年版が最新ですが、ホームページではその後に更新された情報を閲覧できます。
(追記)
現在の最新版は2019年1月に発行された「大腸癌治療ガイドライン 2019年版」です。
幸い、日本にはたくさんのガイドラインがあります。
私たち医師は、患者さんの病気を診療する時も、自分自身が病気になった時も、これらを参照できるので安心です。
どんな分厚い教科書よりも、その道の大家と言われるどんな大先生の意見よりも、確かな情報を容易に参照できるからです。
では、どんな病気にもガイドラインがあるのでしょうか?
実はそうではありません。
ガイドラインがない病気もたくさんあります。
それは、頻度の低いまれな病気です。
ガイドラインのない病気もある
頻度の低い病気の場合、患者さんの人数が少ないため、研究が進みにくい傾向があります。
世界中の論文を参照しても、確度の高い情報が少なく、「どの情報が確からしいか」を知ることが難しいのです。
大腸がんのように頻度の高い病気なら、
「Aという治療とBという治療、どちらが良いか?」
を知りたければ、大腸がん患者1000人を集め、500人ずつAとBの2グループに分けて臨床試験ができます(話を単純化していますが)。
これを読んで、
「そんな実験台みたいな試験には参加したくない!」
と思った方がいるかもしれません。
しかし、世界中には途方もない数の大腸がん患者さんがいるため、参加者は十分に集まります。
ところが、頻度の低い疾患だとそういうわけにはいきません。
臨床試験をしようにも、数が集まらないのです。
AとBという治療を比べるのに、20人を集めて10人ずつに分けて行った試験は、1000人集めて行った試験より信頼性が劣ります。
ですから、こういう疾患の場合、ガイドラインを作るのは難しくなります。
頻度の低い病気の診療は、医師個人の経験値や、情報収集力、判断力などに依存せざるを得ないのです。
もしまれなCという病気について、
「Cを治したいならDするな!」
という本があったとしたら、それが仮に間違った情報だったとしても、
「もしかしたら真実が書かれてあるかもしれない」
と私たちは思い、手にとって読むかもしれません。
そう考えると、確度の高い情報がない領域は、医療デマに対して防御力が低いと言えます。
ところが、世に出回る医療デマは幸い、まれな疾患には手を出しません。
肥満、アレルギー、アトピー、がん・・・
きわめて頻度の高い病気や多くの人が悩む症状ばかりが、医療デマのターゲットになっているのです。
したがって、私がもし肥満になって、何とかダイエットできる方法を調べたいと思った時に、
「ラクしてダイエットしたければ◯◯というサプリを飲みなさい!」
というネット上の記事を見つけても、これを読もうとは全く思いません。
確度の高い情報を参照する方法を知っているのに、わざわざ確度の低い(かもしれない)情報に手を出す必要がないからです。
肥満についてはこういうガイドラインがあります。
日本肥満学会がまとめたガイドラインです。
肥満症は全世界で膨大な数の人がかかる病気です。
よってその診療に関わる臨床的に意義のある情報は、世界中に星の数ほどあります。
そしてこれらを専門家たちが上手にまとめてくれた情報集がある。
そう考えると、ネット上の医学的根拠のないダイエット情報など、最新兵器を有する軍隊に竹槍一本で挑んでいるようにしか見えません。
ちなみに、このガイドラインから、みなさんに必要と思われる情報を私がピックアップしてまとめた記事が以下です。
「病院で教えるダイエットの方法、自宅でできる医学的に正しい肥満の解消法」
さて、ダイエットについてこれ以上の情報は必要でしょうか?
(※なぜ医療デマはまれな病気に手を出さないか? 先日の記事で書いた「健康を食い物にするメディアたち」を読んだ方は、「経済合理性」に原因があるのはお分かりですね)
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医療者は正しい情報へのアクセシビリティを高めよ
以上のことから、多くの人にとって問題なのは、
「何が確かな医療情報かわからない」
という以前に、
「医師が見れば明らかに確かだと言える情報が、ちゃんとどこかに存在している、という事実を知らない」
ということです。
たとえば、前述の慢性便秘症診療ガイドラインをまとめた日本消化器病学会は、会員約3万5000人を要する巨大な組織です。
ホームページ上で、一般人向けに「患者さんとご家族のためのガイド」を公開しています。
このページでは、
大腸ポリープ、脂肪肝、逆流性食道炎(胃食道逆流症)、胆石、胃潰瘍など、
様々な疾患について、非常に分かりやすく、かつ信頼性の高い情報を閲覧できます。
ところが、多くの人はこの存在を知りません。
このガイドは全てPDFで、スマホではおろかパソコンですら読みにくく、検索エンジンで上位にヒットすることもないからです。
私たち医療者は、
「確かな医療情報がちゃんと存在しているという事実と、存在している場所にアクセスする方法」
を普及しなければなりません。
同時に、正しい情報を高いアクセシビリティで世に提供できるよう努力すべきです(少なくとも検索エンジンを意識したウェブサイトを作成するなど)。
「医療デマの方がアクセシビリティが高い」という状況では、医療デマを駆逐することなど到底不可能です。
たとえば国立がんセンターの「がん情報サービス」が見習うべき良い例です。
私は消化器がんのページしか確かな検証はできませんが、これ以上ないくらい完璧にまとまっています。
しかも読みやすく、誰にでも分かりやすい記載になっています。
基本的に、頻度の高い病気や症状は全て、このような形で情報提供されるべきだと思います。
私はこのブログを使って個人で発信することしかできませんが、医療全体が今後このような方向に向かうよう努力する所存です。