第3話もまた、産後うつと無痛分娩という近年のトピックが取り上げられました。
メインとなった産後うつについては、社会的背景を含めて丁寧に説明されましたね。
近年は女性の就業率が高くなったことで、第一子出産時の平均年齢は30歳を超えています。
しかし出産後も仕事を継続した女性は4割。
男女ともに育児と仕事の両立を支える制度面で、まだまだ我が国は未熟と言えます。
また2016年に行われた調査では、産婦の多くが産後うつ病をはじめとする何らかの精神疾患を有していたことが分かりました。
育児のストレスや出産に伴うホルモンの変化など、様々な要因があるとされています。
日本産科婦人科学会などが、精神科との連携も含め、産後のメンタルヘルスケアに関する対策に乗り出しています。
一方、無痛分娩については最近、事故の報道が頻繁にされるようになりました。
これを扱う以上、ドラマとしての立ち位置、産科婦人科学会がこの事例をどう捉えているのかが語られるものと思い、私は非常に気になっていました。
今回はこれについて少しドラマを振り返ってみようと思います。
コウノドリでの無痛分娩の扱い
これまでと同様、登場人物たちがこのドラマの立ち位置を説明口調で語ります。
小松「(無痛分娩は)ペルソナじゃ珍しいよね」
鴻鳥「うちは希望の無痛分娩は受け付けてないからね、心疾患とか必要な理由がある妊婦さんだけ」
下屋「でも最近増えてますよね。私の友達、無痛で産んだんですけど、産後すっごく楽だったって」
赤西「時代のニーズだと思いますよ。最近欧米では半分以上が無痛の国もありますし、日本は遅れてるんじゃないですか?」
四宮「じゃあお前、産科麻酔の専門医やるか?毎日ひっきりなしに搬送があって、予期できない陣痛に備えて麻酔を始めて管理していく。どうやったら全部の病院でそれができるようになると思う?」
「うちの病院の場合、産科医と麻酔科医、相当な数増やさなきゃできるわけないだろ。外国では産科麻酔の専門医がいてそれができてんだよ。ちょっとは頭使えよ、ジュニアくん」
「時代のニーズに合わせて無痛分娩を増やすべきだ」
と主張した研修医の赤西は、最後は四宮に叱られて落ち込んでいましたね。
これは非常に象徴的な話の展開だと思います。
推測ですが、このセリフから読み取れることは、
無痛分娩は専門的な管理ができる麻酔科医がいる施設で行うのが望ましい
無痛分娩は、産科、麻酔科ともに十分なマンパワーがある病院で行うのが望ましい
それが整っていないなら、希望の無痛分娩はやるべきではない
ということでしょう。
かなり大規模な周産期医療センターであるペルソナですら、「この条件を満たしていない」と言っているわけです。
最近頻発していた無痛分娩の事故は、いずれも産婦人科の単科病院でした。
麻酔科の常勤医はおらず、無痛分娩のための硬膜外麻酔を産婦人科医自ら行なっていたところもありました。
そういう意味では、これに対する批判と捉えることもできます。
この批判には一理ありますし、私も同意はします。
しかし実際には、産婦人科医が他のスタッフと十分安全にできる、という判断のもとに多数の無痛分娩を問題なく行っているところも多いでしょう。
一律に麻酔科医を増やすことは難しいですし、無痛分娩の敷居を上げすぎるのもまた、多くの妊婦にとってはプラスではないかもしれないとも思います。
専門外の私がこれ以上知った顔で語ることはしませんが、難しい問題だと思います。
余談ですが、私の妻は一人目を単科病院で、二人目を総合病院で、いずれも帝王切開で出産しました。
その経験を踏まえて以下の記事で単科病院のメリットとデメリットについて書いていますので、読んでみてください。
さて、今回は無痛分娩のために、麻酔科医が硬膜外麻酔をするシーンがありましたね。
無痛分娩の硬膜外麻酔とはどういう麻酔?
なぜ事故が起こるのか?
腰椎麻酔(下半身麻酔)とは何が違うのか?
と疑問に思う方は多いのではないでしょうか?
今回登場した妊婦さんも、痛みはなさそうでしたが、
「赤ちゃん、出てる気がする」
と不思議な感覚を訴えていましたね。
これはどういうことでしょうか?
図解を入れて、麻酔の仕組みを分かりやすく説明してみたいと思います。
無痛分娩は「無痛」ではない?
無痛分娩で行う麻酔は「硬膜外麻酔」です。
一方、よく似た麻酔法に「腰椎麻酔」があります。
こちらは「脊髄くも膜下麻酔」が正確な名称ですが、「下半身麻酔」と呼ばれることもあります。
帝王切開など、下半身の手術を行うときに使われます。
ここでは、よく使う「腰椎麻酔」の名称を用いて説明します。
硬膜外麻酔と腰椎麻酔はいずれも、背中に針を刺して脊髄の近くに麻酔薬を注入する方法です。
名前は似ていますが、薬を入れる場所が全く違います。
以下の図をご覧ください。
一番左側にあるのが背骨(脊椎)です。
硬膜外麻酔は硬膜という膜を隔てて外側の空間に、腰椎麻酔は硬膜の内側、脊髄により近い空間に薬を注入します。
それぞれの空間を「硬膜外腔」「脊髄クモ膜下腔」と呼びます。
これは、無痛分娩時になぜ事故が起こるのかを理解するために非常に重要なポイントです。
まずこれを頭に入れておいてください。
さて、硬膜外麻酔と腰椎麻酔は目的が全く違います。
硬膜外麻酔は、「痛みを軽くすること」、つまり「痛み止め」が目的です。
「痛み止め」とは、ロキソニンを飲むのと同じように、痛みを軽くすることを意味します。
硬膜外麻酔は、私たちが消化器の手術をするときにも麻酔科医に行ってもらいます。
このとき麻酔科医から、
「皮膚の傷はどこからどこまでになりそうですか?」
と聞かれます。
硬膜外麻酔は、ある狙った領域だけに痛み止めを効かせる方法だからです。
たとえば、胃の手術なら「みぞおちからヘソまで」、大腸の手術なら「ヘソの少し上から恥骨上まで」というように答えます。
すると麻酔科医は、それに合わせた高さで背中に針を刺して麻酔薬を注入してくれます。
薬を入れるのは1回きりではなく、細いカテーテルを入れておいて、持続的に痛み止めの薬を流します。
ある意味、背中に(脊髄に)点滴をしているようなものです。
術後の傷の痛み止めとして使うのが主な目的です。
通常、お腹の手術後3日くらい経てば、背中からカテーテルを抜いて終了です。
お腹の傷が最も痛いのは術後2、3日で、この時期には飲み薬の痛み止めだけでは痛がる方も多いです。
そこで「傷のある部分をピンポイントで鎮痛しよう」というわけです。
もちろんあくまで「痛み止め」ですから、痛みはゼロにはなりません。
いくぶんか軽くなるだけです。
厳密には「麻酔」ではないわけですね。
一方腰椎麻酔は「痛みをゼロにすること」が目的です。
つまりみなさんがイメージするところの、まさに「麻酔」です。
腰に針を刺して麻酔薬を注入するのは同じですが、
「薬を注入したところから下を全て麻痺させる」
ということしかできません(細かく領域を指定することはできません)。
脊髄に直接麻酔薬を効かせて神経をブロックしてしまうので、痛みがなくなるどころか、下半身が自分の意思で全く動かなくなります。
つまり、運動・感覚の両方の神経を麻痺させてしまう、ということです。
腰椎麻酔だけでお腹の手術はできますが、硬膜外麻酔「だけ」ではできません。
皮膚をメスで切るわけですから、「痛み止め」では無理であることがわかりますね?
ロキソニンを術前に大量に飲んでも手術が受けられないようなものです。
手術をするには「痛みがゼロ」でなくてはならないからです。
腰椎麻酔の効き目はせいぜい3〜4時間程度。
よって腰椎麻酔が使える条件は、
長くても3時間以内に終わる小さな手術であること
下半身の手術であること
です。
この条件を満たす手術は、鼠径ヘルニアや痔、虫垂炎(盲腸)、帝王切開などです。
逆の言い方をすると
3時間以上かかるような大きな手術
上半身の手術
では全身麻酔が必要、ということです。
具体的には、上腹部の手術や胸の手術、つまり胃や食道、肺の手術などでは腰椎麻酔を使うことはできず、全身麻酔が必須になるわけです
「背中のもっと上の方に注射して、それより下を麻痺させれば上半身の手術もできるのでは?」
と思った方はいませんか?
残念ながらこれはできません。
なぜなら、腰より上には心臓や呼吸を司る神経があるため、これを麻痺させてしまうと、心臓や呼吸が止まってしまうからです。
これが大事なポイントです。
腰椎麻酔は、脊髄のごく近くの空間に薬を注入するため、少量の麻酔薬で済みます。
というより、少量でなくてはなりません。
量が多すぎると、この空間を上の方まで麻酔薬が広がって、上述したような心臓や呼吸への影響が出てしまいます。
一方、硬膜外麻酔は、硬膜を隔てて外側の空間に薬が注入されるため、それなりの量が必要です。
効かせたい広さにもよりますが、腰椎麻酔の倍量近く、さらに数日間投与するならトータルすると遥かに大量になります。
以上をまとめると以下の図のようになります。
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無痛分娩の仕組み
分娩は、本来麻酔なしで行うものです。
分娩時は「鼻の穴からスイカを出すようなもの」と言われるくらい痛いので、麻酔をしたくもなります。
しかし腰椎麻酔で下半身を動けなくしてしまうと分娩ができなくなります。
全身麻酔で眠ってしまったらもっと困ります。
胎児への影響を考えると、点滴で強力な鎮痛剤の投与もできません。
そこで「仕方ないけど痛みは我慢してもらう」ということを大昔からやっているわけです。
この痛みを何とかできないか?ということで、
「硬膜外麻酔を分娩に応用すれば良いのでは?」という発想が生まれます。
硬膜外麻酔は、ある領域だけにピンポイントで効かせる「強力な痛み止め」です。
胎児に影響を与えることなく、痛みを軽くすることができます。
これを「無痛分娩」と呼んでいるわけです。
上述したように、実際には「痛みがゼロ」ではありません。
産道を赤ちゃんが通るとき、引っ張られるような感覚、押し広げられるような軽い痛みはあり得ます。
今回の「赤ちゃん、出てる気がする」というのはそういう感覚でしょう。
人によっては「かなり痛かった」という人もいるはずです。
あくまで痛み止めですから、効き目に個人差があるのですね。
では、どういうときに事故が起こるのでしょうか?
繰り返しになりますが、
腰椎麻酔ではごく少量の麻酔薬でなければならない
硬膜外麻酔ではそれなりの量の麻酔薬が必要
ということを思い出してください。
硬膜外麻酔で麻酔薬を注入するときは、
「針の先は本当に硬膜外腔か?」
ということが大事なのは分かりますね?
硬膜外麻酔のつもりだったのに、実は針先が硬膜を破ってその内側に入っていたら、大量の麻酔薬が脊髄クモ膜下腔に入ってしまうことになります。
そうするとどういうことが起こるか?
心臓や呼吸に影響が出ることは上述した通りです。
適切に対処しなければ呼吸や心臓が止まって死に至ります。
これが、無痛分娩の麻酔時に起こる事故です。
こういうリスクがあるため、硬膜外麻酔では最初に少量の薬を試しにゆっくり注入し、症状を慎重に観察します。
問題ないとわかってから、徐々に量を増やしていくことになります。
誤って針先が硬膜を破ることはあり得ますが、ここで気づけば事故に至らずに済みます。
手技のミスをゼロにすることはできませんが、ミスが起こったときの準備ができていれば患者さんに害を与えることはないということですね。
ではもし、患者さんの呼吸が止まってしまったら、次はどうすれば良いのでしょうか?
もう救えないのでしょうか?
そんなことはありません。
こちらのニュース解説でその辺りを説明していますので、ご参照ください。
以上が無痛分娩の麻酔の仕組みです。
後半は、コウノドリのストーリーとは直接関係ありませんでしたが、誤解されている方も多いポイントです。
知っておいて損はないでしょう。
さて、来週のテーマは「トーラック(帝王切開後経膣分娩試行)」です。
毎度、次回のテーマを見るたび「なるほど・・・」と唸ってしまいます。
多くの方が陥りがちなポイントをしっかり解説してくれることでしょう。
私のサイトでも、追加で解説できることがあれば解説したいと思います。